http://www.news24.jp/articles/2014/07/09/04254681.html
出席者によると、小沢代表は「政権を狙うには与党と野党が1対1の戦いをすることが大事だ」と述べ、次の衆議院選挙で候補者を調整するなど野党全体が連携していく重要性を訴えたという。
《劉邦はアンチ項羽勢力を強引に糾合することによって天下を取った》
☆張良
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%89%AF#.E6.A5.9A.E6.BC.A2.E6.88.A6.E4.BA.89
ここで張良は陳平と共に、退却する項羽軍の後方を襲うよう劉邦に進言した。項羽とその軍は韓信と彭越の活躍もあって疲弊しているが、戻って回復すればその強さも戻ってしまう。油断している今を置いて勝機はない、と見たのである。劉邦はこれを受け入れ、韓信と彭越の2人の武将も一緒に項羽を攻めるように命令した。しかし韓信と彭越はやって来ず、劉邦は項羽軍に敗れた。
張良は劉邦に「韓信・彭越が来ないのは恩賞の約束をしていないからです」と答えた。劉邦は「彼等には十分禄は出している。韓信は斉王にしてやった」と言うも、張良は「韓信は肩書きだけで斉の地を与えたわけではありません。彭越も補給路を断つなどの活躍しましたが、肩書きの一つでも与えましたか? それに、彼らも漢楚が争っているからこそ価値があるとわかっているので、争いが終わってしまえば自分たちはどうなるかと不安なのです」と返した。
なおも納得ができない劉邦が「では、恩賞が少ないからと言って我々を見捨て、漢が滅びればどうなる?彼等も滅びてしまうではないか。それに天下が定まらない状況で恩賞など出せるか」と問うと、張良は「彼等は漢が滅びるとは思っていません。功績と恩賞が見合っていないと思っているのです。先の戦で陛下は天下の半分をお取りになりました。それは一体誰のお陰ですか?陛下の『恩賞は天下が定まってから』というお考えはよく理解できますが、天下の人々には『陛下が天下の半分を取りながら恩賞を出し惜しんでいる』様に見えるでしょう。私は陛下が物を惜しんでいないのはよく存じております。しかし、天下の人々にもそう見えなければ意味がありません。だから彼らも、恥じることも悪びれることもなく動かなかったのです」と答えた。
これに劉邦も納得し、両者に対して戦後も韓信を斉王に、彭越を梁王に封じる約束をし、喜んだ両者の軍を合わせて項羽軍を垓下に包囲し、項羽を討ち取った(垓下の戦い)。
☆垓下の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%93%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E5.9E.93.E4.B8.8B.E3.81.AE.E6.88.A6.E3.81.84.E3.81.BE.E3.81.A7.E3.81.AE.E6.B5.81.E3.82.8C
張良は劉邦に対して韓信・彭越が来ないのは2人に恩賞の約束をしていないからだと言い、韓信には陳から東の海に至るまでの全ての土地を与え、彭越に対しては睢陽より北・穀城に至るまでの土地を与え、梁王(魏王)とするようにと進言、劉邦もこれを容れ、韓信・彭越に使者を送った。その結果、2人は即座に軍勢を率いて劉邦に合流した。
さらに劉賈の軍も彭越と合流、楚軍の周殷も寝返り、これらの軍勢は次々と垓下の劉邦の下に集結した。