(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20140220/CK2014022002000169.html
http://www.webcitation.org/6NW2ETV4N
生徒たちは、発電にかかるコストや危険性、電力の安定供給などを考えながら分析し、当初は全員が原子力による発電に反対だった。
後半で「原発周辺自治体の首長の54%が再稼働を容認している」とする一部報道や、「原発即ゼロ」に難色を示した舛添要一氏の都知事選の当選など、昨今の情勢が示されると反対だった九人が賛成に回った。
《民心操作のテクニックの一端》
☆プロパガンダ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80#.E3.83.97.E3.83.AD.E3.83.91.E3.82.AC.E3.83.B3.E3.83.80.E6.8A.80.E8.A1.93
バンドワゴン:
その事柄が世の中の権勢であるように宣伝する。人間は本能的に集団から疎外される事を恐れる性質があり、自らの主張が世の中の権勢であると錯覚させる事で引きつける事が出来る。(衆人に訴える論証)
☆情報操作
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%93%8D%E4%BD%9C#.E6.83.85.E5.A0.B1.E6.93.8D.E4.BD.9C.E3.81.AE.E6.89.8B.E6.B3.95
社会的同意:
社会全体が報道の中の意見に同意しているような印象を与える。逆の手法(社会全体がその意見に不同意)は、社会的不同意。
癒着提案:
互いに無関係な情報から一定の意味のある文章を作り上げる。これらの情報は個別的には事実であるが、組み合わせの結果、読者に誤った印象を与える。
《福島の子供の尿検査をしなかったのは医学的理由ではなく「空気」「雰囲気」だった》
☆福島・検討委 内部被ばく議論、当初削除 公開後に追加
(毎日新聞 2012/11/20)
http://www.webcitation.org/6CIY3ZHWi
http://www.asyura2.com/12/genpatu28/msg/751.html
修正された議事録によると、ホールボディーカウンター(WBC)と呼ばれる大型機器と尿検査による内部被ばく検査を巡り、オブザーバーとして出席した内閣府幹部らが「尿検査を本流に位置づけるべきだ」と指摘。だが、県側は「尿検査よりWBCとみんなが言っている状況で、尿に舵(かじ)を切れない」などと難色を示していた。
(略)
その後、県は一部住民を対象にWBCでの内部被ばく検査を続けているが、尿検査については一貫して導入に慎重な姿勢を示している。
《戦艦大和は軍事的理由ではなく「空気」「雰囲気」で特攻出撃した》
☆坊ノ岬沖海戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8A%E3%83%8E%E5%B2%AC%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E8.89.A6.E9.9A.8A.E3.81.AE.E5.87.BA.E6.92.83.E7.B5.8C.E7.B7.AF
4月1日、連合軍は沖縄本島への上陸を開始した。これに対する日本軍の菊水作戦の発動は4月6日と決定された。沖縄の日本陸軍や海軍陸戦隊は持久作戦を主張、内地の大本営や連合艦隊司令部は航空特攻や海上特攻を含めた総攻撃を主張し、日本軍の作戦方針は統一されていなかった。
第二水雷戦隊司令部は米軍の優勢を認めた上で、3つの選択肢を検討した。
航空作戦、地上作戦の展開に関わらず沖縄に突入し、最後の海戦を実施する。目的地到達前に壊滅必至。
好機到来迄極力日本海朝鮮南部方面に避退温存す。
陸揚可能兵器弾薬人員を揚陸、陸上防衛兵力とし、残りを浮き砲台とす。
第二水雷戦隊は第3案を「最も有利なる案」として4月3日、第二艦隊司令部に意見具申する。第二艦隊司令部は賛同の上で連合艦隊司令部に伝達した。ところが伊藤中将は連合艦隊が航空部隊に総攻撃の準備命令が出されたことを知って意見具申を取りやめた。戦艦「大和」をふくめた第二艦隊の出撃は、豊田副武(連合艦隊司令長官・海軍大将)の指揮下に立案された最後の水上作戦である。
当時軍令部次長であった小沢治三郎中将は「積極的なのはいいが、それはもはや作戦と呼べるのか」と、連合艦隊参謀達に再考を促させたと言う。小沢は「片道燃料分しか燃料供給せず」を通告したが、連合艦隊側は作戦決行を主張し、最終的に小沢も「豊田長官がそうしたいという決意ならよかろう」と了解を与えている。
豊田は戦史叢書に成功率50%以下の作戦と判断しつつ、沖縄軍の心情を考えて『しかし多少でも成功の算あらば、できることはなんでもしなければならぬ、という心持で決断したが、この決心をするには、私としては随分苦しい思いをしたものだ』と証言しているが、後述の訓示とは矛盾している。この作戦は、「大和」以下の艦隊を沖縄本島に突入させて艦を座礁させたうえで、固定砲台として砲撃を行い、弾薬が底をついた後は乗員が陸戦隊として敵部隊へ突撃をかけるという生還を期さない特攻作戦であった。