117 名前:地震雷火事名無し(家)
投稿日:2013/03/30(土) 00:47:19.46 ID:zNyEI3Sn0
フリーメーソン幹部 (アジア地区代表)がブログやってるの知ってるか?
高山長房さん 天皇家直属のフリーメーソンの幹部 部下は国内に2万6千人
http://blog.goo.ne.jp/mokushiroku666
ツイッターもやってる FAX番号とか顔写真公開してるのが凄い
https://twitter.com/susanou666
あと、講演なども 日光東照宮の宮司とかロシアアカデミーの博士がゲスト参加
http://hikarulandpark.jp/shopdetail/001006000004/order
この人と行動を共にする人の話によれば
会合には皇室関係者や王族などがぞろぞろいるそうで、
本当に地位のある人なのは間違いないだろうとのこと。
喫茶店でのインタビューの横では東電関係者が盗み聞きするほどだ。
本も2冊出してる。
☆フリーメイソン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3
自身も会員であったダグラス・マッカーサーは、対日政策の一環として、皇族を皮切りに日本の指導者層を入会させ、最後は昭和天皇を入会させる腹づもりであったという(フリーメイソンリーは直接的な勧誘はしないことになっているので、それとなく興味を持たせるようにした)。フリーメイソンリーは、米国にとっては冷戦下の反共の砦としても期待されていた[23]。昭和天皇の入会は実現しなかったが、はるか後年の1995年にも、リチャード・クライプ元グランド・マスターが取材に「日本でも天皇陛下がメンバーだったら、偏見がなくなり、もっともっと簡単にメンバーを集めることができるでしょう。もし、天皇陛下に入っていただければ、私は名誉グランド・マスターにしてさしあげたい(笑)。」[24]と答えており、現在でも天皇の入会を期待しているものと思われる。
1951年に入会した鳩山一郎は、第1階級(エンタード・アプレンティス)を経て、1955年に第2階級(フェロークラフト)、その後第3階級(マスターメイソン)に昇級した。
1957年には会員数が2500人を超え、独立したグランド・ロッジを構えるべきという気運が高まり、3月に東京グランド・ロッジを設立した。初代グランド・マスターは、ベネズエラの外交官カルロス・ロドリゲス=ヒメネスであった。また、主に米軍基地内にフィリピン系ロッジ、黒人系ロッジが別途存在する。これらは日本Grand Lodgeとの直接的な関わりはなく、各ロッジは個別のGrand Lodgeに属している。
(略)
英連邦系(UGLE)のフリーメイソンリーは会員の政治及び宗教に関する議論を禁じているが、有力者が会員として存在し、また世界的な組織である以上、国際政治に無縁な組織として活動を続けること難しいという意見もある。たとえば1981年には、すでにフリーメイソンのロッジとしての承認を取り消されていたイタリアのロッジ「P2」が、承認取り消し後にも元会長で極右政党幹部のリーチオ・ジェッリや、アンブロシアーノ銀行頭取のロベルト・カルヴィらの元メンバーがその後も「P2」として活動し、イタリア共産党を除く政財界やマフィア、バチカンとの間を結び付けていた。そして、国際的に反共勢力の援助を行い、さらに国内ではクーデターを企図したことが明るみに出た事件があった(P2事件)。その結果、P2の関係者で、他のロッジのメンバーとなっていた者はフリーメイソンリーを追放された。
このように、有力者が会員として存在している以上、フリーメイソンの理念に反した形で、個々のロッジの次元を超えて政治的、社会的活動や陰謀を行うものの存在がないとはいえない。
過去には、第一次世界大戦中に「イングランド・グランド・ロッジ」は、敵国となったドイツ、オーストリア、ハンガリー、トルコ(オスマン帝国)出身者の会員すべてを追放し、戦後もしばらく解除されなかったことがあった。戦後、フランスとドイツのフリーメイソンリーが両者の親善を協議したものの、戦争犯罪については意見が折り合わなかった。このように、フランス系は元より、政治と距離を置く正規派(英米系)においても、政治の影響は避けられなかった。
▼ 日本ロッジの元グランドマスターへのロングインタビュー ▼
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/fmei.htm
「皇族では戦後の一時期、首相をつとめた東久邇宮さんが会員でしたね。自民党初代総裁の鳩山一郎元首相も会員でした。もう昔の人ですから秘密にすることはないでしょう。ただ、鳩山さんが入ったときは最晩年でしたよ。病気がちで動けないというので、当時のメーソンのグランド・マスターが彼の自宅まで出向いていって入会の儀式を行ったのです。
(略)
メーソンの間ですごく人気のあるエピソードがあります。第二次世界大戦中、メーソンのメンバーは三つめのボタンに赤いリボンをつけて戦場へ赴いた。ナチスの兵隊と米国の兵隊が、互いに撃とうとして照準を定めた時、そのリボンが見えた場合、引き金を引くのをやめるということがあったそうです。また、米国の南北戦争のさ中に、昼間は敵味方に分かれて戦争をしていて、夜になると同じロッジで出会ったりしたという話もあります。昼は戦争していても、夜は「ブラザー」としてつき合うわけです。そういう逸話が数多く残っています。自分の帰属する国家に忠誠を誓い、自分の政治信条に従って行動している時も、心のどこかで友愛の精神を忘れずにいる、それがメーソンなんです。