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2014年11月22日土曜日

〔衆院選〕民主党は幹部クラスでも苦戦しているとの情報

17 名前:無党派さん
投稿日:2014/11/22(土) 08:29:24.20 ID:vOQ6EUCM
枝野焦ってるなwwww。自分の選挙区の情勢調査がやばい
と判明して急遽地元張り付き決定wwww。クソワロタwww


90 名前:無党派さん
投稿日:2014/11/22(土) 09:21:41.24 ID:uA3mJ1B2
維新と民主のどっちが泥船なのか? 
どっちも泥船という可能性もあるが。
維新のほうが悪い意味で野武士的な根性ある人が多いから、
大方の予想に反して、
民主が沈没して維新が生き残る可能性もあると
俺は思っています。




《おまけ》

☆悪党

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E5%85%9A#.E7.99.BA.E7.94.9F

12世紀は中世の社会経済体制である荘園公領制がようやく確立した時期であるが、12世紀後半に見られた悪党の用例はいずれも荘園・公領における支配体制または支配イデオロギーを外部から侵した者を指して用いられていた。例えば、安元元年(1175年)に東大寺領黒田荘(伊賀国名張郡)に乱入した名張郡司源俊方と興福寺僧らが、東大寺の文書において悪党とされていた。この例が示すように、荘園領主や荘官が維持していた支配体系に対し、荘園・公領の外部から侵入ないし妨害しようとした者が悪党として観念されていた。

鎌倉時代に入ってからもこうした状況に大きな変化はなく、13世紀後半の文永年間(1264年 - 1275年)まで、本所(荘園領主)側から見て外部からの侵入者・侵略者を悪党と呼ぶ傾向が続いた。悪党紛争の実態は、本所一円地同士または本所一円地と地頭層との所領紛争であり、一方の本所から見た悪党とは、その紛争相手たる本所一円地の領主だったのである。

12世紀から本所は悪党活動に悩まされてきたが、悪党は他領へ逃亡するなど、本所による追捕から巧みに逃れていた。本所はしばしば幕府へ悪党追捕を要請していたが、本所同士の紛争は本来、朝廷の管轄であるとして、幕府は悪党追捕に消極的だった。13世紀前半に幕府が制定した御成敗式目第32条は、盗賊・悪党の所領内隠匿を罪科と定めているが、幕府には積極的に悪党を鎮圧する姿勢は特に見られなかったのである。言葉を変えれば、在地領主層どうし、在地領主と荘園領主の紛争解決機関として幕府が存在したが、その幕府の管轄から外れた所に悪党が存在したのである。




☆国人

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%BA%BA#.E6.A6.82.E8.A6.81

「国人」という呼称は、「在地に居住した惣領を中心に独自の勢力を持つ武士」を指す言葉として、鎌倉時代から散見される。彼らの直接の源流は鎌倉時代の地頭職の武士にあり、そうした武士たちが土着し、在地領主となったものである。鎌倉時代には、支配層に反抗する者の意味を含む「悪党」という名で呼ばれることもあった。

この層の武士たちが重要な存在となったのは鎌倉幕府滅亡の前後から南北朝時代にかけてで、特に観応の擾乱の頃からである。南北朝時代には、諸国の政治・軍事は国元に腰を据えている領主たちによって動かされた。一方で国人たちは、中央政界の動向にも敏感に対応していった。国人は室町幕府や守護大名・荘園領主の行動を左右する実力を蓄積する在地勢力にまでに成長したのである。この背景には、南北朝の動乱期に目覚めた支配下の農民層への支配力の強化、室町幕府や守護大名の支配や干渉への対抗、馬借や問丸といった運送業の発達に伴う流通経済・地域経済の伸張がある。

領地の経営では、在国あるいは在地領主としての国人領主は、各所に散在して地方を支配するという地頭領主型の支配形態から一歩進み、本領を中心に集中性を持つ領域支配をするようになった。国人層は荘園領主と地下人の対立に介入し、代官職や所務職などを請け負うこともあった。国人領主の領域支配は、それ以前の在地領主と比べて土地と農民の支配がより強固である。検地や国人間に結ばれた人返しなどがこの例である。

国人は、守護や荘園領主など領域外からの支配者に対しては、その被官となって半従属的支配を受けることもあれば、領内の百姓身分の上層部である地侍を被官化することによって得た強力な軍事力や他の国人との連携を背景に反抗することもあった。南北朝時代から室町時代にかけてしばしば起きた国一揆(国人一揆=国人領主連合)は、形態は様々だが国人領主同士の結合と見ることができる。

戦国時代になると、守護大名の支配が衰えた地域では、国人は城持ちの独立領主として存在した。大部分の国人は、木曾氏や村上氏のように、戦国大名の家臣団に組み込まれた。一方、大名に比肩する勢力を持つ国人の中には、毛利氏や長宗我部氏、龍造寺氏、田村氏のように戦国大名となるものも現れた。

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