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2013年2月17日日曜日

〔独語記事〕ドイツ報道「バチカンが軍需産業に関与しているようだ」


バチカンの銀行の新しい頭取Ernst von Freyberg氏は、ドイツの軍事産業に関係している。バチカンが防衛産業に参加していることは、秘密にされている。


☆Neuer Chef der Vatikan-Bank hat Wurzeln in der deutschen Rüstungsindustrie
(Deutsche Wirtschafts Nachrichten)

http://deutsche-wirtschafts-nachrichten.de/2013/02/16/neuer-chef-der-vatikan-bank-hat-wurzeln-in-der-deutschen-ruestungsindustrie/

Der neue Chef der Vatikan-Bank, Ernst von Freyberg, bleibt neben seinem neuen Job weiter Aufsichtsratsvorsitzender von Blohm + Voss. Die Firma baut im Auftrag des Verteidigungsministeriums vier Fregatten. Seine Mutter ist Erbin der Familie Blohm. Das Familienvermögen hat von den deutschen Rüstungsgeschäften profitiert. Bisher war es für den Vatikan ein Tabu, sich offiziell zu nahe an die Rüstungsindustrie zu wagen.



《おまけ》

☆ヨハネ・パウロ1世 (ローマ教皇)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD1%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)

1972年に、ルチアーニが総大司教を務めていたヴェネツィアで聖職者や低所得者層への低金利融資を行っていたカトーリカ・デル・ベーネト銀行が、バチカンの運営資金調達や資金管理などの財政を取り仕切るバチカン銀行(正式名称は「宗教事業協会」、Istituto per le Opere di Religioni/IOR)の総裁で、マフィアやロッジP2などの秘密組織と深い関係を持っていたアメリカ生まれのポール・マルチンクス大司教と、バチカン銀行の主力取引行であるアンブロシアーノ銀行のロベルト・カルヴィ頭取の、脱税と株式の不法売買のために秘密裏に売却された。

これに対してルチアーニ総大司教はバチカンに抗議をしたものの、マルチンクス大司教がパウロ6世から直々にバチカン銀行総裁に任命されていたことから、パウロ6世へ累が及ばないように巧みに抗議を行ったことなどがパウロ6世に感銘を与え、パウロ6世からの信頼を勝ち取った。この事も影響し翌年の1973年には枢機卿に選ばれた。

(略)

就任後間もなくバチカン銀行の不透明な財政についての改革を表明し、実際に、かつてカトーリカ・デル・ベーネト銀行の売却で暗闘し、その後も「ロッジP2」のリーチオ・ジェッリ代表を含むメンバーや、マフィアなどと深い関係を持ち汚職を続けていただけでなく、贋造公債の発注がFBIの捜査対象になるなど、その言動が国際的にも問題視されていたマルチンクス総裁の更迭を決めていた。

また、マルチンクス総裁以外にも、ジャン=マリー・ヴィヨ国務長官をはじめとするバチカン銀行の汚職に関係するバチカン内部の関係者の更迭を死去直前に決定し、その更迭者リストの内容をめぐって様々な噂が流れていた。

(略)

上記のような改革を表明したことが、多くのバチカン内の改革派と信者からの支持と喝采(そして対象者とその利害関係者からの抵抗と非難)を受けたにも関わらず、ヨハネ・パウロ1世は、教皇在位わずか33日目の1978年9月28日の午前4時45分にバチカン内の自室で遺体となって発見された。わずか33日の教皇在位は、20世紀に入ってから最短の在位記録となった。

通常通りの起床時間になっても起きて来ないことを不審に思った修道女によって発見された直後に、個人秘書であるマギー神父に連絡が行き、さらに午前5時にはヴィヨ国務長官に連絡が行ったものの、ヴィヨ国務長官はすぐに専属医師団を呼ばず、自らの側近に連絡した後にようやく医師団次席であるレナート・ブゾネッティ医師に連絡を行った。

その後午前6時過ぎに駆けつけたブゾネッティ医師による検死が行われたものの、遺体解剖が行われていないにもかかわらず、ブゾネッティ医師は「死亡推定時刻は27日の午後11時ころで、死因は急性心筋梗塞である」と断定し、午前7時27分にバチカン放送による逝去の発表がされた際にはこの検死内容がそのまま発表された。なおこの際には、なぜか(聖職者の私室に修道女ではあっても女性が入ってはいけないという理由で)遺体の発見者が個人秘書のマギー神父であると偽って発表され、さらに遺体発見時刻も「午前5時30分」と偽って発表された。

さらに死去後に、ヨハネ・パウロ1世の遺体発見時にベッド周辺に置かれていた眼鏡とスリッパ、就寝前に手元にあったヴィヨ国務長官やマルチンクス大司教などのバチカン銀行関係者の更迭を含むバチカンの人事異動者リスト、通常は常時用意されている遺言状が、昨日ヨハネ・パウロ1世より更迭が言い渡されたヴィヨ国務長官により持ち去られており、その後行方不明になった。

またヨハネ・パウロ1世の遺体が発見されてから15分と経たず、医師団への連絡も行われていない午前5時前には、早くもバチカン御用達の葬儀社であるシニョラッティ社に連絡が行った上に、遺体解剖も行われず、明確な死因もわからないうちから防腐処理が行われたことなど、バチカンによる「証拠隠滅」や「情報操作」と思われる行為が矢継ぎ早に行われたことが、信者やイタリア政界関係者、マスコミだけでなく、バチカン内部関係者からも大きな疑惑を呼んだ。

イタリアの有力紙である「コリエーレ・デラ・セラ」は、遺体解剖がすぐに行われなかったことを10月1日の紙面で大々的に批判した(なお、遺体解剖は防腐処理の終了後に秘密裏に行われた)。

この様に、死後間もなく不可解な証拠隠滅や情報操作が行われた上に、ヨハネ・パウロ1世によるバチカン銀行の改革と自らの追放を恐れていたマルチンクス大司教が、普段は早朝に起床することがないにも関わらず、なぜか当日午前6時45分に教皇の寝室近辺にいたこともあり、ヴィヨ国務長官やマルチンクス大司教、そしてマルチンクス大司教と関係の深かった「ロッジP2」のジェッリ代表、さらにこの2人と関係の深いアンブロシアーノ銀行のカルヴィ頭取らによる謀殺説が囁かれることになった。

このほかにもこれらの人物と近い関係にあったマフィアによる暗殺説もあり、マフィアとバチカン、イタリア政界の関係を扱った1989年公開のアメリカ映画「ゴッドファーザーPARTIII」のプロットは、この教皇の謀殺説をもとにしている。

また、2006年に発表され世界的ベストセラーとなったポルトガル人作家ルイス・ミゲル・ローシャによるミステリ小説「P2」(新潮社刊・原題 ’’O Ultimo Papa’’ )は、この教皇謀殺と秘密結社「ロッジP2」との関連をテーマにしたものである。




☆ポール・マルチンクス

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9

ポール・カシミール・マルチンクス(Paul Casimir Marcinkus、1922年1月15日 - 2006年2月20日)は、アメリカ生まれのカトリック大司教で、「バチカン銀行」の元総裁。姓は、マーチンクスとも表記する。

1971年には、ローマ教皇庁の運営資金調達と資金管理を行うバチカン銀行(正式名称は「宗教事業協会」、Istituto per le Opere di Religioni/IOR)の総裁へ就任する。なおこの頃より、アメリカのデヴィッド・M・ケネディ財務長官との親密な関係を築いた。

その後は、1975年にバチカン銀行の資金管理を行うイタリアのアンブロシアーノ銀行の頭取に就任したロベルト・カルヴィと、サルヴァトーレ・リイナやヴィト・ジェノヴェーゼなどのイタリア、アメリカの両国のマフィアとの関係が深い、ミラノのプライベートバンクの頭取であるミケーレ・シンドーナ とともに、アンブロシアーノ銀行からバチカン銀行を通じて、マフィアやイタリア政界関係者向けのマネーロンダリングや不正融資を行った。

なお、マルチンクス大司教はアメリカ在住時から、シンドーナやカルヴィが所属していた極右秘密組織「ロッジP2(Propaganda Due)」の会長で、イタリアの極右政党やCIA、さらにアルゼンチンのファン・ペロン大統領などとの関係が深かったリーチオ・ジェッリとの関係が深かった。

なおこの頃に、聖職者や低所得者層への低金利融資を行っていたカトーリカ・デル・ベーネト銀行を、アンブロシアーノ銀行のカルヴィ頭取とともに脱税と株式の不法売買のために秘密裏に売却し、アルビノ・ルチアーニ総大司教(その後枢機卿を経てヨハネ・パウロ1世教皇となった)から抗議を受けたものの、マルチンクス大司教がパウロ6世教皇(1963年-1978年)から直々にバチカン銀行総裁に任命されていたことから、この事態を乗り切ることに成功した。

しかしその後も、自らがアメリカのマフィアに対して行った贋造公債の発注がFBIの捜査対象になるなど、その聖職者らしからぬ言動がバチカン国内のみならず、国際的にも問題視されることとなった。

この様な状況を受け、パウロ6世の逝去を受けて1978年8月に教皇に就任したヨハネ・パウロ1世(1978年8月-1978年9月)は、バチカン銀行の改革を行い、同時にマルチンクス総裁をはじめとするバチカン銀行の汚職に関係する者の更迭を行うことを決定していた。

しかし、ヨハネ・パウロ1世は教皇就任後わずか33日で逝去した上に、逝去時に眼鏡とスリッパ、保存されているはずの遺言状が行方不明になっていたこと、バチカンが遺体の発見時刻を偽って発表した他、死因もわからないうちから防腐処理が行われたこと。さらに、マルチンクス大司教がヨハネ・パウロ1世逝去時の前後に教皇の居室周辺をうろついていたことが目撃されていたことなどから、バチカン銀行の改革と自らの追放を恐れたマルチンクス大司教とその協力者が、ヨハネ・パウロ1世を「暗殺」したのではないかと噂された。

なお、1978年10月にヨハネ・パウロ1世を継いで第264代ローマ教皇となったヨハネ・パウロ2世(1978年-2005年)は、前任者と打って変わってバチカン銀行の改革に熱心でなかったこともあり、その後もアンブロシアーノ銀行は、ヨハネ・パウロ2世とマルチンクス大司教の庇護の下、バチカン銀行を経由したマフィア絡みのマネーロンダリングと不正融資を続けることとなった。

しかしその後、アンブロシアーノ銀行は、マルチンクス大司教の庇護の下に行われていた、バチカン銀行を経由したマフィア絡みのマネーロンダリングと不正融資が、イタリア政府関係者やイタリアをはじめとする各国のマスコミの疑念を呼ぶこととなり、1981年から1982年にかけてイタリア中央銀行による大規模な査察を受けた結果、およそ10-15億アメリカドルに上る使途不明金を抱えていたことが明らかになり、1982年5月に破綻した。

カルヴィ頭取は、破綻直前に偽造パスポートを使い国外に逃亡していたが、同年6月17日にイギリスの首都、ロンドンのテムズ川にかかるブラック・フライアーズ橋の下で首吊り死体の姿で発見された。事件後カルヴィは「自殺」したということで処理されたものの、その後のイタリアとイギリス両国の捜査でカルヴィは自殺したのではなく暗殺されたことが証明された。

この暗殺事件は、カルヴィ頭取の「口封じ」を願ったマルチンクス大司教をはじめとしたバチカンやイタリア政財界のみならず、マフィアなどの犯罪組織や「ロッジP2」、果てはユダヤ系金融家で大富豪のジェームズ・ゴールドスミスや、ヨハネ・パウロ1世を継いでローマ教皇となったヨハネ・パウロ2世の出身国のポーランドの反体制組織「連帯」を資金援助していたCIAに至るまで様々な組織の関与が噂され、「20世紀最大の金融スキャンダル」と呼ばれ、当事者のバチカンとイタリア、イギリス両政府のみならず、全世界を揺るがす大事件となった。


また2008年には、バチカンの職員の娘であるエマヌエーラ・オルランディが1983年6月22日に誘拐されたものの、現在も行方不明となっている未解決の事件に「マルチンクスが首謀者として関係していた」という証言がマフィアの大ボスの元愛人によって行われた(なおロベルト・カルヴィの息子のカルロ・カルヴィは、「この誘拐事件は、アンブロシアーノ銀行破綻やカルヴィ暗殺事件についてバチカンが『余計な証言』を行わないように脅迫するために起こされたものである」との見解を表明している)。

マルチンクスはこれらの一連の事件の中心的人物としての関与が噂された上、それ以外にも多数のマフィアがらみの金融犯罪への関与も噂され、実際にカルヴィが暗殺された翌年の1983年には、「アンブロシアーノ銀行の破綻の責任者である」としてイタリア検察から逮捕状が出た。

しかし、その後バチカンという「外国籍」のマルチンクスに対する逮捕状は無効とされ、その後もマルチンクスに対する捜査の手が及ぶことなく、1989年までヨハネ・パウロ2世の庇護のもとでバチカン銀行の総裁を勤めた。

その後1990年にすべての職を辞しアメリカへ戻ったものの、全てのマスコミからの取材を拒否し続けた。その後もこれらの一連の事件についての証言は全く行わないままに、2006年にアリゾナ州のサンシティの自宅で死去した。

この様な大スキャンダルに見舞われたものの、バチカン銀行はその後も主要取引銀行を介して度々マネーロンダリングなどの違法な取引にかかわったと指摘されている。近年も2009年11月と2010年9月の2度に渡り、バチカン銀行とエットーレ・ゴッティ・テデスキ(イタリア語版)総裁が主要取引行の1つのクレーディト・アルティジャーノ銀行を介したマネーロンダリングを行ったとの報告を受けたイタリアの司法当局が捜査を行い、捜査の過程で2300万ユーロの資産が押収されている。



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