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2014年11月17日月曜日

【衆院選】小沢一郎氏が「(共産以外の)野党の大合流新党」を呼びかけ

☆「野党が一緒になり、新党を」生活・小沢代表 (朝日新聞)

http://www.asahi.com/articles/ASGCK6DZZGCKUTFK00W.html

http://www.peeep.us/b3d8b804

そのためには野党が一緒になり、新党をつくり選挙に臨むのがベストだ。新党にしなければ意味は半減する。国民も一つの政党というイメージでないと、受け皿とはみなさないだろう。



《おまけ》

☆張良

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%89%AF#.E6.A5.9A.E6.BC.A2.E6.88.A6.E4.BA.89

しかし韓信と彭越はやって来ず、劉邦は項羽軍に敗れた。張良は劉邦に「韓信・彭越が来ないのは恩賞の約束をしていないからです」と答えた。劉邦は「彼らには十分禄は出している。韓信は斉王にしてやった」と言うも、張良は「韓信は肩書きだけで斉の地を与えたわけではありません。彭越も補給路を断つなどの活躍しましたが、肩書きの一つでも与えましたか? それに、彼らも漢楚が争っているからこそ価値があるとわかっているので、争いが終わってしまえば自分たちはどうなるかと不安なのです」と返した。

なおも納得ができない劉邦が「では、恩賞が少ないからと言って我々を見捨て、漢が滅びればどうなる?彼らも滅びてしまうではないか。それに天下が定まらない状況で恩賞など出せるか」と問うと、張良は「彼らは漢が滅びるとは思っていません。功績と恩賞が見合っていないと思っているのです。先の戦で大王は天下の半分をお取りになりました。それは一体誰のお陰ですか?大王の『恩賞は天下が定まってから』というお考えはよく理解できますが、天下の人々には『劉邦は天下の半分を取りながら恩賞を出し惜しんでいる』としか見えません。私は大王が物を惜しんでいないのはよく存じております。しかし、天下の人々にもそう見えなければ意味がありません。だから彼らも、恥じることも悪びれることもなく動かなかったのです」と答えた。

これに劉邦も納得し、両者に対して戦後も韓信を斉王に、彭越を梁王に封じる約束をし、喜んだ両者の軍を合わせて項羽軍を垓下に包囲し、項羽を討ち取った(垓下の戦い)。



☆垓下の戦い

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%93%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E5.9E.93.E4.B8.8B.E3.81.AE.E6.88.A6.E3.81.84.E3.81.BE.E3.81.A7.E3.81.AE.E6.B5.81.E3.82.8C

漢軍は楚軍を追って固陵(現河南省淮陽県の西北)という所まで進み、同時に韓信と彭越にそれぞれの兵を率いて共に楚軍を討つように命じ、陽武(現河南省太康県)に兵を進めた。しかし両者は姿を見せず、一方で裏切りに気づいた項羽は漢軍へ反撃、大きな被害を受けた漢軍は城の中に入り、塹壕を深くして守りに徹した。

張良は劉邦に対して韓信・彭越が来ないのは2人に恩賞の約束をしていないからだと言い、韓信には陳から東の海に至るまでの全ての土地を与え、彭越に対しては睢陽より北・穀城に至るまでの土地を与え、梁王(魏王)とするようにと進言、劉邦もこれを容れ、韓信・彭越に使者を送った。

その結果、2人は即座に軍勢を率いて劉邦に合流した。さらに劉賈の軍も彭越と合流、楚軍の周殷も寝返り、これらの軍勢は次々と垓下の劉邦の下に集結した。



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