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2015年2月10日火曜日

NHK世論調査で「自衛隊が武器を使って海外の邦人の救出活動を行えるようにしろ」25%

☆「武器使って救出可能に」賛成25% 反対33% (NHK)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150210/t10015343761000.html

https://web.archive.org/web/20150209204321/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150210/t10015343761000.html

この中で、国会で議論されている、自衛隊の海外における日本人の救出活動の在り方について、武器を使って救出活動を行えるようにしたほうがよいと思うか聞いたところ、▽「したほうがよい」が25%、▽「しないほうがよい」が33%、▽「どちらともいえない」が36%でした。


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《小磯国昭・軍務局長の名言「日本人は戦争が好きだから、一度鉄砲を打ってしまえば、あとは必ずついてくる」》


http://gorochan.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-aeea.html

https://web.archive.org/web/20141228135040/http://gorochan.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-aeea.html

こんな状況の中で、満州事変直前には、陸軍省軍務局長小磯国昭が、木戸幸一や原田熊雄に対して満州独立論を唱え、「日本人は戦争が好きだから、一度鉄砲を打ってしまったら、あとは必ずついてくるよ」と放言したものだ。




http://garden-watchdog.seesaa.net/article/388519917.html

https://web.archive.org/web/20141228133153/http://garden-watchdog.seesaa.net/article/388519917.html

1931年8月、東京朝日の編集局長、緒方竹虎はのちに首相になる近衛文麿や大阪毎日の幹部らとともに陸軍の方針を聞く会合に出席した。突然「満州独立論」を述べた軍務局長小磯国昭に、緒方が反論した。
「時代錯誤もはなはだしい。もしそんなことをたくらんでも、今の若い者は一人もついて行かないだろう」
「いや、日本人は戦争が好きだから、火ぶたを切ってしまえばついてくるさ」


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《大衆は、自分たちの頭の上から爆弾が降ってきて初めて戦争を実感する》


http://www.asyura2.com/0403/war55/msg/287.html

戦前戦中のリベラルなジャーナリスト清沢洌(きよし)が「暗黒日記(1942-1945)」(岩波文庫)で述べている。

「1945年元日。昨夜から今暁にかけ3回空襲(東京)、焼夷弾が投下された。配給の餅を食べれば新年らしい気分になる。…日本国民は今、初めて戦争を経験している。戦争は文化の母だとか100年戦争だとか言って戦争を賛美してきたのは長いことだった。僕が迫害されたのは反戦主義だからということだった。戦争は遊山に行くようなものなのか。戦争を彼らは今味わっている…」

つまり頭の上から爆弾が降ってきて初めて戦争を実感したといい


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☆昭和天皇の戦時の肉声、元侍従の日記見つかる
(2007年3月9日の朝日新聞)

http://www.asyura2.com/07/senkyo31/msg/881.html

日中戦争についての天皇の思いも吐露されている。「支那が案外に強く、事変の見透しは皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり」(40年10月12日)、「日本は支那を見くびりたり、早く戦争を止めて、十年ばかり国力の充実を計るが尤(もっと)も賢明なるべき」(41年1月9日)。

(略)

「(戦争は)一旦始めれば、中々中途で押へられるものではない。満洲事変で苦い経験を嘗(な)めて居る。(略)戦争はどこで止めるかが大事なことだ」



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