☆小山宗祐牧師:獄死70年 「命かけて信仰守った」 記念礼拝、函館で26日 /北海道 (毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120319-00000001-mailo-hok
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42年1月、護国神社への戦勝祈願参拝を拒否したなどとして、不敬罪などの容疑で憲兵隊に連行され、2カ月後の3月26日未明、拘置所内で死亡した。遺体の首には縄が巻き付き、全身に多くの傷があったとされ、真相は今もはっきりしない。
☆小山宗祐
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%AE%97%E7%A5%90
小山 宗祐、(こやま そうすけ、1916年1月21日-1941年3月23日)は、ホーリネス派の日本聖教会、函館聖教会の牧師補であった。
和歌山県牟婁郡田辺町江川本町に生まれる。大阪西野田教会にて小出朋治牧師から洗礼を受けた。大阪美術学校を中退し、東京聖書学校に入学。1941年1月、護国神社の参拝を拒否したとして、地域社会に密告され、憲兵隊に検挙された。第一公判の翌朝死亡したとして、家族に遺体が返却された。日本の警察の発表では獄中で縊死自殺したとされたが、遺体に酷い拷問の痕があったため、官憲に拷問で殺されたとも言われている。もと東京聖書学校の校長米田豊牧師は、彼が自殺することは信仰的、物理的に無理で、あるいは自殺するように仕向けられたのだろうと語った。彼を知るマックノートン宣教師も自殺を否定した。金田隆一も拷問死説をとっている。遺体は「獄衣の下に着ていたと思われる浴衣がどす黒く血塗れでべったりと張り付いて」いた。
小山牧師補が牧会していた教会はその後に閉鎖された。死去したとき、大阪には教会で知り合った彼の婚約者がいた。