このブログを検索

2015年1月28日水曜日

【アフリカの珍しい写真】ブルンジ共和国の国会議事堂の内部 

ブルンジ共和国(ブルンジきょうわこく)、通称ブルンジは、中部アフリカの内陸に位置する国家。ルワンダ、コンゴ民主共和国、タンザニアと国境を接している。

議会は両院制で、上院と国民議会(下院)で構成される。上院は37議席以上54議席未満と規定され、全17県から間接選挙により選出される地方・民族代表(任期5年)と、歴代国家元首(終身任期)により構成される。国民議会は比例代表制に基づき選出された議員で構成され、定数は100議席を下回ってはならないとされている。任期は5年。得票率が2%を下回った政党や会派は、議席を獲得できない。

https://twitter.com/ntvuganda/status/560180557628182530



自国で大規模テロや大きな天変地異が発生した場合、政治家はツイッターの顔アイコンをどうすべきか?

https://twitter.com/honnenogod/status/560079454425198593



https://twitter.com/Anne_Hidalgo/status/560084800393187328



【動画】生活の党と山本太郎となかまたち:小沢一郎・山本太郎両代表の記者会見

【2015年1月27日】
小沢一郎代表・山本太郎代表共同記者会見

http://youtu.be/3u1W0EosP8s



2015年1月27日火曜日

【アフリカ】ザンビア共和国に初の「女性副大統領」が誕生した

☆Zambia Gets First Female Vice President
(アル・アフリカ)

http://allafrica.com/view/group/main/main/id/00035161.html

The new Zambian Vice President Inonge Wina.



世界的ピアニストの中村紘子さんが「大腸癌」治療に専念するため活動休止

☆ピアニストの中村紘子さん 大腸がん治療で活動休止へ「しばらくは猫をかぶって」 (スポニチアネックス)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150127-00000114-spnannex-ent

https://web.archive.org/web/20150127095007/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150127-00000114-spnannex-ent

中村さんは1965年のショパン国際コンクールで入賞し、活躍の場を世界に広げたピアニスト。



【YouTube】ケニア首都放送局(ナイロビ)の女性ニュースキャスターのいでたちが非常にかっこいい

Capital FM Kenya

http://youtu.be/7JRhg2XBGtk



【生活の党】このあと16時から山本太郎・共同代表が記者会見(ネット中継あり)

https://twitter.com/taro_koho/status/559956487724756992 



昨日来日したばかりのジョニー・デップさんが突然体調を崩し来日会見を中止

☆デップ体調崩し来日会見中止
(日刊スポーツ)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150127-00000014-nksports-ent

https://web.archive.org/web/20150127055810/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150127-00000014-nksports-ent

デップは前日26日、恋人の女優アンバー・ハード(28)とロサンゼルスから自家用ジェット機で来日、会見が行われる都内のホテルに宿泊していた。



【生活の党】山本太郎議員が小沢一郎代表とともに「共同代表」に就任する

☆生活、共同代表に山本氏 幹事長は玉城氏 (産経新聞)

http://www.sankei.com/politics/news/150126/plt1501260045-n1.html

http://www.asyura2.com/15/senkyo178/msg/685.html

小沢、山本両氏が27日に記者会見して発表する。



【辺野古】反対派の一部が東京政府の挑発に乗って「暴発」「暴徒化」するおそれ

☆市民鉄柵越え 警官が排除 深夜のシュワブゲート前騒然
(琉球新報)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-237938-storytopic-1.html

https://web.archive.org/web/20150126203555/http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-237938-storytopic-1.html

27日午前0時10分ごろには、一部の市民らが旧ゲート前に設置された鉄柵を乗り越えたため、警察官に排除されるなど現場は騒然とした。




《抗議活動を鎮圧するノウハウ》

☆官邸包囲デモに公安筋「抗議行動を抑える方法はある」と語る
(週刊ポスト2012年7月20・27日号)

http://news.livedoor.com/article/detail/6755226/

https://web.archive.org/web/20150126204049/http://news.livedoor.com/article/detail/6755226/

だが、手を拱いて見ているばかりではないようだ。公安筋からはこんな声が聞こえてくる。

「抗議行動を抑える方法はある。カッとなりそうな者を挑発して、暴力的な行動を起こさせればいい。そうなれば、一般の参加者は普通のサラリーマンや学生だから“一緒にされたくない”と冷めていくはずだ。投げられたペットボトルを“火炎瓶の可能性がある”とマスコミにリークすることだって可能だ」




《明治政府による薩摩割拠勢力への挑発》

☆西郷隆盛

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9A%86%E7%9B%9B#.E6.8C.99.E5.85.B5

明治10年(1877年)1月20日頃、西郷は、この時期に私学校生徒が火薬庫を襲うなどとは夢にも思わず、大隅半島の小根占で狩猟をしていた。

一方、政府は鹿児島県士族の反乱を間近しと見て、1月28日に山縣有朋が熊本鎮台に電報で警戒命令を出した。

29日、従来は危険なために公示したうえで標識を付けて白昼運び出していたのに、陸軍の草牟田火薬庫の火薬・弾薬が夜中に公示も標識もなしに運び出され、赤龍丸に移された。

これに触発されて私学校生徒が、同火薬庫を襲った。




☆西南戦争

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8D%97%E6%88%A6%E4%BA%89#.E8.B5.A4.E9.BE.8D.E4.B8.B8.E3.81.A8.E5.BC.BE.E8.96.AC.E6.8E.A0.E5.A5.AA.E4.BA.8B.E4.BB.B6

1月29日、政府は鹿児島県にある陸軍省砲兵属廠にあった武器弾薬を大阪へ移すために、秘密裏に赤龍丸を鹿児島へ派遣して搬出を行った。この搬出は当時の陸軍が主力装備としていたスナイドル銃の弾薬製造設備の大阪への搬出が主な目的であり、山縣有朋と大山巌という陸軍内の長閥と薩閥の代表者が協力して行われた事が記録されている。

(略)

私学校徒は中央政府が泥棒のように薩摩の財産を搬出した事に怒るとともに、当然予想される衝突に備えて武器弾薬を入手するために、夜、草牟田火薬庫を襲って武器類を奪取した。この夜以後、連日、各地の火薬庫が襲撃され、俗にいう「弾薬掠奪事件」が起きたが、私学校徒が入手できたのは、山縣や大山が重要視しなかった旧型のエンフィールド銃とその弾薬のみだった。

(略)

西郷小兵衛と辺見から弾薬掠奪事件の顛末を聞いた西郷は「ちょしもたー」(しまった)との言葉を発し、暗殺計画の噂で沸騰する私学校徒に対処するため鹿児島へ帰った。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○


《パリ・コミューンを潰すためにベルサイユ政府が行った「流言作戦」》


http://chikyuza.net/xoops/modules/news3/article.php?storyid=1067
フローベールは、パリ・コミューンの後、急速に右旋回する。彼がジョルジュ=サンドにあてた手紙などを読むと、ほとんどティエール派の「宣伝」文句に踊らされているように思える。ティエールはコミューンの参加者を「火つけ、盗賊の輩」に仕立て上げ、新聞等で宣伝した。フローベールはこの言葉をそっくり写したような内容の手紙を書いている。


http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-1717.html
 エミール・ゾラ──後年ドレフュス事件において偉大なゾラとなる、そのゾラでさえ、一八七一年六月三日、パリでコミュナールヘの追及と処刑がつづけられていた時、つぎのように書いた。
 「パリの人民がいま浴びたばかりの血の風呂は、恐らく彼らの熱病を鎮めるのにどうしても必要だったのだ……」
 ゴーチエやマキシム・デュ・カンにとっても同じように、エミール・ゾラにとっても、三月十八日のコミューヌ革命はひとつの政治闘争でもなく社会革命でもなく、じつに「熱病」であり、「気ちがいじみた悪夢」であり、「危険な気ちがいども」の一群がひき起こした暴動にすぎなかったのである。
 ヴィクトル・ユゴーを例外として、当時有名だった大作家のひとりとして、ヴェルサイユ政府の宣伝するコミューヌ反対のデマゴギーや心理作戦から逃れることはできなかった。たしかにユゴーも、はじめコミューヌの本質を理解するにはいたらなかったが、ティエールの命ずるコミュナール虐殺に反対する最初の声をあげたのはユゴーであった。
 ジョルジュ・サンドは一八四八年の二月革命に際しては社会主義者であり、熱烈な共和主義者であった。しかし、コミューヌについては「もっとも狂暴なやからの支配」と言い、「狂気のどんちゃん騒ぎ」と呼んだのである。
 当時まだ若かったアナトール・フランスも──後年フランス社会主義の戦列に加わることになるアナトール・フランスも、コミューヌについてはなんらの理解をも示さなかった。そればかりか、後になって彼じしんが赤面するような見解を抱いていた。若きアナトール・フランスにとって、コミューヌは「犯罪と狂気の政府」であり、「暗殺者たちの委員会」であり、「ならず者の一味」だったのである。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%B3#.E7.AC.AC.E4.B8.89.E5.85.B1.E5.92.8C.E5.88.B6.E3.81.AE.E6.88.90.E7.AB.8B
パリ・コミューンの制圧は、穏健的共和派や王党派にとっては「危険な過激思想を吹聴する叛徒」を排除する絶好の機会であった。
逆説的に、この「功績」によりティエール率いる共和派は、農民、ブルジョワジ、王党派から第三共和政という政治形態の支持を得られることとなった。



やきとりのいない八月

飛び地A

ブログ アーカイブ

The Daily Star(レバノン)

Rudaw(イラク)