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2015年2月7日土曜日

【中東】イスラム国は「切り崩し」を回避するための仕組みを確立している

☆イスラム国の堅固な基盤確立、教訓は米軍の戦略
(AFP通信→時事通信)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150206-00000045-jij_afp-int

https://web.archive.org/web/20150206210020/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150206-00000045-jij_afp-int

2003年にイラクに進攻した米軍の最大の敵だったAQIは、米軍が地元部族の一部を取り込んで反アルカイダ(Al-Qaeda)の治安組織「覚醒評議会(Awakening)」を構成した戦略によって敗北した。ハッサン氏によると、イスラム国は当初からこの戦略に注目し、二の舞とならないよう、あらゆる手を打ったという。

「長期間潜伏する工作員集団を組織し、忠誠心を育て、コミュニティーを分断した。内部抵抗は事実上不可能になった。兄弟や親族と戦うことになるから、どの部族も彼らに敵対しない」




《反乱軍の「切り崩し」が成功したケース》

☆承平天慶の乱~藤原純友の乱

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E5%B9%B3%E5%A4%A9%E6%85%B6%E3%81%AE%E4%B9%B1#.E8.97.A4.E5.8E.9F.E7.B4.94.E5.8F.8B.E3.81.AE.E4.B9.B1

8月、純友は400艘で出撃して伊予国、讃岐国を襲って放火。備前国、備後国の兵船100余艘を焼いた。更に長門国を襲撃して官物を略奪した。10月、大宰府と追捕使の兵が、純友軍と戦い敗れている。11月、周防国の鋳銭司を襲い焼いている。12月、土佐国幡多郡を襲撃。

天慶4年(941年)2月、純友軍の幹部藤原恒利が朝廷軍に降り、朝廷軍は純友の本拠日振島を攻め、これを破った。

やきとりのいない八月

飛び地A

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