(産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141117-00000589-san-pol
https://web.archive.org/web/20141117204509/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141117-00000589-san-pol
財務省はとくに、再増税に慎重な議員に集中して押しかけた。同省幹部は、ある若手議員に再増税をしきりに訴えたという。
「社会保障費が膨れ上がる中、消費税率がこんなに低いのは、国民を甘やかすことになる。経済が厳しくても10%に上げるべきだ」
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537 名前:無党派さん
投稿日:2014/11/18(火) 03:12:35.20 ID:wObncRWG
ガリ勉秀才、ここに極まれり。
こんな奴らが権力を振るっていては国民は不幸になるばかりだ。
548 名前:無党派さん
投稿日:2014/11/18(火) 05:07:13.75 ID:PitOpzhN
下村治氏がご存命なら、今の状況は脳の線を数え切れないほどブチ切っていただろうな。
財務省の官僚を見ていると、牟田口とか辻みたいに自分の権力増大のためなら国家を滅ぼしてもいいと考えているとしか言い様がない。
いつからこうなったのか。
《おまけ》
☆タイガー・ジェット・シン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3#.E3.80.8C.E8.A5.B2.E6.92.83.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E3.80.8D.E3.81.A8.E3.80.8C.E8.85.95.E6.8A.98.E3.82.8A.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E3.80.8D
1973年11月、タイガー・ジェット・シンは2度目の来日中に外国人レスラー数名と組み、倍賞美津子(当時の猪木夫人)と買い物中だったアントニオ猪木を新宿伊勢丹前で白昼堂々と襲撃し警察沙汰となる事件を起こした。猪木は負傷・流血し警察にも通報された。
(略)
この事件は各方面で報道され世間でも話題になり、シンは本当に狂っているのではないかという印象を強く与えた。以後猪木はリング上で制裁を加えると公言し、猪木対シンの試合は「因縁の闘い」として世間の注目を集めることとなった。事件直後の1973年11月16日、札幌中島スポーツセンターで超満員の中猪木と二度目の一騎打ちが実現。両者大流血の喧嘩ファイトとなった。
それまでの猪木のファイトは正統派スタイルを売りにしていたが、対シン戦で猪木が見せた喧嘩ファイトは猪木の新たな魅力を引き出し、ファンの増加をもたらした。またシンという絶対悪が存在する限り、日本人受けが良いとされる勧善懲悪の世界を築くことができた。これら一連のシン効果により、新日本プロレスはメジャー団体への階段を昇る。
翌1974年6月、NWF王者猪木(当時)とシンのタイトルマッチ2連戦は、両者の遺恨がピークに達した試合と今でも語り継がれる。同年6月20日、東京・蔵前国技館の60分3本勝負において、2本目開始直後にシンは猪木の顔面に火炎攻撃を仕掛け、サーベルで猪木を滅多打ちにし流血させた。猪木はタイトルこそ防衛したものの、左目と頭部を負傷した。その傷が完治しないまま6日後、6月26日の大阪府立体育会館での60分3本勝負は、1本目がシンの徹底した反則攻撃により猪木は大流血。2本目に猪木の怒りが頂点に達し、シンの右腕に狙いを定めると鉄柱攻撃などで集中的に攻め続け、最後はショルダー・アームブリーカーを連発しシンの右腕を骨折させ、ドクターストップの末猪木がタイトルを連続防衛し、ここに両者の遺恨に一旦終止符が打たれた。なお、猪木自身は「腕を折った」と明言しているが、実際にはヒジもしくは肩の亜脱臼だという。
双方の攻防は、いずれも一歩間違えればレスラー生命に関わる激しいものであったが、両者には互いが共栄していくためには、超えてはならない一線を超えることも是とする暗黙の了解があったとされる。
当時の猪木は日本プロレスを追放されたも同然の身で、ライバル団体の全日本プロレスに追いつき追い越したいという野望があり、シンも新天地日本でトップヒールとして開花したいという、両者の強烈なハングリー精神が共感した上で、前述の遺恨試合2連戦が展開された。
特に第二戦の大阪府立体育会館においては、猪木対シンの試合開始1、2時間前から会場は超満員(8,900人)の観客で溢れ、入場出来なかった多くの熱心なファンが係員と押し問答となったり、ダフ屋では1,000円のチケットに5,000円の値がついたりと場外でも話題は尽きなかった。
また、試合を生で観戦した者は「会場全体が、これから殺し合いでも始まるのではないかという異様な熱気と興奮に包まれていた」と当時の様子を回顧する。
後年、ミスター高橋はその著作の中で、新宿伊勢丹襲撃劇は猪木夫妻が了解済みのアングル作りであったこと、シンに荷担したビル・ホワイトもやらせであったことを暴露している。ただし、「我々はある程度良識の範囲内での襲撃を想定していたのだが、途中からシンが本気になってしまった」とシンの予定外の暴挙が騒動に発展したことを明かしている。