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2014年11月24日月曜日

衆院選に突入したらなぜか北朝鮮が「日本を丸焼けにする」と言い出した

☆北が国連決議に反発「日本も丸ごと焦土化」
(日本テレビ)

http://www.news24.jp/articles/2014/11/24/10263952.html

朝鮮中央テレビ「自主権を守るための聖戦を開始すれば、アメリカはやられなければならず、(韓国の)朴槿恵一味はもちろん、日本も丸ごと焦土化される」

声明ではさらに、「今のような状態が続く場合、日本は近くて遠い国程度ではなく、我々の目の前から永遠になくなる存在となる」などと反発した。


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《衆院選が始まるとなぜか北朝鮮が不穏な動き→日本国民のナショナリズムが沸騰→保守政党に追い風》


《2012年12月》

☆人工衛星の打ち上げに成功~朝鮮中央テレビ
(2012年12月12日の日本テレビ)

http://www.news24.jp/articles/2012/12/12/10219249.html



☆“ミサイル”沖縄上空通過したもよう~政府
(2012年12月12日の日本テレビ)

http://www.news24.jp/articles/2012/12/12/04219232.html


               ↓

☆NNN出口調査結果 自民圧勝、政権奪還へ
(2012年12月16日の日本テレビ)

http://www.news24.jp/articles/2012/12/16/04219496.html



《今年》

☆北朝鮮 寧辺の再処理施設で稼働準備か
(2014年11月22日の日本テレビ)

http://www.news24.jp/articles/2014/11/22/10263847.html


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《2010年の沖縄県知事選は投票日の5日前に「北朝鮮が韓国を砲撃した」ことが選挙結果を左右した》

737 名前:無党派さん
投稿日:2014/11/05(水) 15:59:41.11 ID:P99//BP3
そういや伊波さんは投票数日前の北朝鮮の軍事行動で、県民が革新に不信感を持って保守の現職の再選につながったって言ってたな




☆沖縄県知事選:仲井真氏が再選 伊波氏ら破る
(毎日新聞 2010年11月28日)

https://web.archive.org/web/20101129205619/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101129k0000m010086000c.html

知事選の選挙期間中の23日には、北朝鮮による韓国砲撃事件が発生した。

仲井真氏は同日夜、沖縄県うるま市での決起大会で「日米安保条約は重要だと思うし、日米同盟はまだ必要だ」と訴えるなど、日米同盟は重視する姿勢を表明。

伊波氏は日米安保条約を平和友好条約に転換させる意向を示しており、緊迫する朝鮮半島情勢が有権者の選択に影響した可能性がある。



☆延坪島砲撃事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E5%9D%AA%E5%B3%B6%E7%A0%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

延坪島砲撃事件(ヨンピョンドほうげきじけん)は、2010年11月23日に大延坪島近海で起きた朝鮮人民軍と韓国軍による砲撃戦と、それを発端とする北朝鮮・韓国間の緊張の高まりなどの一連の事件のことである。

2010年11月23日14時34分ごろ(日本時間同)、朝鮮人民軍が北方限界線(NLL)を越えた大延坪島に向けて突然、砲弾約170発を発射、90発が海上に落下し、80発が同島に着弾した。

(略)

事件の2日前の11月21日に金正日と息子の金正恩(現最高指導者・当時、後継者として有力視されていていた)が、砲弾を発射したケモリ海岸砲基地および茂島基地の砲兵大隊を視察していたとされている。そのため北朝鮮首脳部が実施を直接計画・指示・承認した疑惑が浮上している。


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《アントニオ猪木とタイガー・ジェット・シンの抗争。一歩間違えればレスラー生命に関わる激しいものであったが、両者には互いが共栄していくためには、超えてはならない一線を超えることも是とする暗黙の了解があった》


☆タイガー・ジェット・シン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3#.E3.80.8C.E8.A5.B2.E6.92.83.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E3.80.8D.E3.81.A8.E3.80.8C.E8.85.95.E6.8A.98.E3.82.8A.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E3.80.8D

1973年11月、タイガー・ジェット・シンは2度目の来日中に外国人レスラー数名と組み、倍賞美津子(当時の猪木夫人)と買い物中だったアントニオ猪木を新宿伊勢丹前で白昼堂々と襲撃し警察沙汰となる事件を起こした。猪木は負傷・流血し警察にも通報された。

(略)

この事件は各方面で報道され世間でも話題になり、シンは本当に狂っているのではないかという印象を強く与えた。以後猪木はリング上で制裁を加えると公言し、猪木対シンの試合は「因縁の闘い」として世間の注目を集めることとなった。

事件直後の1973年11月16日、札幌中島スポーツセンターで超満員の中猪木と二度目の一騎打ちが実現。両者大流血の喧嘩ファイトとなった。

それまでの猪木のファイトは正統派スタイルを売りにしていたが、対シン戦で猪木が見せた喧嘩ファイトは猪木の新たな魅力を引き出し、ファンの増加をもたらした。

またシンという絶対悪が存在する限り、日本人受けが良いとされる勧善懲悪の世界を築くことができた。

これら一連のシン効果により、新日本プロレスはメジャー団体への階段を昇る。

翌1974年6月、NWF王者猪木(当時)とシンのタイトルマッチ2連戦は、両者の遺恨がピークに達した試合と今でも語り継がれる。同年6月20日、東京・蔵前国技館の60分3本勝負において、2本目開始直後にシンは猪木の顔面に火炎攻撃を仕掛け、サーベルで猪木を滅多打ちにし流血させた。猪木はタイトルこそ防衛したものの、左目と頭部を負傷した。その傷が完治しないまま6日後、6月26日の大阪府立体育会館での60分3本勝負は、1本目がシンの徹底した反則攻撃により猪木は大流血。2本目に猪木の怒りが頂点に達し、シンの右腕に狙いを定めると鉄柱攻撃などで集中的に攻め続け、最後はショルダー・アームブリーカーを連発しシンの右腕を骨折させ、ドクターストップの末猪木がタイトルを連続防衛し、ここに両者の遺恨に一旦終止符が打たれた。なお、猪木自身は「腕を折った」と明言しているが、実際にはヒジもしくは肩の亜脱臼だという。

双方の攻防は、いずれも一歩間違えればレスラー生命に関わる激しいものであったが、両者には互いが共栄していくためには、超えてはならない一線を超えることも是とする暗黙の了解があったとされる。

当時の猪木は日本プロレスを追放されたも同然の身で、ライバル団体の全日本プロレスに追いつき追い越したいという野望があり、シンも新天地日本でトップヒールとして開花したいという、両者の強烈なハングリー精神が共感した上で、前述の遺恨試合2連戦が展開された。

特に第二戦の大阪府立体育会館においては、猪木対シンの試合開始1、2時間前から会場は超満員(8,900人)の観客で溢れ、入場出来なかった多くの熱心なファンが係員と押し問答となったり、ダフ屋では1,000円のチケットに5,000円の値がついたりと場外でも話題は尽きなかった。

また、試合を生で観戦した者は「会場全体が、これから殺し合いでも始まるのではないかという異様な熱気と興奮に包まれていた」と当時の様子を回顧する。

後年、ミスター高橋はその著作の中で、新宿伊勢丹襲撃劇は猪木夫妻が了解済みのアングル作りであったこと、シンに荷担したビル・ホワイトもやらせであったことを暴露している。ただし、「我々はある程度良識の範囲内での襲撃を想定していたのだが、途中からシンが本気になってしまった」とシンの予定外の暴挙が騒動に発展したことを明かしている。



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