(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150201-00000011-mai-int
https://web.archive.org/web/20150131231851/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150201-00000011-mai-int
さらに「テロリストたちを決して許さない。罪を償わせるために国際社会と連携する。日本がテロに屈することは決してない」と訴えた。
《歴史メモ》
☆上海日本人僧侶襲撃事件~事件の概要
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E5%83%A7%E4%BE%B6%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E3.81.AE.E6.A6.82.E8.A6.81
1931年9月に満洲事変が勃発し、関東軍が満洲国を樹立した。これにより中国人の対日感情が悪化し、特に中華民国上海では反日運動が高まっていった。
1932年1月18日午後4時ころ馬玉山路を団扇太鼓をならし南無妙法蓮華経を唱えながら勤行していたいずれも日本人の日蓮宗僧侶2名と信者3名が、抗日運動の活動根拠地と見なされていた三友實業公司のタオル製造工場前の路地で、突如中国人と見られる数十人の集団に襲撃された。その結果、僧侶の水上秀雄が死亡し、天崎天山ら2名が重傷を負った。
(略)
この事件により、日ごろから中国人による暴動に反感を抱いていた上海の日本人居留民の怒りを爆発させ、青年同志会員が中国人街に殴り込みをかけ、1月20日には事件の現場になった「反日」の三友實業公司に30人が乱入し工場を放火、中国人と乱闘になり中国人2人を斬殺する一方で日本人1人も射殺され多数が負傷するなど、各所で暴力事件が続発したため、上海の工部局は戒厳令を敷いた。
1月20日に上海の日本人居留民は、中華民国の排日運動殲滅すべしとの決議を行った。
そして1月28日に居留民保護のために派遣された日本軍と中華民国国府軍とが軍事衝突する上海事変が勃発した。