(サンパウロ新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140221-00010003-saopaulo-s_ame
https://web.archive.org/web/20140220233100/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140221-00010003-saopaulo-s_ame
ベネズエラでは最近の数カ月間で56%のインフレ率を記録したほか、スーパーなどでは食料品やトイレットペーパーが陳列棚から消えつつあるという。
☆消費財不足のベネズエラ、借金でトイレットペーパー購入へ
(2013年5月25日のAFP通信)
http://www.afpbb.com/articles/-/2945943
しかし、故ウゴ・チャベス(Hugo Chavez)大統領の社会主義政権が2003年に価格統制を導入して以降、一部の消費財が定期的に不足する状況が続いている。これについて同国政府は、チャベス氏が推進してきた「社会革命」を台無しにしようとしているとして、中道右派の野党と米国を批判してきた。
☆トイレットペーパー不足のベネズエラ、工場を政府管理下に
(米国CNN。2013年9月22日)
http://www.cnn.co.jp/business/35037518.html
これに対して政府は、民間企業による売り惜しみやメディアの扇動が原因との立場を示す。
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▼ 大規模な流言によって発生した「トイレットペーパー騒動」(日本。1973年) ▼
☆田中角栄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84#.E9.A6.96.E7.9B.B8.E5.9C.A8.E4.BB.BB.E6.99.82
1972年(昭和47年)9月
日米首脳会談後に中華人民共和国を訪問。首都北京で周恩来首相や毛沢東共産党主席と会談。9月29日、両国の共同声明により日中国交正常化が実現し、日華平和条約の終了を確認。
10月16日 - 第四次中東戦争から第一次オイルショックが発生。中東政策をイスラエル支持からアラブ諸国支持に転換すると共に中東地域以外からのエネルギーの直接確保に努めた。
↓
☆トイレットペーパー騒動
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E9%A8%92%E5%8B%95
1973年10月16日、産油国が原油価格を70%引き上げることを決定したため、当時の田中角栄内閣の中曽根康弘通商産業大臣が「紙節約の呼びかけ」を10月19日に発表した。
このため、10月下旬には「紙がなくなる」という噂が流れはじめ、同年11月1日午後1時半ごろ、大阪千里ニュータウンの大丸ピーコックストア(現:イオンマーケット)が特売広告に「(激安の販売によって)紙がなくなる!」と書いたところ、300人近い主婦の列ができ、2時間のうちにトイレットペーパー500個が売り切れた。
その後、来店した客が広告の品物がないことに苦情をつけたため、店では特売品でないトイレットペーパーを並べたが、それもたちまち売り切れ、噂を聞いた新聞社が「あっと言う間に値段は二倍」と書いたため、騒ぎが大きくなり、騒動に発展した。
当時は第四次中東戦争という背景もあり、原油の高騰により紙が本当に無くなるかもしれないという不安心理から、各地で噂が飛び火し、行列が発生したため、マスコミにも大きく取り上げられ、パニックは全国に連鎖的に急速に拡大した。
高度経済成長で大量消費に慣れていた日本人が急に「物不足の恐怖」に直面したために起こったパニックとも言われている。
パニックの火付け役は新聞の投書だとする説もある。
ただ、この当時、日本の紙生産は安定しており、実際には生産量自体は同流言飛語が全国的に広まるまで、ほとんど変わっておらず、パニックが発生した後はむしろ生産量増加も行っていた模様である。
マスコミの報道や流言飛語によって不安に駆られ、高値でたくさんのトイレットペーパーを買った消費者は、山積み保管していた。
それまでトイレットペーパーは主に特売用商品(消費者を商店に足を向けさせ、客足の増加を見込む)として扱われていたが、この当時は一変して定価どころか倍の値段をつけても売れる程だったという。このため商店は在庫確保に奔走し、結果として問屋在庫すら空になる程だったとされている。
このような連鎖的現象により、最初の内こそ楽観視していた人までもが、実際に店頭からトイレットペーパーが消えたため確保に走ったといい、小売店では、店頭にトイレットペーパーが並ぶや否や客が押し掛け、商品を奪い合う人すら見られた。デパートなどでは余りの混雑振りに、トイレットペーパー販売のたびに迷子も多数発生したという。
(略)
洗剤:
同時期に同様の騒動(洗剤パニック)が起きた。
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▼ 米軍岩国基地への艦載機移駐問題が争点となった、2008年の岩国市長選挙で暗躍した謎の「流言部隊」 ▼
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/WA2-29.HTML
「囁き隊」によるデマ、風評の流布――
複数であたかも聞いてきた風を装い、公共の施設(病院待合室内、列車内、バス内)で「岩国は、第2の夕張になるそうな」とか、老人、主婦が心配する「病院やバスがなくなる。公共料金の値上げがある」などの“流言”を流した。
http://www.bund21.org/declaration/declaration2008/declaration0804anti-usbases.html
市の財政破たんの「危機」を捏造し、その責任が井原氏にあると「争点」を偽装した。それは「ささやき隊」と呼ばれるおぞましい集団を病院ロビーなど人の集まる場所に出没させることなどを手段として、井原氏への個人的中傷やとんでもないデマ宣伝の流布とともに行われた。「バスもなくなる、病院も保育所もなくなる、公衆トイレもなくなる」などなどと。その上で「いくら市民が反対しても来るものは来る」と市民に無力感を植え付け、どうせ来るならカネをとるほうがましな選択と吹聴して回った。財政破たん危機デマの「根拠」とされたのが、市庁舎補助金三十五億円のカットであったことは言うまでもない。
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《忍者の任務のひとつは、自勢力に都合の良い「流言をまくこと」である》
http://www.iganinja.net/nijyutu/
敵と目される相手の情報、秘密を探り、流言を撒いて混乱させ、屋敷や城に潜入し、目的物を奪取したり、放火したり、ときには暗殺したりすることである。
☆黒脛巾組
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E8%84%9B%E5%B7%BE%E7%B5%84
黒脛巾組(くろはばきぐみ)とは、陸奥の戦国大名である伊達政宗が創設したと言われる忍者集団である。
(略)
伊達秘鑑の記述を読む限り、諜報活動、人取橋の戦いにおける流言飛語などで、伊賀や甲賀の土豪(忍者)のような武力行為は確認できない。
(略)
黒脛巾組の活躍は、政宗が苦境に立たされた時に常に活躍し、政宗を助けたという。
(略)
石川昭光は政宗の叔父であった。白河義親も伊達家の縁戚であり、伊達家と敵対しているわけではなかった。しかし、関東・陸奥で大勢力を誇る佐竹氏・蘆名氏らが政宗討伐を呼びかけたため、御家存続のためにやむなく連合軍に加わっていたにすぎない。そのため、連合軍の団結力はかなり乏しかった。
そのため、政宗の命令で黒脛巾組が流した流言に疑心を持った連合軍の武将は、自らが襲われることを恐れて撤退していったのである。
「今度の軍一大事なれば、彼(政宗)黒脛巾の忍びをして、信夫鳥屋の城主安部対馬に密々に謀を授られ、柳原戸兵衛・世瀬蔵人等手下をまはし、様々の流言を云触し。反間を行ふゆへ、三軍の疑ひをおこし、暫時の退散を遂しむなり」(政宗は安部対馬のもとに付した黒脛巾組に密命を与え、様々な流言を連合軍に流させて撤退に追い込んだ)。
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▼ 陸上自衛隊による世論誘導・世論操作の実験「投書作戦」 ▼
☆陸上自衛隊小平学校
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E4%B8%8A%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E5%B0%8F%E5%B9%B3%E5%AD%A6%E6%A0%A1
陸上自衛隊小平学校(りくじょうじえいたいこだいらがっこう、JGSDF Kodaira School)は小平駐屯地に所在する、陸上自衛隊の防衛大臣直轄機関のひとつ(学校)である。
情報・語学・人事・システム・警務・会計等多岐にわたる教育を実施しており、その教育内容の性質から警務科・会計科・情報科において陸上自衛官だけでなく海上自衛官・航空自衛官・事務官なども学生として入校している。また、入校する学生の階級も、新隊員から退職間近の幹部自衛官まで幅広い。情報職域における上級指揮官及び幕僚の育成を目的とした総合情報課程を担当しているのもこの学校である。校長・副校長は会計科・警務科・情報科の部隊指揮官または相当級の幕僚(情報本部勤務もしくは防衛駐在官経験を有する者等)を経た陸将補が充てられる。
参議院会議録情報
第126回国会 内閣委員会 第3号
平成五年三月二十九日(月曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/126/1020/12603291020003c.html
○翫正敏君
今の説明ですと、心理戦防護課程というのは外国から心理戦、謀略的な活動、スパイ活動的なことだと思いますが、そういうものを受けたときに我が国の自衛隊がそれにどう対応するかという、こういう教育訓練であるという説明だったと思うんですね。それでいいですか。
○政府委員(諸冨増夫君)
私、申し上げました有事の際に自衛隊が仮に本土で戦うというような場合を想定いたしますと、いろんな形で、例えば航空機によるビラであるとか、あるいはいろんな意味で向こうの陣営から我が方の陣営に早く投降せいとか、そういうふうな働きかけがあると、そういう意味でございます。
○翫正敏君
実際私持っております資料が、ちょっと古いんでなんですが、昭和五十年の十一月十日から五十一年の三月十一日までの間に陸上自衛隊の調査学校、小平市の調査学校で行われました情報教育部第五教官室の教育実施計画、これがあるんですけれども、この期間に第十七期幹部心理戦防護課程教育実施計画というものをつくってそのとおり実施をしたという、そういうことは間違いありませんか。
○政府委員(諸冨増夫君)
先生御指摘の期間に心理戦防護課程という課程が確かに行われております。それは事実でございます。
○翫正敏君
この課程においてどのような、主に実技、実習、演習といいますか、こういう実習ですね、演習というのがありますが、実習とか演習はどのようなものを行ったかということを概略説明できますか。
○政府委員(諸冨増夫君)
総合実習という期間がその課程の中に設けられておりますことは事実でございますが、具体的にどういうことを行っておるかというようなことにつきましてはちょっと御説明を差し控えさせていただきたいと、このように思います。
○翫正敏君
説明をしたくないようなので、私の方から持っております資料に基づいてどういうことをやったのか、実習したのかちょっと説明してみます。
まず、昭和五十年の十一月二十五日から二十九日までの演習ですか、実習ですか、この期間に行われた訓練の内容なんですが、一万円作戦というものが行われた。これは、この作戦のといいますか、訓練の目的は秘密組織の結成と資金集め、その目的を国民に説得する訓練と、こういうふうに位置づけられておりまして、カバーネームなるものをこれを受けた自衛官の人たちが用いまして、そしてにせの名刺をそれぞれがつくりまして一口何がしかの寄附を国民に対して集める。具体的には都内を回って国防協会への寄附という形でこれを依頼して回った、それぞれが手分けして回った、こういう作戦がありました。
このとき、名前は申しませんけれども、それぞれ受講された人たちは当時実在をしております会社ないしさまざまな団体の名刺をつくりまして、名前だけ、カバーネームですか、いわゆるにせの名前を、自分の本名ではない名前をつけましてそしてそれぞれ都内を回って寄附を募って歩いたと、こういうことでありますが、このような訓練をしている、実習したということですね。
さらにもう一点見ますと、投書作戦というのがありまして、これは五十一年の一月十日から一月三十一日の間にかけてそれぞれ投書を、自衛隊に非常に国民の支持が集まるようにと、そういう目的の内容になっておりますが、このようなことは「桐千葉」という題の、十七期研修生が修了します直前に文集をつくりまして、そしてその中に皆書いてあることでございますけれども、この投書作戦の方は、これも新聞の名前はきょうは挙げませんけれども、それぞれ大新聞でありますが、大新聞に、例えば「駅構内の除雪職員はどこに」ということで、自衛隊員が一生懸命除雪をやっておるが、駅の職員がしてないというような内容の投書をしている。それから「自衛隊への偏見排せ」という、こういう内容の投書も行っております。
さらには、「今こそ青少年に徳育を」というので、教員の名前になっておりますが、教員にしては極めて内容が問題な、勉強ばっかりしていると精神障害者になるのではないかなどというような、こういうことが書いてあるんで、これ本当に教員なのかどうかも疑わしいんですけれども、それを調べてみましたら、どうもそこまで私わかりませんでしたが、そういう「今こそ青少年に徳育を」という、題はすばらしいんですけれども、こういうもの。「雪祭りが教えてくれたもの」、まだありますね、「野犬の事故をなくして」と、こういう題の投書も来ているんです。
こういう投書をしまして、これすべてこの訓練の、演習の、実習の課程の中で行っていると、こういうことが資料の上で明らかだし、当時の新聞をこれ調べましてはっきりしておることなんですけれども、このような演習をしたということをお認めになりますかのそれから、こういう演習、教育訓練の目的というものはさっきおっしゃったようなことと合致するんでしょうか。
○政府委員(諸冨増夫君)
お答えいたします。
今、先生いろいろ御説明いただきましたが、実は、先般一部マスコミにそのような報道がございましたので、古いことではございますが、私どもも念のために一応調査をいたしたところでございます。その結果、当時の調査学校の担当の教官等はほとんど退職しておるような状況でございまして、いずれにしても資料としては、調査学校としては大体資料保存期間というのがございまして、数年でいずれも教員関係の資料については焼却処分になってございます。
したがいまして、在職しております教官なり当時の学生等からいろいろ聞き取りをやりました結果、どうも新聞に報道されておるようなところはなかなか特定できなかったというのが実情でございまして、いずれにしてもそういうところが私どもの調査の結果でございます。
したがいまして、その目的その他について、私どもちょっと事実関係が全く特定できないということでコメントを差し控えさせていただきたいと思っております。
○翫正敏君
教官の方はそれぞれもう退職してわからなかったとおっしゃいましたけれども、この「桐千葉」というものをつくられた編集委員長の人は現在、名前は申しませんけれども、現職自衛官ですよ。事情をお聞きになりましたか。
○政府委員(諸冨増夫君)
いろいろと調査しました結果、今御指摘の資料を当時の学生がつくったというような記憶を持っておられる方もございました。
○翫正敏君
もう一遍言ってください。
○政府委員(諸冨増夫君) 当時の関係者に調査した結果、今先生が御指摘のような論文集といいますか、資料集みたいなものをつくったような記憶があるという方もございます。
そういうことで、事実関係はまだ特定しておらない、特定できなかったということでございます。
○翫正敏君
じゃ、今後さらに私が申しましたような内容のことをしたのかどうか、コメントができないというようなことでなくて、やはり現職の自衛官の人もおられるし、やめた人だって事情聞けばわかりますから、もっとちゃんと調べて事実か事実でないか、これを明らかにしてほしいし、さらに今日現在、ただいまのこの心理戦防護課程の訓練内容が昭和五十年当時と同じなのかどうかということについても大いなる疑義がありますので、この点もさらに明確にしていただくために調査を要求したいと思いますが、どうですか。
○政府委員(諸冨増夫君)
私ども、十分調査した結果、ただいま御説明いたしましたような結論に到達したわけでございまして、一部そういう報道に基づいたものにつきまして今後ともまた再調査をするというような気持ちは今のところ全くございません。
それから、内容につきましては、その報道に出ておりますようなことについて現在の調査学校でやっておるかということになりますと、これは調査の結果、全くそういうことは現在行っておりません。
したがいまして、十数年前の事実関係について一応私どもとしては調査した結果、よく内容は特定できなかったということで調査は終了したというふうに御理解いただきたいと思います。
○翫正敏君
調査は終了したということは納得できないわけで、先ほどあなたはおっしゃったけれども、この「桐千葉」というもの、この論文集といいますか感想文集かわかりませんけれども、こういうのをつくった記憶があるという人が受けた人や教官の中にいたということをおっしゃったでしょう。おっしゃったのなら、この内容について真偽のほどを明らかにしなければならないのじゃないですか。真偽のほどを明らかにしてください。
○政府委員(諸冨増夫君)
先生御指摘の文章は、あくまでも防衛庁としてといいますか調査学校として指導してつくらせたとか、そういう性格のものではないというような調査結果でございます。あくまでも私的に学校卒業生がそれぞれ任意につくった文章でございますので、それを調査して事実関係をどうのこうのというところまでは、私どもとしては現在必要はないんじゃないかと考えておるところでございます。ましてやその内容について一々真偽のほどをコメントするという立場に、私は現在そういう立場には防衛庁としてないというふうに考えておるところであります。
○翫正敏君
じゃ、ここに書いてある内容というのは、要するに、これは先ほど言いましたように心理戦防護課程の実習の内容の中でこういう内容のことをやったと書いているわけですね。この「桐十葉」というものの中にはこういうふうに書いてあるわけです。であれば、こういうことを何のためにしたのか、何の目的でしたのか、新聞にこういうにせの投書をしたり、にせの名刺をつくって寄附を集めたりして、何のためにしたのかということはそれは古い話だからもういいというわけにはいかないんじゃないんですか。
まず、そういうことをしたのかしないのか事実をもう一遍調べなければいけないと思いますが、どうですか。防衛庁長官の方へ行きますよ、話がもう一遍調査してくださいよ。
○政府委員(諸冨増夫君)
今御指摘の中で、一部でございますが、いろいろ新聞に投稿したという記事が出ておりましたが、あれについては私ども調査した結果ではそういうことをやった記憶の学生が当時おったということで、内容は先ほど先生御説明ありましたように一部野犬の撲滅とかあるいは雪祭りへの協力とか、そういうことについて投稿したと。
これは、私ども事実をあくまでも確定した上の結論ではございませんが、事実といいますか真偽の過程をきちっと特定したわけではございませんが、今推測しますと、心理戦防護課程というものを卒業するに当たって、いわゆる対心理、いろんな妨害があったときに動揺しないように、隊員に幹部としていろいろ説得するといいますかそういう説得力あるいは文章表現力、そういうものを最終的に総合実習という形で投稿作戦といいますかそういう形で行ったということで、それは一部の学生、今おる職員でございますが、認めておるところでございます。
○翫正敏君
カバーネームなる名前をそれぞれの受講生がつくって、そして名刺をそれぞれの人がつくっているというのはここにちゃんと資料に載っていますね。この資料を全部私拡大鏡かけて読みましたら何て書いてあるか全部わかりましたが、そういうのが目的なんですか。
○政府委員(諸冨増夫君)
今、先生お手元に何かお持ちの資料でございますが、実は私ども防衛庁としてそういう名称のものがあるという報道は承知しておりますが、現在確認したところ実物は発見できなかったというのが事実でございます。
○翫正敏君
だから、発見できなかったでおしまいじゃなくて、もしこれが事実なら、現職自衛隊員がにせの名刺をつくって、そして個々に東京都内を回ってお金を集めて歩いたということになれば問題でしょう。防衛庁長官、問題だと思いませんか、事実だとしたら。事実だとしたらですよ、事実だと断定していません、私。事実だとしたら問題だと思いませんか。
○政府委員(諸冨増夫君)
事実を特定できなかったわけでございますので、事実だとしたらという仮定の問題でお答えするのは私どもの立場上差し控えたいと思うわけでございます。
○翫正敏君
だから調べてくださいと言っているわけです。
○政府委員(諸冨増夫君)
いや、調べました結果、私が申し上げたようなことでございますので、何分非常に古いことでございましてその内容について特定できない、まあ一部の報道は私ども承知しておりますが、ということでございます。
○翫正敏君
じゃ、そういうことをおっしゃるので、次回機会を見まして、ここに書いてあります、ここに参加をされました人の氏名、それからこのカバーネーム、どういうカバーネームを使ったか、そういうこともすべて特定をして次回の機会にもっとさらにちゃんとただしたいと思うんです。
きょうは、新聞とかの名前も挙げませんでしたし、参加者の名前も挙げませんでした。すべてそういう、いわゆるだれがどうしたということの名前を全部、カバーネームがどうで、それが実名はどうでということも対照して調べましたけれども、それも全然挙げておりません。そういうことをしませんでしたのは私なりの配慮なんですけれども、調べるつもりはもうない、こういうふうに局長がおっしゃるのなら、次またいろいろとこっちの方も考えたいと思います。
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[Tags]井原勝介。田中角栄。ベネズエラ。囁き隊。つぶやき隊。ささやき隊。プロパガンダ。世論操作。世論誘導。陸上自衛隊。小平学校。情報戦。心理戦。投書作戦。調査学校。翫正敏。諸冨増夫。