今日の執行役員会では、柿沢幹事長が陳謝し、その場を収めたようだが、謝って済むなら政党なんていらない。初鹿議員は共産党とマイクをともにして、柿沢幹事長からすべての役職を解任された。傘下の議員には厳しい処分を下して、ご自分のことは謝るだけ、柿沢さんもそれでは済まないでしょう。
— 足立やすし (@adachiyasushi) 2015, 8月 18
☆タイガー・ジェット・シン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3#.E3.80.8C.E8.A5.B2.E6.92.83.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E3.80.8D.E3.81.A8.E3.80.8C.E8.85.95.E6.8A.98.E3.82.8A.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E3.80.8D
1973年11月、タイガー・ジェット・シンは2度目の来日中に外国人レスラー数名と組み、倍賞美津子(当時の猪木夫人)と買い物中だったアントニオ猪木を新宿伊勢丹前で白昼堂々と襲撃し警察沙汰となる事件を起こした。猪木は負傷・流血し警察にも通報された。
新日本プロレスに対する四谷警察署の対応は、「本当の喧嘩であれば猪木はシンを傷害罪で告発し、被害届を出せ。やらせであれば、道路交通法違反(道路無許可使用)で新日本プロレスを処分する」という厳しいものだった。これに対し新日本プロレスは、「やらせではない。シンは契約選手なので傷害罪で告発することは出来ないが、騒ぎを起こしたことは申し訳なく、お詫びなら幾らでもする」と始末書を提出し、事件は新日本プロレスに対する厳重注意で収まった。
この事件は各方面で報道され世間でも話題になり、シンは本当に狂っているのではないかという印象を強く与えた。
以後猪木はリング上で制裁を加えると公言し、猪木対シンの試合は「因縁の闘い」として世間の注目を集めることとなった。
事件直後の1973年11月16日、札幌中島スポーツセンターで超満員の中猪木と二度目の一騎打ちが実現。両者大流血の喧嘩ファイトとなった。