☆安倍首相、連合メーデー出席へ (日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1905D_Z10C13A4PP8000/
http://www.peeep.us/9e41da43
首相は参院選で労組票の獲得につなげる考え。民主党の支持母体の連合も、政策実現のために自民党とのパイプを太くする思惑があるとみられる。
《おまけ》
☆湛増
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%9B%E5%A2%97
湛増(たんぞう、大治5年(1130年) - 建久9年5月8日(1198年6月14日))は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した熊野三山の社僧(法躰)で、21代熊野別当である。
(略)
平治元年(1159年)の平治の乱では、父湛快が平清盛方につき、平氏から多大の恩顧を受けつつ、平氏政権のもと、熊野別当家内部における田辺別当家の政治的立場をより強固なものにし、その勢力範囲を牟婁郡西部から日高郡へと拡大していった。湛増もまた平氏から多大の恩顧を受けつつ、若い頃から京都と熊野を盛んに行き来し、承安2年(1172年)頃には京都の祇陀林寺周辺に屋敷を構え、日頃から隅田俊村などの武士を従者として養いつつ、当時の政治情勢に関する色々な情報を集め、以前から交流のあった多くの貴族や平氏たちと頻繁に交わっていた。
(略)
元暦2年(1185年)、源義経の「引汲」によって平氏追討使に任命された熊野別当湛増は、200余艘(一説では300艘ともいう)の軍船に乗った熊野水軍勢2000人(一説では3000人ともいう)を率いて平氏と戦い、当初から源氏方として壇ノ浦の戦いに参加し、河野水軍・三浦水軍らとともに、平氏方の阿波水軍や松浦水軍などと戦い、源氏の勝利に貢献した。