さっそく夕刊フジがドローン問題を「過激派反原発テロ」と大見出し。
セシウム汚染土の入手も、汚染土を付着させて「反原発派」の仕業になすり付けるのも容易なこと。昨日のbcxxx氏の言動は、この夕刊フジ記事と変わらぬ悪質なフレームアップだ。 pic.twitter.com/5a7txlPSJy
— 植松青児 (@uematsuseiji) 2015, 4月 23
☆過激派テロか 「ドローン」官邸侵入 セシウム検出 福島原発の汚染水可能性 (夕刊フジ)
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150423/dms1504231830015-n2.htm
https://web.archive.org/web/20150423205035/http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150423/dms1504231830015-n2.htm
軍事ジャーナリストの世良光弘氏は「反原発のメッセージがみてとれる。反原発を訴えたい過激派が絡んでいる可能性がある。単なるいたずらの範囲を超えた犯行だ。セシウムは一般人には入手が難しく、放射性のラベルが貼られるなど明らかに確信犯。再稼働に関する訴訟が続く中で、安倍晋三首相に対するメッセージだろう。官邸から数百メートルの範囲内から操縦していた可能性がある」と指摘する。
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《下山事件の直後、増田官房長官は証拠もないのに「労働組合関係者の関与」を強く示唆。これは当時の世論が反・労働運動に傾く一因となったものと思われる》
http://www.jicl.jp/now/jiji/backnumber/1949.html
国鉄総裁下山定則氏が第一次の人員整理を発表した7月4日の翌5日の朝、同氏は国鉄の常磐線の線路上で轢死体として発見されました。増田甲子七官房長官は解剖の結果が出ない段階で他殺を示唆し、共産党系労組の犯行を印象づけました。
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《松川事件の直後、増田官房長官は証拠もないのに「労働組合関係者の関与」を強く示唆。これは当時の世論が反・労働運動に傾く一因となったものと思われる》
☆松川事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E6.8D.9C.E6.9F.BB.E3.81.AE.E7.B5.8C.E9.81.8E
下山事件、三鷹事件に続く鉄道事件として世間の注目を集め、事件翌日には内閣官房長官の増田甲子七が、三鷹事件等と「思想底流において同じものである」との談話を発表、世論もそのような見方に傾き、捜査当局は当初からそれらの事件との関連を念頭に置いていたことが伺える。
捜査当局はこの事件を、当時の大量人員整理に反対し、東芝松川工場(現北芝電機)労働組合と国鉄労働組合(国労)構成員の共同謀議による犯行との見込みを付けて捜査を行った。
事件発生から24日後の9月10日、元国鉄線路工の少年が傷害罪で別件逮捕され、松川事件についての取り調べを受けた。少年は逮捕後9日目に松川事件の犯行を自供、その自供に基づいて共犯者が検挙された。9月22日、国労員5名及び東芝労組員2名が逮捕され、10月4日には東芝労組員5名、8日に東芝労組員1名、17日に東芝労組員2名、21日に国労員4名と、合計20名が逮捕者の自白に基づいて芋づる式に逮捕、起訴された。
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☆「葬られたのは誰か?」――週刊朝日の“下山事件”真相追究報道をめぐって浮上した疑惑
http://www.asyura2.com/0401/war48/msg/963.html
投稿者 passenger 日時 2004 年 3 月 05 日
つまり世の中の多くの人は、あれは労働組合側が、非情な人切りに対して怒りを総裁にぶつけてやったんだ、共産党がやったんだと思ってしまったわけです。実際には、いまだに犯人はわからないままですし、そう考える具体的な根拠は何もない。
しかし、この事件のために当時の共産党運動は、決定的な打撃を受けた。その瞬間に日本は、戦後復興から高度成長へと邁進する道に大きく舵を切ったことになる。
(略)
そのとおりですね、しかも、この事件ひとつではなく、この後、三鷹事件、松川事件と、計3つの事件が連続して起こっていることが重要なんです。その結果、神保さんがおっしゃったように、本当だったらゼネストにつながっていくような大衆的な動きが、完全に封印されてしまったわけです。
その直後には公職選挙法が作られて、共産党の赤旗対策や組織的運動対策で、文書頒布が禁止され、個別訪問が禁止されたんですね。
(略)
アメリカにとって最も都合がよい展開は、下山殺害の背景に共産党の暗躍していたというイメージを日本人が抱くことだ。これによって日本の共産化はくいとめられる。「日本を全体主義の防壁とするために極東の工場にする」と宣言したマッカーサーとしては、最も好ましい展開だ。
(略)
しかし総裁は殺されたのかもしれないという意識だけは、日本中に根付かせたい。「何をするかわからない」共産主義によるテロの脅威を、しっかりと植え付けたい。
事態はまさしく、このとおりに展開した。下山の後に三鷹、松川と事件が続き、実際に共産党員が検挙されたことで、日本国民の不安と共産党への警戒心は充分に喚起された。裁判はどうせ長引く。そのあいだに日本を変えればよい。ハリウッド映画や野球やコカコーラで、アメリカナイズすればよい。
(略)
下山事件から3年が過ぎた1952年6月2日未明、大分県直入郷菅生村の巡査駐在所がダイナマイトで爆破された。3名の共産党員が起訴されたが、実際にダイナマイトを仕掛けたのは現職の警察官だった。世に言う菅生事件だ。
共産党を弱体化させるために警察が組織ぐるみで画策したこの謀略を暴く過程で、当時の共同通信社取材班は大きな役割を果たし、その中心にいたのは、社会部の若手記者だった斎藤茂男だ。
(略)
「(竹山の註:下山事件によって)実際に共産党のダメージは大きかったよ」