http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/367.html
ゴミ撤去を請け負った大阪府内の工事業者が毎日新聞の取材に「国に掘り起こす必要はないと指示された」と証言しているのだ。記事は6日夕刊に掲載。この工事業者は7日夜に死亡した。
《おまけ》
☆トリカブト保険金殺人事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%96%E3%83%88%E4%BF%9D%E9%99%BA%E9%87%91%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
犯人である神谷力は、事件が発生するまでの過去5年間の間に、事件の被害者となった女性(事件当時33歳)を含め3人の妻を亡くしていた。
1人目の看護師とは、1965年(昭和40年)に結婚。1971年(昭和46年)には、同じ会社の経理課の女性上司と出会い、10年の間、密かに愛人関係を続けた。1人目の妻が、1981年(昭和56年)に38歳の若さで心筋梗塞で死亡する。この時の1人目の妻には保険金をかけていない。
その後、愛人関係であった女性と同棲を始め、神谷が受取人の1,000万円の保険をかけて結婚。1985年(昭和60年)、2人目の妻が急性心不全で死亡すると、神谷は池袋のクラブでホステスとして働いていた女性と2月に結婚した。
前妻の死から1ヶ月で交際を始め、4ヶ月後には結婚するというスピード結婚であった。
1986年(昭和61年)5月19日、神谷と妻は、沖縄旅行のために沖縄県那覇市に到着した。翌20日、2人に誘われた妻のホステス時代の友人3人も、那覇空港で2人に合流した。
11時40分、神谷は「急用を思い出した」と大阪の自宅へ帰宅することになり、那覇空港に残った。妻と友人3人は、予定通り石垣空港行の飛行機に乗り、正午過ぎに石垣島へ到着した。石垣島に到着した一行はホテルに到着し、チェックインをしたが、すぐに突然妻が大量の発汗、悪寒、手足麻痺で苦しみだしたため、救急車で八重山病院へ搬送された。だが、妻の容体は急速に悪化して救急車内で心肺停止に陥り、直後に病院に到着するも、一度も正常な拍動に戻らず15時4分に死亡した。
沖縄県警察は、那覇空港から急遽石垣島に来た神谷の承諾のもと、行政解剖(遺族の承諾による)を行った。解剖にあたった大野曜吉(当時・琉球大学医学部助教授)は、妻の死因を急性心筋梗塞と診断したが、心臓の一部に小さなうっ血を発見するも、内臓には病的な異変のない状態であった。また、急死につながる明らかな異常が無かったことから、不審に思った大野は、妻の心臓と血液30ccを保存した。この判断が後に事件解決につながる。