☆首相、タクシー運転手に=国民の本音聴きたい…―ノルウェー
(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130812-00000011-jij-eurp
http://www.peeep.us/795ad080
車載カメラによる映像をネット上で公開し「人々が本心で何を考えているか知ることが重要だ。本音を話せる場所はどこか。タクシーの中だ」と首相は訴えている。
《おまけ》
☆隠密
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E5%AF%86
多くの隠密を用いたのは徳川家光・徳川家綱時代の老中・松平信綱と大目付・中根正盛である。特に中根は配下の廻国者で組織している隠密機関を幕閣という政府組織の一角に機関として組織化した。
慶安の変の際には、隠密機関の活躍により武功派で幕閣に批判的であったとされる紀州藩主・徳川頼宣を幕政批判の首謀者とし失脚させ、武功派勢力の崩壊・一掃させた。
代表的なものは、徳川吉宗が紀州藩より連れてきた御庭番である。御庭番は公式には江戸城の奥庭を管理する役職であったが、実際には将軍や老中以下幕閣の命を受けて隠密活動に従事した。
他にも目付支配下の徒目付・小人目付、勘定奉行支配下の普請役・鳥見役人などが隠密活動に従事していた。彼らは身分的には低かったが、植村政勝・村垣範正など御庭番出身で歴史に名を残した人物も存在する。
また、間宮林蔵も晩年は幕府の隠密になったとされ、竹島事件やシーボルト事件などに関与したといわれている。
また、町奉行の同心が行っていた三廻のうちに江戸市中の風説を調査する「隠密廻」が存在していた。
諸藩においても下級武士などが隠密役に任じられて領内外の情勢を探らせていた。
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2013年8月12日月曜日
【脱原発】日本の国会議員たち(数は不明)が「原発国民投票」を実施したイタリアを視察
☆議員約100人、38か国へ…続々と海外視察 (読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130811-OYT1T00185.htm
http://www.peeep.us/d113091f
常任委員会以外でも、憲法審査会が原発問題で11年に国民投票を実施したイタリアなどを訪問する。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130811-OYT1T00185.htm
http://www.peeep.us/d113091f
常任委員会以外でも、憲法審査会が原発問題で11年に国民投票を実施したイタリアなどを訪問する。
将棋ファン「関東在住棋士と関西在住棋士の顔色がかなり違う」
208 名前:地震雷火事名無し(大阪府)
投稿日:2013/08/11(日) 17:05:48.38 ID:FtEFgRRL0
将棋番組見ていると、
関東棋士は顔が黒くて浮腫んでいて、
関西棋士は普通
最近対比が大きくなってきている
投稿日:2013/08/11(日) 17:05:48.38 ID:FtEFgRRL0
将棋番組見ていると、
関東棋士は顔が黒くて浮腫んでいて、
関西棋士は普通
最近対比が大きくなってきている
2013年8月11日日曜日
【美容院効果】女性週刊誌による「山本太郎バッシング」は予想以上にダメージが大きそうだ
「女性誌。今でも、美容院、病院の待合室には付き物です」
「女性誌。今でも、美容院、病院の待合室には付き物です」
「女性誌。今でも、美容院、病院の待合室には付き物です」
☆山本太郎、円満な協議離婚 原因は市民運動によるすれ違いか
(女性セブン)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130811-00000011-pseven-ent
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/379.html
「若い妻を守る山本さんに、脱原発で政府と闘うだけでなく、家庭でも正義のヒーローという感じを受けた人も多かったでしょう。それがたった3か月で離婚していたというのを、選挙が終わったいまになって明かすなんて、有権者にしてみればだまされた気分ですよね」(全国紙記者)
↓
《ある女性からのメール》
女性誌。今でも、美容院、病院の待合室には付き物です。ふだん雑誌を読まない母も、読んできては…教えてくれます。スピード離婚より、隠していた事が…高齢者には問題かもしれないですね。。バッシングは、雑誌の数、一巡したら終わるのかな…。
「女性誌。今でも、美容院、病院の待合室には付き物です」
「女性誌。今でも、美容院、病院の待合室には付き物です」
☆山本太郎、円満な協議離婚 原因は市民運動によるすれ違いか
(女性セブン)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130811-00000011-pseven-ent
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/379.html
「若い妻を守る山本さんに、脱原発で政府と闘うだけでなく、家庭でも正義のヒーローという感じを受けた人も多かったでしょう。それがたった3か月で離婚していたというのを、選挙が終わったいまになって明かすなんて、有権者にしてみればだまされた気分ですよね」(全国紙記者)
↓
《ある女性からのメール》
女性誌。今でも、美容院、病院の待合室には付き物です。ふだん雑誌を読まない母も、読んできては…教えてくれます。スピード離婚より、隠していた事が…高齢者には問題かもしれないですね。。バッシングは、雑誌の数、一巡したら終わるのかな…。
【汚染範囲がさらに拡大か】福島第1原発は新設井戸からも汚染水を検出
☆第1原発、新設井戸も汚染水検出 汚染範囲拡大の可能性も
(共同通信)
http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013081101001656.html
東京電力は11日、福島第1原発1号機の海側に新設した汚染の観測用井戸で、地下水から放射性物質のトリチウムを1リットル当たり3万4千ベクレル検出したと発表した。
(共同通信)
http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013081101001656.html
東京電力は11日、福島第1原発1号機の海側に新設した汚染の観測用井戸で、地下水から放射性物質のトリチウムを1リットル当たり3万4千ベクレル検出したと発表した。
【超保守二大政党制へ】前原誠司氏が民主党・維新・みんなの党の連携強化を提唱
☆「民維み連携必要」と前原氏 野党再編で (共同通信)
http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013081101001380.html
民主党の前原誠司元代表は11日のフジテレビ番組で、野党再編に向け民主党、日本維新の会、みんなの党の3党間で連携を進める必要があるとの認識を示した。
http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013081101001380.html
民主党の前原誠司元代表は11日のフジテレビ番組で、野党再編に向け民主党、日本維新の会、みんなの党の3党間で連携を進める必要があるとの認識を示した。
【標的はB層】女性セブン(小学館)が「山本太郎バッシング」記事を掲載した
適菜収(作家・哲学者)
https://twitter.com/tekina_osamu/status/366110454113767424
今、日本を動かしているのは誰だと思いますか? 内閣総理大臣ですか? 財務官僚ですか? アメリカですか? いいえ、違います。 B層です。
☆山本太郎、円満な協議離婚 原因は市民運動によるすれ違いか
(女性セブン)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130811-00000011-pseven-ent
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/379.html
「若い妻を守る山本さんに、脱原発で政府と闘うだけでなく、家庭でも正義のヒーローという感じを受けた人も多かったでしょう。それがたった3か月で離婚していたというのを、選挙が終わったいまになって明かすなんて、有権者にしてみればだまされた気分ですよね」(全国紙記者)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
☆飯島元秘書官が安倍官邸へ 首相補佐官に衛藤氏
(2012年12月26日のスポーツニッポン)
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/12/25/kiji/K20121225004853320.html
http://www.asyura2.com/12/senkyo141/msg/748.html
自民党の安倍晋三総裁は25日、小泉純一郎元首相の政務秘書官を務めた飯島勲氏を内閣官房参与に起用する方針を固めた。
(略)
飯島氏は特命担当として非常勤で広報や危機管理面でのアドバイスを受け持つ予定。小泉政権時代は党内外への幅広い情報網で小泉氏を支えた。
《飯島勲氏は「B層対策」のエキスパートである》
「小泉純一郎」演出家 「飯島勲 首相政務秘書官」
http://www.taka-watch.com/nikkei-main66.htm
マンガ本、スポーツ紙、婦人雑誌の取材に、最優先で応じてきた。
国民の70%は、政治面の記事をあまり読まない。そこにどう語りかけるか。小泉が自民党総裁選に初出馬した1995年秋から、長期的に考え、新聞以外の取材に積極的に応じてきた。
茶髪の若者たちら、政治にほど遠かった国民が、今の小泉を支えている。
(略)
ワイドショーに女性誌、政治に遠い層がターゲット。これぞ小泉流メディア戦略。
新聞よりテレビの方が人の目に触れる機会が多いし、印象も強く残りますよね。
できるだけ国民の前に露出しようという狙いなのです。
テレビや一般紙だけでなく、スポーツ紙や女性誌はじめあまり政治を取り上げなかった雑誌にもどんどん出よう、というアグレッシブな姿勢も小泉さんの特徴。
(略)
飯島首相政務秘書官のメディア戦略は、「ミーハー」のレッテルを厭わず、新聞などの硬派メディアではなく、テレビ、女性誌、スポーツ紙、夕刊紙、マンガ本などの大衆メディアを積極的に利用することである。
しかし、そのように大衆を誘導して獲得された小泉内閣の高支持率ではあっても、政治の世界においてはその本質部分で有効な劇的効果を発揮することを可能とさせる。
https://twitter.com/tekina_osamu/status/366110454113767424
今、日本を動かしているのは誰だと思いますか? 内閣総理大臣ですか? 財務官僚ですか? アメリカですか? いいえ、違います。 B層です。
☆山本太郎、円満な協議離婚 原因は市民運動によるすれ違いか
(女性セブン)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130811-00000011-pseven-ent
http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/379.html
「若い妻を守る山本さんに、脱原発で政府と闘うだけでなく、家庭でも正義のヒーローという感じを受けた人も多かったでしょう。それがたった3か月で離婚していたというのを、選挙が終わったいまになって明かすなんて、有権者にしてみればだまされた気分ですよね」(全国紙記者)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
☆飯島元秘書官が安倍官邸へ 首相補佐官に衛藤氏
(2012年12月26日のスポーツニッポン)
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/12/25/kiji/K20121225004853320.html
http://www.asyura2.com/12/senkyo141/msg/748.html
自民党の安倍晋三総裁は25日、小泉純一郎元首相の政務秘書官を務めた飯島勲氏を内閣官房参与に起用する方針を固めた。
(略)
飯島氏は特命担当として非常勤で広報や危機管理面でのアドバイスを受け持つ予定。小泉政権時代は党内外への幅広い情報網で小泉氏を支えた。
《飯島勲氏は「B層対策」のエキスパートである》
「小泉純一郎」演出家 「飯島勲 首相政務秘書官」
http://www.taka-watch.com/nikkei-main66.htm
マンガ本、スポーツ紙、婦人雑誌の取材に、最優先で応じてきた。
国民の70%は、政治面の記事をあまり読まない。そこにどう語りかけるか。小泉が自民党総裁選に初出馬した1995年秋から、長期的に考え、新聞以外の取材に積極的に応じてきた。
茶髪の若者たちら、政治にほど遠かった国民が、今の小泉を支えている。
(略)
ワイドショーに女性誌、政治に遠い層がターゲット。これぞ小泉流メディア戦略。
新聞よりテレビの方が人の目に触れる機会が多いし、印象も強く残りますよね。
できるだけ国民の前に露出しようという狙いなのです。
テレビや一般紙だけでなく、スポーツ紙や女性誌はじめあまり政治を取り上げなかった雑誌にもどんどん出よう、というアグレッシブな姿勢も小泉さんの特徴。
(略)
飯島首相政務秘書官のメディア戦略は、「ミーハー」のレッテルを厭わず、新聞などの硬派メディアではなく、テレビ、女性誌、スポーツ紙、夕刊紙、マンガ本などの大衆メディアを積極的に利用することである。
しかし、そのように大衆を誘導して獲得された小泉内閣の高支持率ではあっても、政治の世界においてはその本質部分で有効な劇的効果を発揮することを可能とさせる。
【危機的状況】山本太郎議員の周囲には「失脚を回避」するための処世を助言する人物がいない
※ こんなことをやれば、遅かれ早かれ「失脚」させられるに決まっている。
↓
☆山本太郎議員の姿も…共産党創立91周年講演会
(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/news/20130810-OYT1T00790.htm
http://www.peeep.us/d50ab069
共産党は10日、東京都内で党創立91周年記念講演会を開いた。
(略)
会場には党関係者ら約1800人が集まり、先の参院選で初当選した山本太郎参院議員(無所属)も傍聴に訪れた。
☆「本当の最大野党は共産党だ」山本太郎参院議員
(朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0810/TKY201308100185.html
http://www.webcitation.org/6ImAAkhyv
広くつながっていかないと(政治を)変えていけない。その中で共産党は大きな力を持つだろう。本当の意味での野党の最大勢力は共産党だ。日本維新の会やみんなの党は自民党の補完勢力でしかない。反対勢力が一つになることが必要だなと、志位委員長のお話を聞いてより強く思いました。
(共産党創立91周年記念講演の会場で記者団に)
ソトン
https://twitter.com/thoton/status/366234086957780993
来月には山本太郎さんと吉良さん(注:共産党の吉良よし子参院議員)との会談も実現するらしいので、両者がいい関係を築けるといいですね。
《米国の「虎の尾」を踏めば首相ですら失脚する》
☆田中角栄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84
1972年(昭和47年)9月
日米首脳会談後に中華人民共和国を訪問。首都北京で周恩来首相や毛沢東国家主席と会談。9月29日、両国の共同声明により日中国交正常化が実現し、日華平和条約の終了を確認。
(略)
同日、中華民国が対日国交断絶を発表。
1974年(昭和49年)
10月:
月刊誌『文藝春秋』で「田中角栄研究」「淋しき越山会の女王」が掲載。立花隆らが金脈問題を追及する。
11月:
日本外国特派員協会における外国人記者との会見や、国会での追及を受け、第2次内閣改造後に総辞職を表明。
1976年(昭和51年)
2月:
ロッキード事件発生。アメリカの上院外交委員会で、ロッキード社による航空機売り込みの国際的リベート疑惑が浮上。7月27日に、同社による全日本空輸に対する売りこみにおける5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑により、秘書の榎本敏夫などと共に逮捕される。首相経験者の政治家が逮捕されるのは昭和電工事件の芦田均以来。逮捕時に自民党を離党し、以後無所属に。
☆ロッキード事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ロッキード事件はアメリカ合衆国の当局が仕掛けた陰謀だ、という説がある。 ホワイトハウス在住記者ジュリー・ムーン(文明子)がヘンリー・キッシンジャー国務長官に「ロッキード事件はあなたが起こしたんじゃないんですか?」と問いただしたところ、キッシンジャーは「オフ・コース(もちろんだ)」と答えている。
中曽根康弘は自著で、事件当時のジェラルド・フォード政権の国務長官であったヘンリー・キッシンジャーが東京に来た際、『ロッキード事件をあのように取り上げたのは間違いだった』と中曽根に語り、「キッシンジャーはこういうことはやるべきでなかったと反対したらしい」と記述している。さらに同著では「ロッキード事件の原点は角栄の石油政策にある」とも述べている。
その他にも、この事件が発覚する過程において、贈賄側証人として嘱託尋問で証言したロッキード副社長のコーチャンと元東京駐在事務所代表・クラッターが、無罪どころか起訴すらされていない点、ロッキード社の内部資料が誤って上院多国籍企業小委員会に誤配されたとされる点など、事件に関連していくつもの不可解な点があったため、ソビエト連邦やアラブ諸国からのエネルギー資源の直接調達を進める田中の追い落としを狙った石油メジャーとアメリカ政府の陰謀だったとする説、
または中華人民共和国と急接近していた田中を快く思っていなかったアメリカ政府が田中を排除する意味があったとする説が田原総一朗の書いた記事などで当時から有力だが、
田中による中華人民共和国との国交成立に反発していた右翼や自民党福田派、その他、田中の政治手法を良しとしない者達が警察と絡んで仕組んだ陰謀説もある。
(略)
1回目の受け渡し場所については、当初押収した手帳に、8月10日の午後にイギリス大使館裏にあるレストラン「村上開新堂」に行く旨書いてあったため、その事を追及したところ「村上開新堂に菓子の引き取りに行った」と証言した。しかしその後、法廷で同店の経営者の村上寿美子が、8月10日に同店が夏休みで閉店していたことを証言したため、証言の信頼性が崩れた。
3回目の受け渡し場所の駐車場があるホテルオークラでは、調書の授受時刻にその駐車場前の宴会場で、前尾繁三郎を激励する会が開かれており、数多くの政財界人やマスコミの人間がいた。したがって、調書通りならば、顔見知りにあいかねない場所で伊藤と榎本が金のやり取りをしたことになる。
また、この日は記録的大雪であり、調書が真実なら、伊藤と榎本は雪の降りしきる野外駐車場で30分以上も立ち話をしていたことになるが、誰の口からも雪という言葉は出ていない。
田原総一朗が、伊藤の運転手である松岡克浩にインタビューしたところ、松岡自身は金銭授受の記憶がなかったが、取調べで伊藤の調書を見せられそんなこともあったかもしれないと曖昧に検察の指示に従ったと述べ、さらに検察によって3回も受け渡し場所が変更させられたと証言している。
松岡は、当初検事の命令に従い、ホテルオークラの正面玄関前に止まっている2台の車を書いたが、その後、検察事務官に「ホテルオークラの玄関前は右側と左側に駐車場がある。あなたが言っていた場所は左側だ」と訂正を求め、しばらくして、また検察事務官がやってきて、今度は5階の正面玄関から1階の入り口の駐車場に変えさせられたとしている。
また、当初伊藤も松岡とほぼ同じ絵を描いており、松岡の調書が変更された後、伊藤の調書も同様に変更させられた。田原は、「打ち合わせがまったくなく、両者が授受の場所を間違え、後で、そろって同じ場所に訂正するなんてことが、あり得るわけがない。検事が強引に変えたと判断するしかありません。百歩譲ってそのようなことが偶然起こり得たとしても、この日の受け渡し場所の状況を考えると、検事のでっち上げとしか考えられない」としている。
田原が、榎本にインタビューしたところ、榎本は4回の授受は検察が作り上げたストーリーだと明言した上で、5億円を受け取ったこと自体は否定せず、丸紅からの「田中角栄が総理に就任した祝い金」という政治献金として、伊藤の自宅で受け取ったと証言している。また、田原は伊藤にもインタビューしているが、伊藤はせいぜい罪に問われても政治資金規正法違反だと踏んでいた。検察から攻め立てられ、受け取ったのは事実だから、場所はどこでも五十歩百歩と考えるようになり、検察のでたらめに応じたと答えている。
そして、田原が、事件の捜査を担当した東京地検特捜部検事の一人に取材した結果、匿名を条件に「丸紅の伊藤宏が、榎本敏夫にダンボール箱に入った金を渡した4回の場所については、どうも辻褄が合わない。被疑者の一人が嘘を喋り、担当検事がそれに乗ってしまった。いままで誰にも言っていないけれど、そうとしか考えられない」と述べた。
さらに、事件が発覚したときに渡米し、資料の入手やロッキード社のコーチャン、クラッターの嘱託尋問に奔走した検事の堀田力は、「受け渡し場所はもともと不自然で子供っぽいというか、素人っぽいというか。おそらく大金の授受などしたことがない人が考えたとしか思えない」と語り、その不自然さを認めている。
☆日米関係を巡る激変はとうとうロッキード事件にまで
(ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報。2010年2月12日)
http://amesei.exblog.jp/10761884
http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/335.html
中曽根の盟友であるキッシンジャー国務長官は、韓国系ジャーナリストの「ロッキード事件はあなたが仕掛けたものか」との問いに「オフコース(もちろんだ)」と答えていた。(韓国系ジャーナリスト文明子女史の著書に記述がある)
☆ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書
(2010年2月12日の朝日新聞)
http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/307.html
中曽根氏は三木首相の方針を「苦しい政策」と評し、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と言ったとされる。
(略)
中曽根氏はその際、「田中」と現職閣僚の2人が事件に関与しているとの情報を得たと明かした上で、「三木首相の判断によれば、もしこれが公表されると、三木内閣の崩壊、選挙での自民党の完全な敗北、場合によっては日米安保の枠組みの破壊につながる恐れがある」と指摘したとされる。
《山本太郎議員は「脱税の疑い」で失脚させられる可能性もある》
☆財務省上層部が小沢一郎調査班発足させる指示出したとの情報
(週刊ポスト。2012年3月9日号)
http://www.news-postseven.com/archives/20120227_90718.html
http://www.peeep.us/68342a30
国税庁関係者は小沢調査班結成の意味をこう受け止めている。
「今になって料調を動かすというのは、財務省の上層部が、小沢氏に無罪判決が出た場合に備えて脱税容疑の調査に乗り出したことを意味する」
アルルの男 (2010年1月19日)
http://twitter.com/bilderberg54/status/7943768356
何も見つからないでも、連日、様々なところにガサを掛けるという可能性もある。そして、夕刊フジの鈴木棟一連載によれば、「国税の応援が入った」と書いてある。事実とすれば、手段をいとわず調べるという意味ではないか。この恐ろしさを理解せずに、世論調査に答えている”大衆”がかなり居るのでは?
☆特捜部、小沢捜査続行 国税当局とタッグで“リベンジ”へ
(2010年2月4日の夕刊フジ)
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20100204/dms1002041233001-n2.htm
http://www.asyura2.com/10/senkyo79/msg/516.html
特捜部と国税当局はこれまでも連携してきた。
自民党時代、小沢氏の後見人だった金丸信元副総裁は1993年、特捜部と国税当局による潜行捜査で、億単位の不正蓄財を発見され、脱税事件として摘発されている。特捜部はこの再現でも狙っているのか。
☆金丸信
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E4%B8%B8%E4%BF%A1
一方、東京国税局は、金丸信の妻が死亡した際に受け取った遺産に着目、日本債券信用銀行(日債銀。現あおぞら銀行)の割引金融債「ワリシン」の一部が申告されていないという事実を突き止めた(日債銀内では、金丸を“蟷螂紳士”のコードネームで呼び、申告漏れに協力していた)。
1993年3月6日、東京地検は金丸本人と秘書を任意に呼び出して聴取を行い、同日脱税の容疑で逮捕。
後に、自宅へ家宅捜索を行ったところ、数十億の不正蓄財が発覚する。捜索の中、時価1千万円相当の金塊が発見された。”金丸が訪朝の際、金日成から受領した無刻印のもの”と風評されたが、実際には刻印のあるフォーナイン(純度99.99%の金)であったとされる(朝日新聞記者の村山治『特捜検察VS金融権力』)このフォーナインは「麻原彰晃が上九一色村の本部に隠し持っていた金塊と、刻印番号が接近している」との噂もあった。
これが止めとなって同情論は消え、権威は地に堕ちた。
金丸は、来るべき政界再編の軍資金であると述べたというが、真相は不明である。
《危険人物は「弱小勢力」のうちに潰して将来の禍根を絶つのが鉄則》
☆范増
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E5%A2%97
劉邦が咸陽で略奪などを行わなかったことを、范増は「天下を狙う大望有るゆえ」と察知し、劉邦を殺すよう項羽に進言した。項羽も最初は激怒して劉邦を殺そうとしていたが、親族である項伯のとりなしにより、劉邦と面談することにした。有名な「鴻門の会」である。
この会の途中で、范増は幾度も項羽らに劉邦暗殺を行うように指示したが、張良や項伯や樊噲などに妨げられ、また項羽も決断できなかったため、結局劉邦を生きて帰らせてしまう。
会の後で、范増は劉邦を暗殺できなかったことを悔しがり「豎子、ともに謀るに足らず!」(小僧とは一緒に謀を行うことができない!)と叫び、劉邦から贈られた器を叩きつけて壊した(豎子とは項羽を指す)。
☆鴻門の会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%BB%E9%96%80%E3%81%AE%E4%BC%9A
項羽は宴会を始め、項羽・項伯は東に向いて上座に座った。范増は南向き、劉邦は北向き、張良は西向きにそれぞれ座った。宴会中、范増は項羽に目配せして、劉邦を斬るよう合図を送った。
そもそも劉邦を陣中に入れたこと自体が謀叛を大義名分として斬ることを目的としたもので、彼を項羽のライバルとして警戒する范増が強く進言したものだった。
しかし、劉邦が卑屈な態度を示し続けていたので、項羽は討つ気が失せ、一向に動かなかった。
三度合図を送っても全く動かなかったので、范増は一旦中座して項荘を呼び、祝いの剣舞と称して劉邦に近づき、斬るよう命じた。
これを受けて項荘は剣舞を始めたが、企みに勘づいた項伯も相方として剣舞を始め、項荘を遮り続けた。
この時、張良も中座し、陣外に待機していた樊噲に事態の深刻さを伝えた。樊噲は髪を逆立てて護衛の兵士を盾ではじき飛ばし宴席に突入。「戦勝の振る舞いがない!お流れを頂戴致したく願います!」と項羽をにらみつけ、その凄まじい剣幕に剣舞が中止となる。
項羽はその豪傑ぶりに感心し、大きな盃に酒をなみなみと注いで渡すと、樊噲はそれを一気に飲み干した。更に、豚の生肩肉を丸々一塊出すと、樊噲は盾をまな板にして帯びていた剣でその肉を切り刻み、平らげた。
ここで項羽がもう一杯と酒を勧めると、樊噲は「私は死すら恐れませんのに、どうして酒を断る理由がありましょうか。秦王は暴虐で、人々は背きました。懐王は諸将に、先に咸陽に入ったものを王にすると約束しました。沛公は先に咸陽に入りましたが、宝物の略奪もせず、覇上に軍をとどめ、将軍(項羽のこと)の到着を待っていました。関に兵を派遣したのも、盗賊と非常時に備えるためです。未だに恩賞もないのに、讒言を聞き入れて功ある人を殺すというのは、秦の二の舞ではありませんか」と述べた。これに対して項羽は返す言葉がなく、「それほど心配なら、ここに座っても良いぞ」と言うのみだった。
その後、劉邦が席を立ったまま戻ってこないので、項羽は陳平に命じて劉邦を呼びに行かせたが、劉邦は樊噲と共に鴻門をすでに去り、自陣に到着していた。この際、張良は、劉邦が酒に酔いすぎて失礼をしてしまいそうなので中座したと項羽に謝罪し、贈り物を渡すと自らも辞去した。
贈り物を前にした項羽はご機嫌だったが、范増は情に負けて将来の禍根を絶つ千載一遇の機会を逃した項羽に対し「こんな小僧と一緒では、謀ることなど出来ぬ!」と激怒し、贈り物の玉斗を自らの剣で砕く。
さらに深い嘆息をもらして、劉邦を討ち取る事ができなかったので、「そのうち天下は必ず劉邦に奪われ、我らは捕虜となってしまうだろう」と嘆いた。劉邦は自軍に戻ると、さっそく項羽に讒言をした曹無傷を誅殺した。
↓
☆山本太郎議員の姿も…共産党創立91周年講演会
(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/news/20130810-OYT1T00790.htm
http://www.peeep.us/d50ab069
共産党は10日、東京都内で党創立91周年記念講演会を開いた。
(略)
会場には党関係者ら約1800人が集まり、先の参院選で初当選した山本太郎参院議員(無所属)も傍聴に訪れた。
☆「本当の最大野党は共産党だ」山本太郎参院議員
(朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0810/TKY201308100185.html
http://www.webcitation.org/6ImAAkhyv
広くつながっていかないと(政治を)変えていけない。その中で共産党は大きな力を持つだろう。本当の意味での野党の最大勢力は共産党だ。日本維新の会やみんなの党は自民党の補完勢力でしかない。反対勢力が一つになることが必要だなと、志位委員長のお話を聞いてより強く思いました。
(共産党創立91周年記念講演の会場で記者団に)
ソトン
https://twitter.com/thoton/status/366234086957780993
来月には山本太郎さんと吉良さん(注:共産党の吉良よし子参院議員)との会談も実現するらしいので、両者がいい関係を築けるといいですね。
《米国の「虎の尾」を踏めば首相ですら失脚する》
☆田中角栄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84
1972年(昭和47年)9月
日米首脳会談後に中華人民共和国を訪問。首都北京で周恩来首相や毛沢東国家主席と会談。9月29日、両国の共同声明により日中国交正常化が実現し、日華平和条約の終了を確認。
(略)
同日、中華民国が対日国交断絶を発表。
1974年(昭和49年)
10月:
月刊誌『文藝春秋』で「田中角栄研究」「淋しき越山会の女王」が掲載。立花隆らが金脈問題を追及する。
11月:
日本外国特派員協会における外国人記者との会見や、国会での追及を受け、第2次内閣改造後に総辞職を表明。
1976年(昭和51年)
2月:
ロッキード事件発生。アメリカの上院外交委員会で、ロッキード社による航空機売り込みの国際的リベート疑惑が浮上。7月27日に、同社による全日本空輸に対する売りこみにおける5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑により、秘書の榎本敏夫などと共に逮捕される。首相経験者の政治家が逮捕されるのは昭和電工事件の芦田均以来。逮捕時に自民党を離党し、以後無所属に。
☆ロッキード事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ロッキード事件はアメリカ合衆国の当局が仕掛けた陰謀だ、という説がある。 ホワイトハウス在住記者ジュリー・ムーン(文明子)がヘンリー・キッシンジャー国務長官に「ロッキード事件はあなたが起こしたんじゃないんですか?」と問いただしたところ、キッシンジャーは「オフ・コース(もちろんだ)」と答えている。
中曽根康弘は自著で、事件当時のジェラルド・フォード政権の国務長官であったヘンリー・キッシンジャーが東京に来た際、『ロッキード事件をあのように取り上げたのは間違いだった』と中曽根に語り、「キッシンジャーはこういうことはやるべきでなかったと反対したらしい」と記述している。さらに同著では「ロッキード事件の原点は角栄の石油政策にある」とも述べている。
その他にも、この事件が発覚する過程において、贈賄側証人として嘱託尋問で証言したロッキード副社長のコーチャンと元東京駐在事務所代表・クラッターが、無罪どころか起訴すらされていない点、ロッキード社の内部資料が誤って上院多国籍企業小委員会に誤配されたとされる点など、事件に関連していくつもの不可解な点があったため、ソビエト連邦やアラブ諸国からのエネルギー資源の直接調達を進める田中の追い落としを狙った石油メジャーとアメリカ政府の陰謀だったとする説、
または中華人民共和国と急接近していた田中を快く思っていなかったアメリカ政府が田中を排除する意味があったとする説が田原総一朗の書いた記事などで当時から有力だが、
田中による中華人民共和国との国交成立に反発していた右翼や自民党福田派、その他、田中の政治手法を良しとしない者達が警察と絡んで仕組んだ陰謀説もある。
(略)
1回目の受け渡し場所については、当初押収した手帳に、8月10日の午後にイギリス大使館裏にあるレストラン「村上開新堂」に行く旨書いてあったため、その事を追及したところ「村上開新堂に菓子の引き取りに行った」と証言した。しかしその後、法廷で同店の経営者の村上寿美子が、8月10日に同店が夏休みで閉店していたことを証言したため、証言の信頼性が崩れた。
3回目の受け渡し場所の駐車場があるホテルオークラでは、調書の授受時刻にその駐車場前の宴会場で、前尾繁三郎を激励する会が開かれており、数多くの政財界人やマスコミの人間がいた。したがって、調書通りならば、顔見知りにあいかねない場所で伊藤と榎本が金のやり取りをしたことになる。
また、この日は記録的大雪であり、調書が真実なら、伊藤と榎本は雪の降りしきる野外駐車場で30分以上も立ち話をしていたことになるが、誰の口からも雪という言葉は出ていない。
田原総一朗が、伊藤の運転手である松岡克浩にインタビューしたところ、松岡自身は金銭授受の記憶がなかったが、取調べで伊藤の調書を見せられそんなこともあったかもしれないと曖昧に検察の指示に従ったと述べ、さらに検察によって3回も受け渡し場所が変更させられたと証言している。
松岡は、当初検事の命令に従い、ホテルオークラの正面玄関前に止まっている2台の車を書いたが、その後、検察事務官に「ホテルオークラの玄関前は右側と左側に駐車場がある。あなたが言っていた場所は左側だ」と訂正を求め、しばらくして、また検察事務官がやってきて、今度は5階の正面玄関から1階の入り口の駐車場に変えさせられたとしている。
また、当初伊藤も松岡とほぼ同じ絵を描いており、松岡の調書が変更された後、伊藤の調書も同様に変更させられた。田原は、「打ち合わせがまったくなく、両者が授受の場所を間違え、後で、そろって同じ場所に訂正するなんてことが、あり得るわけがない。検事が強引に変えたと判断するしかありません。百歩譲ってそのようなことが偶然起こり得たとしても、この日の受け渡し場所の状況を考えると、検事のでっち上げとしか考えられない」としている。
田原が、榎本にインタビューしたところ、榎本は4回の授受は検察が作り上げたストーリーだと明言した上で、5億円を受け取ったこと自体は否定せず、丸紅からの「田中角栄が総理に就任した祝い金」という政治献金として、伊藤の自宅で受け取ったと証言している。また、田原は伊藤にもインタビューしているが、伊藤はせいぜい罪に問われても政治資金規正法違反だと踏んでいた。検察から攻め立てられ、受け取ったのは事実だから、場所はどこでも五十歩百歩と考えるようになり、検察のでたらめに応じたと答えている。
そして、田原が、事件の捜査を担当した東京地検特捜部検事の一人に取材した結果、匿名を条件に「丸紅の伊藤宏が、榎本敏夫にダンボール箱に入った金を渡した4回の場所については、どうも辻褄が合わない。被疑者の一人が嘘を喋り、担当検事がそれに乗ってしまった。いままで誰にも言っていないけれど、そうとしか考えられない」と述べた。
さらに、事件が発覚したときに渡米し、資料の入手やロッキード社のコーチャン、クラッターの嘱託尋問に奔走した検事の堀田力は、「受け渡し場所はもともと不自然で子供っぽいというか、素人っぽいというか。おそらく大金の授受などしたことがない人が考えたとしか思えない」と語り、その不自然さを認めている。
☆日米関係を巡る激変はとうとうロッキード事件にまで
(ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報。2010年2月12日)
http://amesei.exblog.jp/10761884
http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/335.html
中曽根の盟友であるキッシンジャー国務長官は、韓国系ジャーナリストの「ロッキード事件はあなたが仕掛けたものか」との問いに「オフコース(もちろんだ)」と答えていた。(韓国系ジャーナリスト文明子女史の著書に記述がある)
☆ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書
(2010年2月12日の朝日新聞)
http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/307.html
中曽根氏は三木首相の方針を「苦しい政策」と評し、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と言ったとされる。
(略)
中曽根氏はその際、「田中」と現職閣僚の2人が事件に関与しているとの情報を得たと明かした上で、「三木首相の判断によれば、もしこれが公表されると、三木内閣の崩壊、選挙での自民党の完全な敗北、場合によっては日米安保の枠組みの破壊につながる恐れがある」と指摘したとされる。
《山本太郎議員は「脱税の疑い」で失脚させられる可能性もある》
☆財務省上層部が小沢一郎調査班発足させる指示出したとの情報
(週刊ポスト。2012年3月9日号)
http://www.news-postseven.com/archives/20120227_90718.html
http://www.peeep.us/68342a30
国税庁関係者は小沢調査班結成の意味をこう受け止めている。
「今になって料調を動かすというのは、財務省の上層部が、小沢氏に無罪判決が出た場合に備えて脱税容疑の調査に乗り出したことを意味する」
アルルの男 (2010年1月19日)
http://twitter.com/bilderberg54/status/7943768356
何も見つからないでも、連日、様々なところにガサを掛けるという可能性もある。そして、夕刊フジの鈴木棟一連載によれば、「国税の応援が入った」と書いてある。事実とすれば、手段をいとわず調べるという意味ではないか。この恐ろしさを理解せずに、世論調査に答えている”大衆”がかなり居るのでは?
☆特捜部、小沢捜査続行 国税当局とタッグで“リベンジ”へ
(2010年2月4日の夕刊フジ)
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20100204/dms1002041233001-n2.htm
http://www.asyura2.com/10/senkyo79/msg/516.html
特捜部と国税当局はこれまでも連携してきた。
自民党時代、小沢氏の後見人だった金丸信元副総裁は1993年、特捜部と国税当局による潜行捜査で、億単位の不正蓄財を発見され、脱税事件として摘発されている。特捜部はこの再現でも狙っているのか。
☆金丸信
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E4%B8%B8%E4%BF%A1
一方、東京国税局は、金丸信の妻が死亡した際に受け取った遺産に着目、日本債券信用銀行(日債銀。現あおぞら銀行)の割引金融債「ワリシン」の一部が申告されていないという事実を突き止めた(日債銀内では、金丸を“蟷螂紳士”のコードネームで呼び、申告漏れに協力していた)。
1993年3月6日、東京地検は金丸本人と秘書を任意に呼び出して聴取を行い、同日脱税の容疑で逮捕。
後に、自宅へ家宅捜索を行ったところ、数十億の不正蓄財が発覚する。捜索の中、時価1千万円相当の金塊が発見された。”金丸が訪朝の際、金日成から受領した無刻印のもの”と風評されたが、実際には刻印のあるフォーナイン(純度99.99%の金)であったとされる(朝日新聞記者の村山治『特捜検察VS金融権力』)このフォーナインは「麻原彰晃が上九一色村の本部に隠し持っていた金塊と、刻印番号が接近している」との噂もあった。
これが止めとなって同情論は消え、権威は地に堕ちた。
金丸は、来るべき政界再編の軍資金であると述べたというが、真相は不明である。
《危険人物は「弱小勢力」のうちに潰して将来の禍根を絶つのが鉄則》
☆范増
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E5%A2%97
劉邦が咸陽で略奪などを行わなかったことを、范増は「天下を狙う大望有るゆえ」と察知し、劉邦を殺すよう項羽に進言した。項羽も最初は激怒して劉邦を殺そうとしていたが、親族である項伯のとりなしにより、劉邦と面談することにした。有名な「鴻門の会」である。
この会の途中で、范増は幾度も項羽らに劉邦暗殺を行うように指示したが、張良や項伯や樊噲などに妨げられ、また項羽も決断できなかったため、結局劉邦を生きて帰らせてしまう。
会の後で、范増は劉邦を暗殺できなかったことを悔しがり「豎子、ともに謀るに足らず!」(小僧とは一緒に謀を行うことができない!)と叫び、劉邦から贈られた器を叩きつけて壊した(豎子とは項羽を指す)。
☆鴻門の会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%BB%E9%96%80%E3%81%AE%E4%BC%9A
項羽は宴会を始め、項羽・項伯は東に向いて上座に座った。范増は南向き、劉邦は北向き、張良は西向きにそれぞれ座った。宴会中、范増は項羽に目配せして、劉邦を斬るよう合図を送った。
そもそも劉邦を陣中に入れたこと自体が謀叛を大義名分として斬ることを目的としたもので、彼を項羽のライバルとして警戒する范増が強く進言したものだった。
しかし、劉邦が卑屈な態度を示し続けていたので、項羽は討つ気が失せ、一向に動かなかった。
三度合図を送っても全く動かなかったので、范増は一旦中座して項荘を呼び、祝いの剣舞と称して劉邦に近づき、斬るよう命じた。
これを受けて項荘は剣舞を始めたが、企みに勘づいた項伯も相方として剣舞を始め、項荘を遮り続けた。
この時、張良も中座し、陣外に待機していた樊噲に事態の深刻さを伝えた。樊噲は髪を逆立てて護衛の兵士を盾ではじき飛ばし宴席に突入。「戦勝の振る舞いがない!お流れを頂戴致したく願います!」と項羽をにらみつけ、その凄まじい剣幕に剣舞が中止となる。
項羽はその豪傑ぶりに感心し、大きな盃に酒をなみなみと注いで渡すと、樊噲はそれを一気に飲み干した。更に、豚の生肩肉を丸々一塊出すと、樊噲は盾をまな板にして帯びていた剣でその肉を切り刻み、平らげた。
ここで項羽がもう一杯と酒を勧めると、樊噲は「私は死すら恐れませんのに、どうして酒を断る理由がありましょうか。秦王は暴虐で、人々は背きました。懐王は諸将に、先に咸陽に入ったものを王にすると約束しました。沛公は先に咸陽に入りましたが、宝物の略奪もせず、覇上に軍をとどめ、将軍(項羽のこと)の到着を待っていました。関に兵を派遣したのも、盗賊と非常時に備えるためです。未だに恩賞もないのに、讒言を聞き入れて功ある人を殺すというのは、秦の二の舞ではありませんか」と述べた。これに対して項羽は返す言葉がなく、「それほど心配なら、ここに座っても良いぞ」と言うのみだった。
その後、劉邦が席を立ったまま戻ってこないので、項羽は陳平に命じて劉邦を呼びに行かせたが、劉邦は樊噲と共に鴻門をすでに去り、自陣に到着していた。この際、張良は、劉邦が酒に酔いすぎて失礼をしてしまいそうなので中座したと項羽に謝罪し、贈り物を渡すと自らも辞去した。
贈り物を前にした項羽はご機嫌だったが、范増は情に負けて将来の禍根を絶つ千載一遇の機会を逃した項羽に対し「こんな小僧と一緒では、謀ることなど出来ぬ!」と激怒し、贈り物の玉斗を自らの剣で砕く。
さらに深い嘆息をもらして、劉邦を討ち取る事ができなかったので、「そのうち天下は必ず劉邦に奪われ、我らは捕虜となってしまうだろう」と嘆いた。劉邦は自軍に戻ると、さっそく項羽に讒言をした曹無傷を誅殺した。
2013年8月10日土曜日
某雑誌の編集長が安倍首相と会見した直後に「山本太郎バッシング」
☆首相動静―8月2日
http://www.asahi.com/politics/update/0802/TKY201308020330.html
http://www.peeep.us/8be9ee8b
6時8分、公邸。9分、吉川元偉国連大使ら。17分、二階俊博日越友好議員連盟会長、ルア越日友好議員連盟会長。世耕官房副長官同席。33分、月刊誌「WiLL」の花田紀凱編集長、評論家の日下公人氏らと食事。8時39分、東京・富ケ谷の自宅。
↓
☆山本太郎氏の母「全く勉強してない、政治家の能力ない」
(8月3日の産経新聞「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/674177/
http://www.asyura2.com/13/senkyo151/msg/900.html
『文春』ではもう1本「山本太郎センセイの“立入禁止区域” マザコンすぎる素顔」がおもしろい。
〈山本氏を最もよく知るであろう母(グリーンピースのサポーターをしていたそうだ)は、出馬前、「太郎は全く勉強してないし、世間知らず。政治家になるような能力もない」と、強く反対していた〉という。
そんな男が66万票か。
↓
☆首相動静―8月6日 (朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0806/TKY201308060452.html
http://www.peeep.us/81c66b8c
6時32分、東京・紀尾井町のホテルニューオータニガーデンタワー。作家の百田尚樹氏と対談。月刊誌「WiLL」の花田紀凱編集長同席。9時18分、東京・富ケ谷の自宅。
↓
444 名前:地震雷火事名無し(山口県)
投稿日:2013/08/09(金) 01:15:19.10 ID:Kx81g+F30
週刊ポストとウィル(注:月刊誌「WiLL」)がネガキャンの準備してるって言ってたな
これからは新潮以外の媒体もやり始めるんだろう
まあかかってこいや
《おまけ》
雑誌「自由」 平成20年6月号掲載
東電接待ツアー参加者リスト
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-3018.html
第1回訪中団〈01年3月18~24日〉
元木昌彦(週刊現代元編集長)、野口敞也(連合総研専務)、
第2回訪中団〈02年10月6~12日〉
佐々木孝一(JR東日本施設部長)、元木昌彦(週刊現代元編集長)、
第3回訪中団〈03年11月2~8日〉
野口敞也(連合総研専務)、元木昌彦(週刊現代元編集長)、花田紀凱(週刊文春元編集長)、
第4回訪中団〈04年8月13~20日〉
田中豊蔵(財務省財政制度等審議会委員・元朝日新聞論説主幹)、大林主一(中日新聞常務)、元木昌彦(講談社社長室付・週刊現代元編集長)、花田紀凱(宣伝会議常務・週刊文春元編集長)、
(以下さらに続くが、面倒くさいので省略する。なお
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1011.html
も参考になる)
http://www.asahi.com/politics/update/0802/TKY201308020330.html
http://www.peeep.us/8be9ee8b
6時8分、公邸。9分、吉川元偉国連大使ら。17分、二階俊博日越友好議員連盟会長、ルア越日友好議員連盟会長。世耕官房副長官同席。33分、月刊誌「WiLL」の花田紀凱編集長、評論家の日下公人氏らと食事。8時39分、東京・富ケ谷の自宅。
↓
☆山本太郎氏の母「全く勉強してない、政治家の能力ない」
(8月3日の産経新聞「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/674177/
http://www.asyura2.com/13/senkyo151/msg/900.html
『文春』ではもう1本「山本太郎センセイの“立入禁止区域” マザコンすぎる素顔」がおもしろい。
〈山本氏を最もよく知るであろう母(グリーンピースのサポーターをしていたそうだ)は、出馬前、「太郎は全く勉強してないし、世間知らず。政治家になるような能力もない」と、強く反対していた〉という。
そんな男が66万票か。
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☆首相動静―8月6日 (朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0806/TKY201308060452.html
http://www.peeep.us/81c66b8c
6時32分、東京・紀尾井町のホテルニューオータニガーデンタワー。作家の百田尚樹氏と対談。月刊誌「WiLL」の花田紀凱編集長同席。9時18分、東京・富ケ谷の自宅。
↓
444 名前:地震雷火事名無し(山口県)
投稿日:2013/08/09(金) 01:15:19.10 ID:Kx81g+F30
週刊ポストとウィル(注:月刊誌「WiLL」)がネガキャンの準備してるって言ってたな
これからは新潮以外の媒体もやり始めるんだろう
まあかかってこいや
《おまけ》
雑誌「自由」 平成20年6月号掲載
東電接待ツアー参加者リスト
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-3018.html
第1回訪中団〈01年3月18~24日〉
元木昌彦(週刊現代元編集長)、野口敞也(連合総研専務)、
第2回訪中団〈02年10月6~12日〉
佐々木孝一(JR東日本施設部長)、元木昌彦(週刊現代元編集長)、
第3回訪中団〈03年11月2~8日〉
野口敞也(連合総研専務)、元木昌彦(週刊現代元編集長)、花田紀凱(週刊文春元編集長)、
第4回訪中団〈04年8月13~20日〉
田中豊蔵(財務省財政制度等審議会委員・元朝日新聞論説主幹)、大林主一(中日新聞常務)、元木昌彦(講談社社長室付・週刊現代元編集長)、花田紀凱(宣伝会議常務・週刊文春元編集長)、
(以下さらに続くが、面倒くさいので省略する。なお
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1011.html
も参考になる)
【鶴の恩返し】山本太郎叩きに猛進するジャーナリストに原子力村の「接待攻勢」
☆山本太郎氏の母「全く勉強してない、政治家の能力ない」
(8月3日の産経新聞「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/674177/
http://www.asyura2.com/13/senkyo151/msg/900.html
『文春』ではもう1本「山本太郎センセイの“立入禁止区域” マザコンすぎる素顔」がおもしろい。
〈山本氏を最もよく知るであろう母(グリーンピースのサポーターをしていたそうだ)は、出馬前、「太郎は全く勉強してないし、世間知らず。政治家になるような能力もない」と、強く反対していた〉という。
そんな男が66万票か。
☆山本太郎どこか「常識」に欠ける反原発の闘士―選挙中のウソ謝ってすむ話じゃないぞ!
(8月8日の「元木昌彦の深読み週刊誌」)
http://www.j-cast.com/tv/2013/08/08181122.html?p=all
反原発の闘士に早くも土がついたようだ。
(略)
ごめんですめば警察はいらない。きついようだが、この人にはどこか「常識」に欠けるところがあるようだが、これからは一心不乱に反原発だけに邁進してほしいものである。
↓
雑誌「自由」 平成20年6月号掲載
東電接待ツアー参加者リスト
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-3018.html
第1回訪中団〈01年3月18~24日〉
元木昌彦(週刊現代元編集長)、野口敞也(連合総研専務)、
第2回訪中団〈02年10月6~12日〉
佐々木孝一(JR東日本施設部長)、元木昌彦(週刊現代元編集長)、
第3回訪中団〈03年11月2~8日〉
野口敞也(連合総研専務)、元木昌彦(週刊現代元編集長)、花田紀凱(週刊文春元編集長)、
第4回訪中団〈04年8月13~20日〉
田中豊蔵(財務省財政制度等審議会委員・元朝日新聞論説主幹)、大林主一(中日新聞常務)、元木昌彦(講談社社長室付・週刊現代元編集長)、花田紀凱(宣伝会議常務・週刊文春元編集長)、
(以下さらに続くが、面倒くさいので省略する。なお
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1011.html
も参考になる)
☆鶴の恩返し
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E3%81%AE%E6%81%A9%E8%BF%94%E3%81%97
昔々、ある所に老夫婦が住んでいた。ある冬の雪の日、老爺が町に薪を売りに出かけると、罠にかかった一羽の鶴を見つける。かわいそうに思った彼は、鶴を罠から逃がしてやった。激しく雪が降り積もるその夜、美しい娘が夫婦の家へやってきた。親に死に別れ、会った事もない親類を頼って行く途中、道に迷ったので一晩泊めて欲しいと言う娘を、夫婦は快く家に入れてやる。次の日も、また次の日も雪はなかなか止まず、娘は老夫婦の家に留まっていた。その間、娘は甲斐甲斐しく夫婦の世話をし、彼らを大そう喜ばせた。ある日娘が、顔も知らない親戚の所へ行くより、いっそあなた方の娘にして下さい、と言う。老夫婦は喜んで承知した。
その後も孝行して老夫婦を助けていた娘が、ある日「布を織りたいので糸を買ってきて欲しい」と頼むので老爺が糸を買って来ると、娘は「絶対に中を覗かないで下さい」と夫婦に言い渡して部屋にこもり、三日三晩不眠不休で布を一反織り終わった。「これを売って、また糸を買ってきて下さい」と彼女が夫婦に託した布は大変美しく、たちまち町で評判となり、高く売れた。老爺が新しく買ってきた糸で、娘は2枚目の布を織り、それはいっそう見事な出来栄えで、更に高い値段で売れ、老夫婦は裕福になった。
しかし、娘が3枚目の布を織るためにまた部屋にこもると、初めのうちは辛抱して約束を守っていた老夫婦だが、娘はどうやってあんな美しい布を織っているのだろうと、老妻の方がついに好奇心に勝てず覗いてしまった。娘の姿があるはずのそこには、一羽の鶴がいた。鶴は自分の羽毛を抜いて糸の間に織り込み、きらびやかな布を作っていたのである。もう羽毛の大部分が抜かれて、鶴は哀れな姿になっている。驚いている夫婦の前に機織りを終えた娘が来て、自分が老爺に助けてもらった鶴だと告白し、このまま老夫婦の娘でいるつもりだったが、正体を見られたので去らねばならないと言うと、鶴の姿になり、別れを惜しむ老夫婦に見送られ空へと帰っていった。
(8月3日の産経新聞「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/674177/
http://www.asyura2.com/13/senkyo151/msg/900.html
『文春』ではもう1本「山本太郎センセイの“立入禁止区域” マザコンすぎる素顔」がおもしろい。
〈山本氏を最もよく知るであろう母(グリーンピースのサポーターをしていたそうだ)は、出馬前、「太郎は全く勉強してないし、世間知らず。政治家になるような能力もない」と、強く反対していた〉という。
そんな男が66万票か。
☆山本太郎どこか「常識」に欠ける反原発の闘士―選挙中のウソ謝ってすむ話じゃないぞ!
(8月8日の「元木昌彦の深読み週刊誌」)
http://www.j-cast.com/tv/2013/08/08181122.html?p=all
反原発の闘士に早くも土がついたようだ。
(略)
ごめんですめば警察はいらない。きついようだが、この人にはどこか「常識」に欠けるところがあるようだが、これからは一心不乱に反原発だけに邁進してほしいものである。
↓
雑誌「自由」 平成20年6月号掲載
東電接待ツアー参加者リスト
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-3018.html
第1回訪中団〈01年3月18~24日〉
元木昌彦(週刊現代元編集長)、野口敞也(連合総研専務)、
第2回訪中団〈02年10月6~12日〉
佐々木孝一(JR東日本施設部長)、元木昌彦(週刊現代元編集長)、
第3回訪中団〈03年11月2~8日〉
野口敞也(連合総研専務)、元木昌彦(週刊現代元編集長)、花田紀凱(週刊文春元編集長)、
第4回訪中団〈04年8月13~20日〉
田中豊蔵(財務省財政制度等審議会委員・元朝日新聞論説主幹)、大林主一(中日新聞常務)、元木昌彦(講談社社長室付・週刊現代元編集長)、花田紀凱(宣伝会議常務・週刊文春元編集長)、
(以下さらに続くが、面倒くさいので省略する。なお
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1011.html
も参考になる)
☆鶴の恩返し
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E3%81%AE%E6%81%A9%E8%BF%94%E3%81%97
昔々、ある所に老夫婦が住んでいた。ある冬の雪の日、老爺が町に薪を売りに出かけると、罠にかかった一羽の鶴を見つける。かわいそうに思った彼は、鶴を罠から逃がしてやった。激しく雪が降り積もるその夜、美しい娘が夫婦の家へやってきた。親に死に別れ、会った事もない親類を頼って行く途中、道に迷ったので一晩泊めて欲しいと言う娘を、夫婦は快く家に入れてやる。次の日も、また次の日も雪はなかなか止まず、娘は老夫婦の家に留まっていた。その間、娘は甲斐甲斐しく夫婦の世話をし、彼らを大そう喜ばせた。ある日娘が、顔も知らない親戚の所へ行くより、いっそあなた方の娘にして下さい、と言う。老夫婦は喜んで承知した。
その後も孝行して老夫婦を助けていた娘が、ある日「布を織りたいので糸を買ってきて欲しい」と頼むので老爺が糸を買って来ると、娘は「絶対に中を覗かないで下さい」と夫婦に言い渡して部屋にこもり、三日三晩不眠不休で布を一反織り終わった。「これを売って、また糸を買ってきて下さい」と彼女が夫婦に託した布は大変美しく、たちまち町で評判となり、高く売れた。老爺が新しく買ってきた糸で、娘は2枚目の布を織り、それはいっそう見事な出来栄えで、更に高い値段で売れ、老夫婦は裕福になった。
しかし、娘が3枚目の布を織るためにまた部屋にこもると、初めのうちは辛抱して約束を守っていた老夫婦だが、娘はどうやってあんな美しい布を織っているのだろうと、老妻の方がついに好奇心に勝てず覗いてしまった。娘の姿があるはずのそこには、一羽の鶴がいた。鶴は自分の羽毛を抜いて糸の間に織り込み、きらびやかな布を作っていたのである。もう羽毛の大部分が抜かれて、鶴は哀れな姿になっている。驚いている夫婦の前に機織りを終えた娘が来て、自分が老爺に助けてもらった鶴だと告白し、このまま老夫婦の娘でいるつもりだったが、正体を見られたので去らねばならないと言うと、鶴の姿になり、別れを惜しむ老夫婦に見送られ空へと帰っていった。
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