https://twitter.com/sugiyama_moto/status/517123920936198144
昨日、私に問責決議が可決されてしまいました。
新聞には『ミツバチ市議』とのタイトル。 pic.twitter.com/yFSzzFHLij
— 杉山元則 (@sugiyama_moto) 2014, 10月 1
杉山元則
https://twitter.com/sugiyama_moto/status/519058880563662848
各務原市議会9月定例会で問責決議質疑のYouTube録画中継です。
私の発言のどこが問題なのかの議論です。
https://t.co/RfWWNIfDlV
— 杉山元則 (@sugiyama_moto) 2014, 10月 6
☆ミツバチの激減、市販殺虫剤が影響の可能性 英仏研究
(2012年4月3日のAFP通信)
http://www.afpbb.com/articles/-/2869068?pid=8732493
2チームは、1990年代以降に世界各地で農薬として用いられているネオニコチノイド系殺虫剤に着目した。ネオニコチノイドは昆虫の中枢神経に作用する薬剤だが、研究によると蜜や花粉にも付着したネオニコチノイドが、ハチに致命的な害を及ぼす危険があるという。
(略)
今回の研究について、論文執筆者のフランス国立農業研究所(National Institute for Agricultural Research、INRA)のミカエル・アンリ(Mickael Henry)氏は「殺虫剤の許認可手続きにおける重要な問題を提起したものだ」と語る。同氏は「これまでの規制は、殺虫剤メーカー側に農地のハチを殺さないことを求めてきた。だが、農地に噴霧された殺虫剤がハチたちを殺さなくても、その行動に害をもたらす点は無視されている」と指摘した。
☆ミツバチ大量死、原因は害虫用殺虫剤 分析で成分検出
(2014年7月19日の朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASG7L5F6CG7LUJHB00L.html
夏に北海道などの北日本で多発しているミツバチの大量死現象は、害虫のカメムシを駆除するため水田に散布される殺虫剤が原因の可能性が高いとする調査結果を18日、農研機構畜産草地研究所(茨城県つくば市)などの研究チームがまとめた。
☆謎のミツバチ大量死 EU農薬規制の波紋
(NHK「クローズアップ現代」。2013年9月12日)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3401_all.html
フランス国立農学研究所 ミッシェル・アンリ博士
「今回の研究でわかったのは、これまで影響がないとされてきた微量の農薬でも、ハチが方向感覚を失ってしまい、死んでしまうということです。」
この論文に続き、やはり同じ農薬がハチに影響を及ぼすという研究結果が、次々と発表されました。
その農薬の名は、ネオニコチノイド系農薬。
《異端審問》
☆ガリレオ・ガリレイ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%A4#.E7.AC.AC2.E5.9B.9E.E3.81.AE.E8.A3.81.E5.88.A4
さらにガリレオ自身、敬虔なカトリック教徒であったにもかかわらず、科学については教会の権威に盲目的に従うことを拒絶し、哲学や宗教から科学を分離することを提唱したことも、当初ガリレオを支持していたウルバヌス8世が掌を返したようにガリレオを非難するようになった要因とされる。そして結果的にはガリレオ裁判において、ガリレオを異端の徒として裁かせる結果に繋がっている。
(略)
有罪が告げられたガリレオは、地球が動くという説を放棄する旨が書かれた異端誓絶文を読み上げた。その後につぶやいたとされる “E pur si muove”(それでも地球は動く)という言葉は有名であるが、状況から考えて発言したのは事実でないと考えられ、ガリレオの説を信奉する弟子らが後付けで加えた説が有力である。
☆ヤン・フス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%B9#.E5.85.8D.E7.BD.AA.E7.AC.A6
1411年に教皇ヨハネス23世は、グレゴリウス12世を庇護するナポリ王国のラディズラーオ1世を制圧するために十字軍教会を派遣した。十字軍の遠征費用を賄うため、教会は免罪符の売買を始めた。プラハでも、免罪符の説教者は人々を教会に集め、寄進を勧めた。
(略)
ウィクリフとフスは、教会の名のもとで剣を挙げる権利は教皇にも司教にもなく、敵のために祈り、罵るものたちに祝福を与えるべきであると主張した。人は真の懺悔によって赦しを得、金では購うことはできないのである。この主張のため、フスは大学に留まることができなくなった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%B9#.E6.9C.89.E7.BD.AA.E3.81.AE.E5.AE.A3.E5.91.8A.E3.81.9D.E3.81.97.E3.81.A6.E7.84.9A.E5.88.91
最後になって、皇帝の家臣フォン・パッペンハイム伯は、フスに主張を撤回して命乞いするようにすすめた。 しかしフスは、「私が、間違った証言者に告発されたような教えを説いていないことは、神が知っておられる。私が書き、教え、広めた神の言葉の真実とともに、私は喜んで死のう」と述べて断った。火がつけられると、フスは声を高めて「神よ、そなた生ける神の御子よ、我に慈悲を」と唱えた。これを3回唱え、「処女マリアの子よ」と続けたとき、風が炎をフスの顔に吹き上げた。
そして、フスを悪魔とみなす敬虔な老婆がさらに薪をくべると、“O, Sancta simplicitas”(おぉ、神聖なる単純よ)と叫んだ。彼はなおも口と頭を動かしていたが、やがて息をひきとった。
フスの衣類も火にくべられ、遺灰は集められて、近くのライン川に捨てられた。