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2012年10月25日木曜日

【冤罪かも】死刑執行済みの飯塚事件で「第三者のDNA型が見つかった」


[タグ]飯塚事件。久間三千年。


2女児殺害の飯塚事件再審請求審で、「第三者のDNA型が見つかった」と元死刑囚側の弁護団。
2012/10/25 18:25  【共同通信】






☆法務省 2人の死刑を執行、森法相の下で初めて 
(2008年10月28日の毎日新聞)

http://www.asyura2.com/08/news7/msg/111.html

法務省は28日、2人の死刑を執行したと発表した。執行されたのは久間三千年(70)=福岡拘置所収容▽高塩正裕(55)=仙台拘置支所収容=の2死刑囚。死刑執行は9月11日以来2カ月連続で、今年に入り5回目。森英介法相の命令は9月の就任以来初めて。

死刑執行は法相の命令が出なかったことによる約3年4カ月の中断の後、93年3月に再開されたが、それ以降、執行された死刑囚は計75人になった。

確定判決などによると、久間死刑囚は92年2月、福岡県飯塚市の路上で小学1年の女児2人(いずれも当時7歳)をわいせつ目的で自分のワゴン車に乗せ絞殺した。



☆「久間三千年」事件 (カマヤンの虚業日記。2006―09―08)

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20060908#1157719709

氏名 久間三千年

事件当時年齢 54歳?

犯行日時 1992年2月20日

罪状  殺人、略取誘拐、死体遺棄。

事件名  飯塚2女児殺人事件

事件概要 
1992年2月20日朝、久間三千年被告は福岡県飯塚市の小学1年女児2人(ともに7歳)の登校中に自分のワゴン車へ誘い込み、市周辺で首を絞めて殺害、同日11時ごろ、福岡県甘木市野鳥の雑木林に遺体を捨てた。福岡県警は1994年9月、DNA鑑定の結果、遺体周辺の血痕と久間被告のDNAの型が一致したなどとして、久間被告を死体遺棄容疑で逮捕した。


一審  1999年9月29日 福岡地裁 陶山博生裁判長 死刑判決

控訴審  2001年10月10日 福岡高裁 小出☆一裁判長(☆は金ヘンに享) 控訴棄却 死刑判決

裁判焦点 

自白、物的証拠一切なし。久間被告側は一貫して無罪を主張。動機は明らかにされていない。


遺体周辺などから発見された血痕のDNA鑑定が最大の争点となった。警察庁科学警察研究所(科警研)は2種の方法で鑑定し、いずれも「久間被告のDNA型と一致」とした。しかし、帝京大の鑑定では久間被告の型は検出されなかった。


検察側は、
〈1〉2種類のDNA鑑定のうち一方について、犯人が1人と仮定すれば、被告と一致
〈2〉被告の車の血痕の血液型が女児の1人の型と一致
〈3〉遺留品発見現場で目撃された車が被告の車と似ている、と主張した。

福岡地裁陶山裁判長は科警研の2種の鑑定法のうち、1種について、1人の資料での判定が原則なのに、鑑定対象となった血痕などは2人以上の混合血だったことから「鑑定結果は疑問だ」と指摘。全国約200件の刑事訴訟で証拠採用された科警研や科警研方式のDNA鑑定では初めて、証拠としての信用性を否定した。

しかしもう1種の鑑定は「信用でき、犯人が1人であると仮定すれば被告と一致するといえる」と判断。一方、帝京大鑑定については「資料が少なく被告の型が出なかったとしても科警研鑑定と矛盾しない」とした。

さらに、遺体の着衣に付着していた繊維は「久間被告の車と同型車のシートの繊維である可能性が高い」▽被告の車から検出された血痕と尿の跡は「女児を運んだ際に付いた物とすれば合理的に説明できる」▽遺留品発見現場近くで目撃された車が被告の車に似ている--などを認定。いずれも単独では断定できないが、総合すると有罪以外の可能性は考えられない、と結論付けた。そして「DNA鑑定や目撃証言、車内の血痕や尿の跡などの状況証拠を総合評価すると被告が犯人と認定できる。極めて冷酷残忍で、再犯の可能性も否定できない。改しゅんの情も全く見られない」とした。

控訴審でも被告側は無罪を主張した。

福岡高裁は▽女児の1人の遺体に付着した血痕のDNA型が、警察庁科学警察研究所が実施した2種類のDNA鑑定のうち1種類で被告と符合▽遺留品発見現場付近で目撃された車は被告の車と同じ車種▽女児の1人の着衣に付いていた繊維は、被告の車の車種のシートと細部まで一致▽被告の車から検出された血痕は血液型とDNA型が女児の1人と一致し、車内から検出した尿とともに女児を運んだ際に付いたと説明できる--などと認定。これらの状況証拠から久間被告が犯人であると判断した。

小出裁判長は「証拠が被害者側から得られるだけでなく、被告の車からも被害者の痕跡が見いだされる。一つ一つが相当大きな確率で結びつき、被告が犯人である確率は幾何級数的に高まっている」「状況証拠はそれぞれ重要かつ特異的で、被告が犯人であることを十分裏付けている」「被告は冷酷卑劣で反省の情もない。死刑もやむを得ない」と述べた。

あれ? 物証なしだったの? 





《2ちゃんねるの反応》

195 名前:無党派さん[]
投稿日:2008/10/28(火) 11:34:45 ID:rrhcHKuC

今日2名の死刑執行があったようだけど、内一名はえん罪の可能性が
かなり指摘されている久間三千年(2女児殺人)か。

これ、真剣に国会で議論すると大問題になるかも。

彼は当初、警察が大学に委託して行われたDNA鑑定では白判定が
でている(科捜研は黒判定)。

さらに、女児着用の衣類が犯行の6年後に行われた再捜査の結果、
汚れが少ない状態で野外で発見されるという、奇妙なことも起きている。

本人は一貫して無罪を主張。

法務大臣は、確信を持って有罪だと考えた根拠をすぐに説明できるようにしておくべき。死刑執行自体は良いとしても、えん罪の可能性がかなりある人を無思慮で執行してしまうのは、非常に非常にまずい



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☆足利事件 菅家さん釈放 同時期のDNA鑑定、最高検が証拠保存指示 再審請求に備え 
(2009年6月5日の毎日新聞)

http://www.asyura2.com/09/news8/msg/171.html

菅家さんを釈放した異例の事態を受け、最高検は4日、足利事件と同時期にDNA型鑑定した事件について、被害者の着衣など関連証拠を保存するよう全国の地検に指示する方針を明らかにした。足利事件以外で再審請求が出た場合に備えるためという。

4日、記者会見した最高検の鈴木和宏刑事部長は、保存の対象について「旧型のDNA鑑定をした事件。今の鑑定のような精度の高いものは除く」と述べ、範囲を限定する考えを明らかにした。「一両日中に指示する」としたうえで「何年前のものまで保存されているかは分からないが、残っているものを保存する」と説明した。




160 名前:無党派さん[sage]
投稿日:2009/06/05(金) 07:24:10 ID:IgHeJXaV

菅家さんは事実上無罪が証明されて非常の良かったが、久間三千年さんの事件も忘れてはいけない。

久間さんもDNA鑑定の結果を理由に死刑判決が確定し、昨年執行された。

しかし、そのDNA鑑定は菅家さんの方法と同じであり、久間さんは一貫して無罪を主張。

さらに、科捜研以外のDNA鑑定では「一致せず」との結果さえ出ている。

にも関わらず、麻生内閣の森法務大臣は死刑執行を命じた。

このことを忘れてはいけない。いま弁護団が死後再審の準備を進めているがもし無罪ということになったら、麻生と森は取り返しの付かない犯罪をおかしたことになる

麻生は、逮捕=有罪という考えを明言したが、そうではないのだ





178 名前:無党派さん[sage]
投稿日:2009/06/05(金) 07:53:13 ID:IgHeJXaV

土本@TBS(元最高検検事)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E5%8F%B8
ひどいな。

逮捕翌日の毎日新聞がDNA鑑定に疑いを早くも示しているのに、
「だれもDNA鑑定を疑わなかった。指紋より精度が高いと当時思われていた」とは。


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久間三千年「事件」について『岩永天佑「告発の書」』より再掲
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/388.html
投稿者 シジミ 日時 2008 年 10 月 29 日


明和63年12月4日、福岡県飯塚市明星団地に住んでいたひとりの少女が行方不明になった。潤野小学校1年、松野愛子である。日曜の午前7時半頃、町内の廃品回収を手伝った後、団地内の公園で友達と遊び、さらに同10時頃、一人の男の自宅で弟と遊んでいるのを近所の人に目撃されるが、これを最後にこの女児は失踪した。この男こそ、久間三千年であった。

久間三千年がこの女児失踪に関与したのか。証拠はない。だが、周囲の印象は、久間が極めて怪しいという雰囲気に包まれた。今度この男の周辺で児童が失踪すれば、重要参考人にされるのは明らかであった。ましてや殺害されるようなことがあったなら、警察は間違いなく久間を“想定した犯人”に仕立て上げるであろう。もちろんこの時点では久間も警察も3年2か月後にお互いが反目し合うことなど予想できなかったに違い。両者を土俵に載せてほくそ笑むものがいた。悪魔の謀略の第一段階は成功したのである。

平成4年2月21日夕、福岡県甘木市野鳥の国道322号道路わきの林で、20日朝から行方不明になっていた潤野小学校1年、中川藍と同、梅野裕莉の二人の女児が死体となって発見された。二人の顔には殴打の跡があり血が流れていたという。二人は20日朝、別の友人と三人で登校したが、登校途中、この友人と別れ、飯塚市内の繁華街で目撃されたとの情報を最後に消息を断っていた。

この時点で、つまり状況証拠すらほとんどない時点で、“犯人久間三千年”は9割方確定された。初めに“犯人久間三千年”ありきであった。相撲でいえばもろさしで土俵際1メートルの所から無理やり取り組まされたのである。捜査の初期段階から、久間を犯人と匂わす、警察地元マスコミ一体となっての波状攻撃が繰り返し行なわれた。時に警察は、捜査の初めから久間の顔写真を持ち歩いて近所の住民に聞いて回るという人権を蹂躙した不当な捜査を平気で行なったのである。

2女児の遺体発見で、松野愛子の敵が討てる、一部の警察関係者は色めきたったのであろう。だが、これこそ悪魔が想定していたシナリオであった。冷静に考えれば、久間の一連の事件への関与は素人目にも大きな矛盾があることは明白であった。まず久間三千年が知性ある性倒錯者として、かつて嫌疑をかけられたのと同じ自宅の近所に住む潤野小の児童を、何故わざわざ欲望充足の対象に選んだのか、しかも2人も、という素朴な疑問が生じてくる。我々が「変態久間」の立場なら“自宅周辺での対象物色”という危険な行為は間違っても犯さなかったであろう。以前に嫌疑がかかっていたのだから尚更である。最も不可解なのが、2女児の遺体や遺品をほぼ100%発見されるであろう道路わきにわざわざ放置したことであった。

“殺人事件”になることを確信して。久間が松野愛子失踪に関与していたと仮定するならば、少なくとも欲望を充足した後の処理技術に関しては長けていたわけである。それが2女児殺害のような大それた事後の処理は、確実に己の首を絞めるであろう形で省略した。遺体が発見されれば警察は確実に動く。この“省略”こそ警察をフル嫁働させ、ターゲット久間が総攻撃されるように仕組まれた「起爆剤」であったのである。これより以後の 「久間攻略作戦」は以下のように行なわれた。


3月に警察が得たといわれる「遺品遺棄現場での紺色ワンボックス車を見た」との目撃情報により、「同種の車を所持していた」久間三千年に捜査の対象はほぼ100%絞られ、この男と女児とを結びつける証拠の発見に全力が注がれた。警察は、最悪、決め手となる証拠品が発見されなかった場合、伝家の宝刀である内部工作による証拠のこじつけ、デッチ上けも辞さない覚悟でいた。3月下旬、久間に任意で提出させた毛髪と「現場に残されていたといわれる体液」とが警察庁で行なわれたDNA鑑定の結果「ほぼ一致」し、この時点で久間がほぼ犯人と断定された。

だが検察に証拠能力を問われ、第三者の大学研究室で再鑑定したところ、一致の確立は非常に低下したものであった。ここに警察の苦悩がある。捜査は中断したかにみえたが、平成5年12月になって、前年9月に久間が手放した例のワンボックス車内を再度鑑定、翌年2月、1年5か月という歳月を怪て、女児の衣服に「付着していたという4種類の繊維」と前述の「車のシートの繊維とが一致」、さらに「シートの裏に付着していたといわれる「ごく微細な血痕」と女児の一人の「血液型も一致」した。8月、検察との協議の結果、久間三千年の死体遺棄容疑が固まり、9月29日、同容疑で、ついに逮捕された。最初の事件発生から実に5年9か月後、悪魔のシナリオは完遂されたのである。

久間と警察の5年9か月に渡る闘争は警察による久間への一方的な「精神的拷問」という形で行なわれた。本来密室で行なわれるはずの自白強要が、衆人環視、認証の下行なわれたのである。特に2女児殺害以後は、久間の実名と顔写真を所持しての自宅近辺での聞き込み、張り込みが連日続けられた。平成5年9月には、警察の嫌がらせに対して堪忍袋の緒が切れた久間が、張り込みの捜査員に刈りバサミで切りつけるという一幕もあった。状況証拠らしい状況証拠と言えば「久間も持ってた紺色ワンボックス車が遺棄現場で目撃された」という情報のみであった。だがこれは久間に嫌疑が向けられるように作られた情報リークの可能性があったし、それが事実であるとしても、久間のものと同一の車種を使い、たまたま誰かに目撃されたか、あるいはわざと目撃された真犯人のものであろうことは容易に推測できるものであった。

この「目撃」以外はすべてこじつけられた証拠である。DNA鑑定などほとんど信用性がないことが証明されたにもかかわらず、警察は自称「ほぼ一致」にあくまでこだわった。そもそも「現場で発見された体液」はDNA鑑定できるほどの量があったのか。車内の微物の鑑定に1年5か月もの長大な期間を要したのは伝家の宝刀の製作に四苦八苦していたからに他ならない。A、B、AB、O、2女児の型がそれぞれ異なるとして、いずれかが一致する確率は単純計算で二分の一である。こんなのが証拠と言えるのか。警察が久間逮補のよりどころとしている証拠に久間の車の「シートの4種顕の繊維と2女児の衣服に大量に付着していた繊維とが一致した」というのがあるが、これは殆ど詭弁であろう。女児の衣服のものであると100%断定できる繊維が久間の車の中から出てきたわけではないからだ。証拠となるには4種類の繊維が久間固有のものであることが証明されなければならない。4種類の繊維が量販されている、あるいは他者が真似て作れる、使用できる可能性がある以上、確固たる証拠にはなり得ないのである。にもかかわらず警察は、久間三千年を“怪しい”“やったに違いない”という偏見と思い込み、ほとんどこじつけられた状況証拠だけで犯人に仕立て上げたのである。

久間三千年の起訴後、実に“奇妙”な事が起きた。何を思ったのか、警察は今頃になって松野愛子の痕跡を再び捜しに出かけ、それを見事に発見したというのである。地元マスコミはこの出来事を、6年間不明の愛子ちゃんの衣服が25分で発見された「快挙」としてこぞって報道した。この出来事は警察の「本質」というべきものを実に見事に物語っている。松野愛子の衣服(ジャンパーとトレーナー)は明星寺南谷山道斜面で再捜索に加わっていた地元消防団員の手により不法投棄のゴミに混じって発見された。これに対する警察のコメントが「失踪事件の風化を防止するため、当時の捜索でやや不十分だった場所をあらためて探しただけ」という“素晴らしい”ものなのだ。6年掛けて探し続けてきたものを今回はわすか25分で見つけ出したのである。しかも「とても6年前に捨てられたとは思えないほど傷みは少なかった」という関係者のごたいそうなおまけまで付けて。警察はいつから「超能力者」になったのか。よくもこのような見え透いた大うそを憶面もなく平然とつけるものである。まさに遺族と国民を愚弄したと言えるのではないか。この“奇妙な出来事”は一体何を物語るのか。可能性として次の事が推測されよう。


1、伝家の宝刀を抜いた。つまり全く同じ衣服を新たに用意し、自ら投棄し発見した。

2、警察が温存していた証拠(衣服)を今が出し頃であると判断し、偽装する形で発見させた。

3、松野愛子殺しの真犯人、第三者が久間を嵌める目的で今になって投棄し、リークして発見させた。

4、2女児殺害で捜査の手が及ぶと判断した久間が、最近になって投棄しそれをたまたま警察が発見した。5、6年間野ざらしの衣服がほとんど無傷の状態で奇跡的に警察に発見された。

現場で発見された着衣は、ゴミ不法投棄場所として調査した主婦の証言から平成4年秋頃にはなかったことが確認され、投棄の時期はそれ以降であることが判明している。したがってほとんど「傷みのない着衣」


という事実と合わせて考慮すると、5の可能性は除外できよう。次に4についてだが、平成4年秋以降といえば2女児殺害に関して久間に多大な嫌疑がかかっていた時期である。連日張り込みも行なわれており、このような状況での投棄はます不可能である。見つけられた時のリスクを考えればむしろ自宅で燃やすなりして処分するはずである。それにもともと久間はやってないのだから捨てようがないのだ。残るは1、2、3であり、この内のどれかが真相である。この時朝に、特定の場所に狙いを定めて、しかも超短時間で確実に望みの“物”を発見した。この意味することは4の“たまたま”とか5の“奇跡的に”ということではなく、“そこにある”ことを警察は100%確信していたのである。この警察の“異能”に関して永留慶造飯塚署長は「若干の捜査情報に基づいた可能性もあるが、その情報は明らかにできない」と述べたそうだが、これを素直に解釈すると、3、すなわち直接の犯人からでないにせよ、何ものからかの情報リークがあったとも受けとれる。これが事実ならばむしろ久間の事件への関与は否定できよう。もしこの事実がなけれは、1か2ということになる。もっとも警察は間違ってもデッチ上げたとは言わないだろう。いすれを取るにせよ、松野愛子殺しも久間に結びつけ、窮地に追い込もうという何者かの意図は見え見えなのである。

ここで松野愛子殺しの意義を若干述べておく。サタンの本命はあくまで『中川藍』にあった。松野愛子の失踪は、1、警察をフル嫁動させない程度に近所の久間に嫌疑がかかるようにする、2、来るべき『中川藍』の儀式のための予行演習、という二つの意味があったと言える。儀式の完遂のための久間というスケープ・ゴートの必要性だ。松野愛子が演習であったことの証明は、その名前「愛」、衣服のあった「8木山」にある。この意味についてはボエドの『7バス報告書』の署長への謎かけと合わせて考えて頂きたい。

この久間事件は、“謀略”により、いかにして無実の日本国民が殺人犯に死立て上げられるのかを端的に表しているケースである。その意味で、久間事件はすべての日本人に関わる問題であると言えよう。この事件の真相を追及しようとする姿勢を見せれは見せるほど、それを妨害しようとする勢力も勢いを増してくるであろう。『中川藍』の儀式の完遂は、サタンにとってどうしても譲れない橋頭堡的役割を合わせ持っているからである。従ってこれより以後も、久間に止めを刺す様々な小細工が仕掛けられる可能性が非常に高い。日本国民は自身の問題としてこの事件の成行きを監視していく必要がある。



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