(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015052600794
http://www.webcitation.org/6YoQztSZ5
「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎代表は26日の記者会見で、民主、維新両党の間で将来の野党再編に向けた機運が出ていることに関し、「私どももそういう流れに一員として参加していくのは当たり前のことだ」と述べ、積極的に加わりたいとの考えを示した。
《おまけ》
☆甲相駿三国同盟
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E7%9B%B8%E9%A7%BF%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F#.E5.90.8C.E7.9B.9F.E3.81.AE.E5.8A.B9.E6.9E.9C
同盟締結による三者の利益は明らかで、
武田氏では、信濃における覇権を確固たるものにするため、天文22年(1553年)から始まる川中島の戦いで越後国上杉氏との数次にわたる争いが本格的になった。この合戦では、甲相同盟により同じく北武蔵において上杉と対決していた北条と相互に兵を出し、今川氏からも援軍が派遣されている。不利な点は、今川氏と北条氏が三河から下総までを支配しているため、日本海側に領地を獲得しない限り直接海に出られない、又交易出来ないということである。
北条氏では、今川氏との友好関係を取り戻し、北武蔵侵攻において武田氏とは上杉謙信という共通の敵を持つことで甲相同盟により後背の憂いをなくし、上杉を名目上の主と仰ぐ、佐竹・宇都宮・長野・里見などに対して関東の平定を押し進めることが可能となった。不利な点は上洛する道を今川氏と武田氏に塞がれていることが挙げられる。ただし北条氏はそもそも上洛を志向していないという説が有力である。
今川氏では、新たに影響を及ぼした三河の経営など、領内の支配体制を確立しつつ、戦略面においては争う相手を織田氏のみに絞ることが容易になった。
武田氏の太平洋沿岸への進出が事実上不可能であること、北条氏が将来上洛を企画しても陸路では難しいことを考慮すると、三国同盟は今川氏が最も得をすると考えられる。
(そもそも働きかけているのは今川家の太原雪斎である。)