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2016年5月7日土曜日

アフリカの「黄熱病」が出稼ぎ労働者を介して中国に飛び火 

☆黄熱病が中国に飛び火 アフリカのアンゴラから拡大 出稼ぎ労働者介し…WHOが警告 (共同通信)

http://www.sankei.com/world/news/160507/wor1605070048-n1.html

https://web.archive.org/web/20160507110741/http://www.sankei.com/world/news/160507/wor1605070048-n1.html 

コンゴ(旧ザイール)など近隣国のほか、アンゴラへの出稼ぎ労働者が多い中国にも感染が飛び火、世界保健機関(WHO)は一層の感染拡大の恐れがあるとして警戒を強めている。



《備考》

☆野口英世 ~ 年譜

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E8%8B%B1%E4%B8%96#.E5.B9.B4.E8.AD.9C

1927年(昭和2年)

10月 - アフリカへ黄熱病研究のため出張。

12月26日 - ウエンチ村で黄熱病らしき疫病が発生したとの報告を受け血液を採取に行く。



1928年(昭和3年)

1月2日 - 野口自身が軽い黄熱病と診断する症状を発症し入院(ただし、別の医師にはアメーバ赤痢と診断されており、この時の症状は黄熱病ではなかったと考えられる)。

1月9日 - 回復し退院、研究を再開する。

3月末、フレクスナー宛にイクテロイデスとは異なる黄熱病病原体をほぼ特定できた旨の電報を出す。秘書への手紙に濾過性微生物(ウィルス)が病原であると言及しそれまでの自説を否定。

5月11日 - ラゴスのロックフェラー研究所本部に行った際、体調が悪化。

5月13日 - 黄熱病と診断され、アクラのリッジ病院に入院する。見舞いに来たヤング博士に「君は大丈夫か?」と尋ねた後に、(終生免疫が続くはずの黄熱病に再度かかったのを不可思議に思い)「どうも私には分からない」と発言。この言葉が最後の言葉とされている。

5月16日 - 回復し、空腹を訴える程食欲も戻る。その旨はフレクスナーにも打電される。

5月18日 - 病状が再度悪化。

5月21日 - 昼頃、病室で死亡。51年の生涯を閉じた。野口の死後、その血液をヤング博士がサルに接種したところ発症し、野口の死因が黄熱病であることが確認された。(ヤング博士自身も29日に黄熱病で死亡)

6月15日 - アメリカのニューヨークのウッドローン墓地に埋葬される。

やきとりのいない八月

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