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2014年10月6日月曜日

「川内原発を再稼働するな」小渕優子経産相に刃物が郵送されてきた

☆小渕経産相宛てにカッターの刃 原発再稼働中止求める
(朝日新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141006-00000025-asahi-soci

https://web.archive.org/web/20141006092420/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141006-00000025-asahi-soci

九州電力川内原発(鹿児島県)の再稼働に反対する趣旨の手紙が同封されていたといい、警視庁が脅迫の疑いで調べている。



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《「国鉄三大ミステリー事件」により、当時の民心は(事件に関与した証拠がない)日本共産党から一気に離反した》


☆下山事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

結果的には、警察やマスコミによる自殺説の発表はGHQにより差し止められ、労組による他殺と言う風説が流布されて、後の総選挙での共産党の躍進が阻止され、日本の共産化が阻止されたのだから、事案そのものは自殺であったとしても、謀略があった事に変わりはない。



☆三鷹事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%B7%B9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

捜査当局は、1949年(昭和24年)8月に事故によって全国ストライキを起こし、それを契機に革命を起こすという動機で、国鉄労働組合(国労)組合員の日本共産党員10人と非共産党員であった元運転士の竹内景助による共同謀議による犯行として彼らを逮捕した。




☆松川事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

下山事件、三鷹事件に続く鉄道事件として世間の注目を集め、事件翌日には内閣官房長官の増田甲子七が、三鷹事件等と「思想底流において同じものである」との談話を発表、世論もそのような見方に傾き、捜査当局は当初からそれらの事件との関連を念頭に置いていたことが伺える。

捜査当局はこの事件を、当時の大量人員整理に反対し、東芝松川工場(現北芝電機)労働組合と国鉄労働組合(国労)構成員の共同謀議による犯行との見込みを付けて捜査を行った。

事件発生から24日後の9月10日、元国鉄線路工の少年が傷害罪で別件逮捕され、松川事件についての取り調べを受けた。少年は逮捕後9日目に松川事件の犯行を自供、その自供に基づいて共犯者が検挙された。9月22日、国労員5名及び東芝労組員2名が逮捕され、10月4日には東芝労組員5名、8日に東芝労組員1名、17日に東芝労組員2名、21日に国労員4名と、合計20名が逮捕者の自白に基づいて芋づる式に逮捕、起訴された。


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☆「葬られたのは誰か?」――週刊朝日の“下山事件”真相追究報道をめぐって浮上した疑惑
http://www.asyura2.com/0401/war48/msg/963.html
投稿者 passenger 日時 2004 年 3 月 05 日


つまり世の中の多くの人は、あれは労働組合側が、非情な人切りに対して怒りを総裁にぶつけてやったんだ、共産党がやったんだと思ってしまったわけです。実際には、いまだに犯人はわからないままですし、そう考える具体的な根拠は何もない。

しかし、この事件のために当時の共産党運動は、決定的な打撃を受けた。その瞬間に日本は、戦後復興から高度成長へと邁進する道に大きく舵を切ったことになる。

(略)

そのとおりですね、しかも、この事件ひとつではなく、この後、三鷹事件、松川事件と、計3つの事件が連続して起こっていることが重要なんです。その結果、神保さんがおっしゃったように、本当だったらゼネストにつながっていくような大衆的な動きが、完全に封印されてしまったわけです。

その直後には公職選挙法が作られて、共産党の赤旗対策や組織的運動対策で、文書頒布が禁止され、個別訪問が禁止されたんですね。

(略)

アメリカにとって最も都合がよい展開は、下山殺害の背景に共産党の暗躍していたというイメージを日本人が抱くことだ。これによって日本の共産化はくいとめられる。「日本を全体主義の防壁とするために極東の工場にする」と宣言したマッカーサーとしては、最も好ましい展開だ。

(略)

しかし総裁は殺されたのかもしれないという意識だけは、日本中に根付かせたい。「何をするかわからない」共産主義によるテロの脅威を、しっかりと植え付けたい。

事態はまさしく、このとおりに展開した。下山の後に三鷹、松川と事件が続き、実際に共産党員が検挙されたことで、日本国民の不安と共産党への警戒心は充分に喚起された。裁判はどうせ長引く。そのあいだに日本を変えればよい。ハリウッド映画や野球やコカコーラで、アメリカナイズすればよい。

(略)

下山事件から3年が過ぎた1952年6月2日未明、大分県直入郷菅生村の巡査駐在所がダイナマイトで爆破された。3名の共産党員が起訴されたが、実際にダイナマイトを仕掛けたのは現職の警察官だった。世に言う菅生事件だ。

共産党を弱体化させるために警察が組織ぐるみで画策したこの謀略を暴く過程で、当時の共同通信社取材班は大きな役割を果たし、その中心にいたのは、社会部の若手記者だった斎藤茂男だ。

(略)

「(竹山の註:下山事件によって)実際に共産党のダメージは大きかったよ」



【自衛官募集】東京新聞「自治体の71%が防衛省に個人情報を積極提供」

☆自衛官募集に個人情報 自治体71% 積極提供
(東京新聞)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014100690071553.html

http://www.webcitation.org/6T7JFBnN0

住基台帳法は「住民の利便性増進」と、これによる「国・地方自治体行政の合理化」を目的に住基台帳を作成すると定めており、自衛官募集に利用されることを想定していない。若年層の採用を競う民間企業は閲覧を許されておらず、自衛官の募集事務だけが厚遇されている。



《呉の名将である呂蒙は貧苦から抜け出すために武将になった》

☆呂蒙

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E8%92%99#.E9.83.A8.E5.B0.86.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6.E5.87.BA.E4.B8.96

姉の夫である鄧当は孫策の部将であり、山越討伐に従事していた。15・16歳のとき、賊の討伐に出向いた鄧当の軍にこっそりついて行った。鄧当は呂蒙の存在に気付き叱ったが、呂蒙は家に戻ろうとはしなかった。鄧当は家に帰ると呂蒙の母親にそのことを知らせた。

呂蒙の母親は激怒したが、呂蒙は貧しさから抜け出すためには、危険を冒して功績を立てねばならないと反論した。呂蒙の母親は呂蒙の心を哀れみ、それ以上何も言わなかった。




《貧困徴兵制(経済徴兵制)」をテーマにした映画》

☆映画『ONE SHOT ONE KILL 兵士になるということ』予告編

http://youtu.be/rccA5sfrCh4

『アメリカ―戦争する国の人びと』などで戦争大国アメリカの現実を描いてきた藤本幸久­監督が、アメリカ海兵隊の新兵訓練に迫るドキュメンタリー。

一般人を12週間で立派な­兵士に育て上げる、ブートキャンプと呼ばれる新兵訓練所の実体に密着する。そこに集う­のは、自ら志願してアメリカ各地からやって来たごく普通の若者たち。

善良そうな彼らの­顔つきが過酷な訓練によって次第に変ぼうし、卒業時にはまるで別人のように変わる様子­に驚がくする。



☆ONE SHOT ONE KILL ー兵士になるということー
(映画の話でコーヒーブレイク)

http://blog.goo.ne.jp/nryoko1220/e/8a5b85e82fd64a6a8bbcddb077c85d7b

実際は大学の学費稼ぎであったり、グリーンカードを得るためなど、貧困層の若者が未来を切り開く手段です。

しかし現実は厳しく、奨学金を得て大学を卒業できるのは15%ほどだそうで、精神を病んで大学どころでなくなり、ホームレスになる人も少なくないようです。



☆ONE SHOT ONE KILL (森の映画社・札幌編集室)

http://america-banzai.blogspot.jp/2010/01/2009118-700-48-48-yessir-500457.html

一言で言えば、その教育は、①洗脳と、②肉体の記憶づくりである。命令には、疑問を持たず直ちに従う人格形成と、考えなくても命令どおりに動く肉体作りだ。素手で殴り殺し、銃剣で刺し殺し、ライフルで撃ち殺す。

沖縄に送られてくるのは、無意識でも人を殺せる技術を身につけた若者たちなのだ。



☆映画 『アメリカばんざい crazy as usual』 予告編
http://youtu.be/p6E93fB_i20



☆映画「アメリカばんざい crazy as usual」

http://www.jicl.jp/now/cinema/backnumber/20080818.html

元海軍兵士パブロは、大学での学問を続けたくて、学費のために海軍に入隊。けれどアフガニスタン攻撃の実態を知り、無辜の民を殺すことに耐えられなくなった彼は、日本人の妻詩織さんの一言で決意し、イラクへの派遣を拒否。軍法会議で処罰され、除隊。現在は、兵士人権ホットラインの仕事にとりくんでいます。従軍中の兵士の相談にのると共に、高校の授業に出向いて、軍のリクルーターが喧伝する“入隊のメリット”の大ウソ、その実態を語ります。

イラク帰還兵ダレルも、イラク派兵後PTSDに。“英雄”になることを望んだ彼も、3~4人のイラク人ゲリラからの攻撃に対し、報復として100人ものイラク人を殺したと知り、精神を病むようになります。高校時代まで、ベースボールと女の子に夢中の明るい瞳の青年でした。その頃の写真と、イラク派兵後の写真とが画面に並ぶと、その目つきを見るだけで別人になってしまったことが分かります。




☆『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』 (喜八ログ)

http://kihachin.net/klog/archives/2006/08/jakusyakakumei_1.html

『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』で報告されているアメリカの現実のうち、私がもっとも激しい憎悪を覚えたのは米軍のリクルート(新兵募集)活動でした。「大学に進学できる」「劣悪な環境から脱出できる」「Be What You Want to Be!(なりたいものになれ!」等々、軍のリクルーターは貧困層の若者を狙い撃ちにします。

貧しい家庭、劣悪な環境に育った若者は大学に進学するのも容易ではありません。そして学歴社会のアメリカでは大学に行けなかった者は一生のあいだ時給5ドル(あるいはそれ以下)の仕事に甘んじるしかないため、リクルーターからいいことづくめの誘いを受けて軍隊に入る若者は少なくない・・・。

けれども現実は大きく異なります。兵役を勤め上げても実際に大学に進学できる者は全体のうち35パーセント、そして卒業できるのは15パーセントにすぎません。大学に入る最初の年に前金として1200ドルを払わなければならず、また近年大学の学費が急騰しているため、中途で諦めてしまう者が多いからです。

命がけで戦う一般兵士の給料は安くて、年間1万7000ドルから多くて2万ドル。そこから学資の積立金、生命保険を天引きされる。命を守るための防弾チョッキさえローンで個人購入しなければならず、除隊した後に月賦を払っている退役兵士もいます。

高校卒業(中退)したばかりの子どもたちを殺人マシンに作りかえる軍事訓練キャンプ。いきなりアフガニスタンやイラクの戦場に送られ、精神と肉体をすり減らす毎日。運が悪ければ死亡、または一生残る障害を負う。運良く生き残れても多くの者がPTSDに苦しみます。アルコール依存症・精神病・麻薬・犯罪・・・。なのにVA(Veterans Association = 退役軍人協会)の予算は削られるいっぽう。

結局のところ軍隊とは社会の縮図、貧しい若者たちを食い尽くす巨大なマシンなのです。アメリカの「新自由主義」すなわち行き過ぎた資本主義、原理主義的資本主義の下では貧しい者・持たざる者はどこまでも食い物にされる存在でしかありません。




☆書籍紹介~生存権を奪うことで、若者を軍と戦争へと供給する「経済的徴兵制」を見事に描写

http://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/book-hinkontaikoku.htm

1972年に徴兵制が廃止されたアメリカで、イラク戦争で若者を軍隊に動員する(志願させる)ために「貧困」が利用されている。

2007年、ブッシュ政権が打ち出した教育改革法(「落ちこぼれゼロ法案」といわれる)の中に、全米のすべての高校に生徒の個人情報を軍のリクルータに提出することを義務付ける一項がある。拒否すれば補助金がカットされる。貧しい地域の高校は、補助金を受けるために提出せざるを得ない。軍のリクルータは、そのリストで入隊を勧誘する。入隊する若者の入隊動機の1位は大学の学費の軍による肩代わりだ。貧困から抜け出すために大学にいく。その限られた選択肢としての入隊。本人が18歳未満の場合、学費免除が親の了解を得る手段としてつかわれる。だが、学費を受け取るには1200ドルもの前金が義務づけられるなどの法外な取り決めがあり、実際に除隊後に大学を卒業できるのはわずか15%に過ぎないという。

 入隊動機の2位はなんと医療保険だ。入隊すれば家族も兵士用の病院で無料で治療が受けられるというものだ。貧しい地区の高校生は、家族も含めて無保険の家庭が多い。2005年、ブッシュ政権が「低所得家庭児童向け医療保険基金」予算を大幅にカットしたことで、この傾向はますます強まる。だが、ブッシュは帰還兵のケア予算を削減し軍病院を次々に閉鎖していることから、どれだけ「恩恵」に預かれるのかも疑わしい。

 「教育」と「医療」という、人が人らしく生きていくために不可欠な条件が奪われ、弱者切り捨ての政策によって拡大された格差と貧困によって多くの子供たちが生存権をおびやかされた結果、やむなく戦地に行く道を選ばされているのである。

 さらに兵士の調達のために、不法移民の若者に触手を伸ばしている。2007年にできた「夢の法律2007」。これまでは入隊と引き換えに市民権を得る手続きを始められるのは合法移民に限られていたが、不法移民もできるように法改正されたのだ。これは移民対策強化法案とセットで出された。強制送還されたくなかったら軍の庇護に入るしかないという究極の選択を迫られるのだ。不法移民の若者は軍にとって「宝の山」なのである。

 高校生だけでなく「学資ローン」や「多重債務」に苦しむ短大生、大学生、大学院生もターゲットにしている。クレジットカードが発達したアメリカでは、学費だけでなく文房具や教科書代などもカードで払い、借金漬けになる学生が多くいるという。彼らは卒業と共に滞納者リストに名前が載せられ、就職もままならない。ここでも奨学金予算の大幅カットと軍の「学資ローン返済免除プログラム」が一体となって機能する。学費の一部肩代わりという誘惑に負け、在学中から軍入隊を選択させられてしまうのだ。

 イラク前線に送られる新兵の年収は15,500ドルにすぎず、生命の危険だけでなく、除隊後の身体的、精神的障害に苦しむことになる。生活は改善されず、薬物依存症に陥る者、ホームレスになる者も少なくない。「アメリカ帰還兵ホームレスセンター」によると2007年現在、全米350万人のホームレスのうち3分の1が帰還兵だという。

 さらに、世界中のワーキングプアが支える「民営化された戦争」の実態も壮絶である。高卒のトラック運転手のマイケルはある日突然携帯電話がかかり、年収6万5000ドル(715万)の仕事を保証するといわれる。多重債務者のブラックリストを使っての派遣会社への登録の勧誘だ。なんと職場はイラク。説明会では、化学兵器や放射能物質などで死亡した場合は、遺体の本国送還はせず、現地で火葬との説明をうける。派遣登録した会社はKBR社だ。マイケルは1年間、毎日40℃の炎天下で武器をトラックで輸送する過酷で危険な仕事についた。米兵たちは基地内のペットボトルの水を飲むのに対しマイケルたち派遣労働者は現地の水を飲むよう会社が指示。米軍が使用する劣化ウラン弾の影響で放射能に汚染されている水である可能性が高い。マイケルは10ケ月を過ぎるころ肺に痛みを感じる。だが現地で火葬されてはかなわないと何とか持ちこたえて帰国。約束された年収は支払われたが、ほとんど帰国後の医療費に消えた。白血病の診断。派遣で稼いだ金はあっという間に底をつき、結局家族はイラクへ行く前よりもひどい貧困状態に陥る。現在マイケルはほとんど寝たきり、妻は昼間だけでなく夜もはたらき、トレーラーに引っ越し、政府発行のフードスタンプで食いつないでいるのである。

 ガルフケータリング社(クエートの大手派遣会社)のフィリピンでの求人に応じた、パブロの場合はこうだ。3000ドルの仲介料をはらってクウェートで月収4000ペソ(約1万円)の仕事。実際はイラクでの米軍支援作業。炎天下で週7日働いても残業代ゼロ。夜は他国から来た人とトレーラーに押し込まれる。そこにはフィリピン、中国、バングラディシュ、インド、ネパール、シエラ・レオネ…など最貧国から少しでも高い賃金を求めてきているのである。食事時間は40℃近い炎天下、米軍の残飯を貰う列にならぶ。戦闘地域での仕事にも武器は供給されない。軍事訓練も受けていなければ、危険性すら知らされていない。米兵と同等に「武装勢力」の標的になる。米兵は武器を持たず戦闘地域に入ると軍法会議にかけられるが、派遣社員の場合、武器なしで戦闘地帯に派遣しても派遣会社は法的責任を問われない。武装勢力の攻撃を受け同僚が次々と死んでゆく。昼間は灼熱の炎天下、夜は零度以下で暖房のないトレーラーやテントで寝かされる。派遣員は何人も衰弱死する。彼らの死はニュースになることさえない。派遣社員は民間人なので戦死者には入らない。政府に公表の義務はない。

(略)

個人情報を握る国家と民営化された戦争ビジネスの間で人間は情報として売り買いされ、安い労働力として消費される商品になる。戦死しても名前も出ず数字にもならない。この顔のない人間たちの仕入れ先は社会保障や教育切り捨てにより拡大した貧困層と2極化した社会の下層部だ。地球規模で格差化―貧困が拡大すればするほど戦争ビジネスは活性化する。

 「世界個人情報機関」のスタッフ、パメラは言う。「もはや徴兵制などいらないのです。政府は格差を拡大する政策を次々と打ち出すだけでいい。経済的追い詰められた国民は、イデオロギーのためでなく、生活苦のために黙っていても戦争にいってくれますから。ある者は兵士としてある者は戦争請負会社の派遣社員として巨大な利益を生み出す戦争ビジネスを支えているのです。」

 州兵に登録しイラク戦争に参加した日本人の若者が登場する。彼もまた、学費が出るし実際に戦争に行くことはないだろうと応募した。彼は、イラクでの戦争体験を語った後、9条を持つ国の国民として戦争に参加した事を問われ、なぜ責められなければなければならないのか、と言い返す。

「アメリカ社会が僕から奪ったのは25条です。人間らしく生き延びる生存権を失った時、9条の精神より目の前のパンに手が伸びるのは当たり前。狂っているのはそんな風に追い詰める社会の仕組みの方です。」



☆貧困徴兵制 (不屈 和歌山日高版)

http://hidakanews.exblog.jp/7969245/

ことし一月の成人式のときです。ある会場で制服姿の自衛官が三人、入隊のすすめ付きティッシュを新成人に配っていました

▼知人が自衛官にきくと、彼らも「こんな形で宣伝するのは初めて」だったそうです。野宿者を支援する自立生活サポートセンター・もやいの事務局長、湯浅誠さんは、『反貧困』(岩波新書)に次のように書いています

▼「私のところには自衛隊の募集担当者から積極的なアプローチがある。ターゲットが〈もやい〉に相談に来るワーキング・プアの若者たちであることは明らかだ。……野宿者の中にも、少なからぬ数の自衛隊経験者がいる。戦争が好きだったわけではない。理由はただ一つ『食べていくため』だ」

▼先の連休に開かれた9条世界会議での、イラク戦争をめぐる討論会。作家の雨宮処凛さんが、湯浅さんの体験を紹介しました。応じたのは、イラクヘ行っていた元米兵エイダン・デルガドさんです。「いまアメリカに徴兵制はないが、貧困という徴兵制がある」と

▼9条世界会議に参加したアッシュ・ウールソンさんは、「貧困という徴兵制」にからめとられていた一人です。家が貧しく、大学へ進むには学費をだしてくれる軍に入る道しかありませんでした。イラクヘ。州兵だからか、装備はおんぼろ。「ただの使い捨ての兵隊だった」と気づきました

▼ 彼は、『イラクの現実を見て!』(憲法9条・メッセージ・プロジェクト)で語っています。「(日本の憲法の前文と九条を)僕は、すっかり暗記してるよ」



【沖縄県知事選】週刊誌は翁長雄志候補の資金面を洗っているものと推測される

☆金秀建設が落札!?辺野古埋立工事で
(狼魔人日記)

http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/f57bf8c52e21612168fc85a21b900641

「金秀建設が辺野古埋め立て関連工事35億円を落札した」というのだ。
金秀建設といえば数少ない翁長氏支援の経済団体金秀グループの一社。


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《「週刊新潮」が危機的状況にあった自民党政権を救った前例》


☆西山事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

『週刊新潮』によって不倫関係がスクープされ、当時の東京地検特捜部の検事佐藤道夫が書いた起訴状に2人の男女関係を暴露する「ひそかに情を通じ、これを利用して」という言葉が記載されて、状況が一変したといわれる。

起訴状が提出された日、毎日新聞は夕刊に「本社見解とおわび」を掲載、その中で「両者の関係をもって、知る権利の基本であるニュース取材に制限を加えたり新聞の自由を束縛するような意図があるとすればこれは問題のすりかえと考えざるを得ません。われわれは西山記者の私行についておわびするとともに、同時に、問題の本質を見失うことなく主張すべきは主張する態度にかわりのないことを重ねて申述べます」としたが、実際は以後この問題の追及を一切やめた。

その後は『週刊新潮』が「“機密漏洩事件…美しい日本の美しくない日本人”」という新聞批判の大キャンペーンを張った他、女性誌、テレビのワイドショーなどが、西山と女性事務官が双方とも既婚者でありながら、西山は肉体関係を武器に情報を得ていたとして連日批判を展開し、世論は一転して西山と女性事務官を非難する論調一色になった。

裁判においても、審理は男女関係の問題、機密資料の入手方法の問題に終始した。

【香港デモ壊滅】香港政庁が「民主主義より、ゼニが欲しい」層の取り込みに成功

☆香港デモ一部封鎖解除、民主派「活動はやめず」
(ロイター)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141006-00000008-reut-cn

https://web.archive.org/web/20141006013006/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141006-00000008-reut-cn

民主派デモにより売り上げや業務に支障が出ていた企業や店舗経営者、タクシードライバーからは占拠活動を非難する声も出ていた。

               ↓

844 名前:名無しさん@0新周年@\(^o^)/
投稿日:2014/10/06(月) 08:45:39.49 ID:eKMkBIP70.net
長引かせて経済に影響を出させて学生を一般人から隔離する方針だろ
戦車出すまでもないな
香港の政庁なんて香港にある意味もともとないから政庁を封鎖されても無問題


848 名前:名無しさん@0新周年@\(^o^)/
投稿日:2014/10/06(月) 09:01:14.27 ID:D8muHfal0.net
我慢比べになると、組織の強い方が勝つからデモ隊に不利。求心力を維持できるかどうか。


867 名前:名無しさん@0新周年@\(^o^)/
投稿日:2014/10/06(月) 09:50:29.57 ID:iPFLZzqx0.net
市民生活に迷惑かけた学生の負け


39 名前:名無しさん@0新周年@\(^o^)/
投稿日:2014/10/05(日) 23:31:11.98 ID:TZmBO2cF0.net
無計画な暴動の時点で民主化グループに勝機は無い
継続するほど民主派は疲労と消耗で追いつめられ、最後は自壊する
共産党としては静観と交渉で時間を稼ぎつつ民主派に潜り込んで
http://www.47news.jp/CN/201410/CN2014100601001424.html
自滅を誘うだけで良いのだから難しい話じゃない
国際社会さえ抑えておけば死人が出ても批判はっても制裁は起きないだろう

                 ↓

香港大規模デモで、中心部の政府本部庁舎に職員が通常通り出勤し、まひしていた政府機能がほぼ正常化した。
2014/10/06 10:12   【共同通信】
http://www.47news.jp/FN/201410/FN2014100601001497.html

【速報】香港中心部の政府本部庁舎に職員が通常通り出勤できる状態

香港大規模デモで、中心部の政府本部庁舎に職員が通常通り出勤し、まひしていた政府機能がほぼ正常化した。
2014/10/06 10:12   【共同通信】
http://www.47news.jp/FN/201410/FN2014100601001497.html

【台風】浜岡原発の地元である御前崎市の全域に避難勧告

NHKニュース「静岡県御前崎市は土砂災害と川の氾濫のおそれがあるとして、6日午前8時半に、市内全域の1万1817世帯3万4133人に避難勧告を出しました。」

JNN世論調査で9割近くの人が「景気回復の実感実感はない」

☆内閣支持率57.4%、改造直後より4.7ポイント減
(TBSテレビ)

http://youtu.be/jz9sADTCbtY?t=1m

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20141006-00000006-jnn-pol

https://web.archive.org/web/20141005223705/http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20141006-00000006-jnn-pol

また、アベノミクスにより、景気回復の実感があるかどうか聞いたところ、9割近くが、「実感はない」と答えています。




《今年4月の衆院鹿児島補選では、月収10万円の女性がアベノミクスに期待して(山本太郎新党の候補者ではなく)自民党候補に投票した》

☆衆院鹿児島2区補選 金子氏が当選
(4月27日の朝日新聞)

http://www.asahi.com/articles/ASG4S7KXKG4STLTB00Z.html

https://web.archive.org/web/20141005225004/http://www.asahi.com/articles/ASG4S7KXKG4STLTB00Z.html

鹿児島市の女性(58)はアベノミクスに期待して金子氏に投票した。清掃のパートで1日7時間、週に6日働き、月の手取りは約10万円。ぎりぎりの生活が続く。「鹿児島まで恩恵が届くようにしてほしい」




《山本太郎議員は衆院補選での大敗を糧とし、上の記事の鹿児島市の女性(月の手取りは約10万円)のような人にも情報を届けたいということで、広報宣伝戦術を改良した》

☆室井佑月「民主党は山本太郎を見習え!」
(週刊朝日)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141005-00000002-sasahi-pol 

http://www.webcitation.org/6T6nNyEaq

山本さんは自分の意見を聞いてもらいたいから、面白さというサービスをつけたんだ。ここんとこ存在感ゼロであるほかの野党のみなさんは、山本太郎を見習ったほうがいい。どうするんですか、これから?


☆永田町恐怖新聞
http://www.taro-yamamoto.jp/daily-activities/3668
現在、キャラバンで配布してます、「永田町恐怖新聞」は下記になります。
③のPDF原稿はそのままの大きさ(A3)2枚です。
④のPDF原稿はA4 4枚 です。
是非、印刷してお配りください。




《高級ウナギ店の近くを歩けばウナギの匂いはするが、庶民はいつまで経っても高級ウナギを食べられない》

☆鰻香内閣

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B0%BB%E9%A6%99%E5%86%85%E9%96%A3#.E5.B9.BB.E3.81.AE.E3.80.8C.E9.B0.BB.E9.A6.99.E5.86.85.E9.96.A3.E3.80.8D

清浦は組閣辞退の直前に記者団に対して「大和田の前を通っているようなもので、匂いだけはするが、御膳立てはなかなか来ない」とぼやいた。

大和田とは当時人気の鰻屋のことで、前を通っていると美味しい匂いはするが、中に入れば混雑していていつまで待ってもうな丼にはありつけないという有様を組閣の現状に重ね合わせたものであったが、世間はうなぎの匂い(大命降下)だけで結局うな丼(首相の地位)にはありつけなかった清浦を嘲笑してこれを「鰻香内閣」(匂いだけで現実には味わえない幻の内閣)と呼んだのである。

 〔日本〕ヘイトスピーチ規制法で「反政府デモ」を取り締まることが可能になるものと予想される

☆国防軍反対デモ 改憲案に異議唱え20回 参加者数は赤穂浪士並み (産経新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141005-00000541-san-pol

https://web.archive.org/web/20141005213321/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141005-00000541-san-pol

しかし聴衆の支持が得られたかといえば、必ずしもそうではないようだった。実はデモ隊が掲げるプラカードの中に、残念なものがあったのである。安倍首相の顔写真をあしらった「死神総理」との看板。さらには首相に対し、「テロリスト/逆賊、売国奴」という看板も。これはもはやヘイトスピーチ(憎悪表現)のレベルだろう。

現在、日本でもヘイトスピーチの法規制が必要だと「人権派」の方々が主張しているがその際に、少数派集団に対して憎悪をあおる表現がヘイトスピーチだ、などと定義づけられる傾向にある。先のような過激な表現を少数派に対して行えばヘイトスピーチに当たるが、安倍首相に対してならばそうではない、らしいのである。憲法14条に掲げられている「法の下の平等」はどうなっているのかと思わされる。

ともあれ「死神総理」などのプラカードは、沿道の人をドン引きさせるには十分な効果があったといえる。


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《宗教施設=軍事神殿・軍事祭殿である宗教法人「靖国神社」への批判もヘイトスピーチ規制法で取り締まることが可能になるものと予想される》


☆ヘイトスピーチ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%81#.E5.AE.9A.E7.BE.A9.E3.81.A8.E6.A7.98.E6.85.8B

ヘイトスピーチの対象は言論(speech)以外に表現(expression)全般に及び、例えば宗教的象徴を中傷する漫画や動画の公開や、歴史的経緯を踏まえた上で民家の庭先で十字架を焼却する行為、国旗の焼却行為や反戦の腕章を身につけること、デモ行進、ビラ配布行為といった非言語による意思表示形態なども「スピーチ」に含まれるとされ、議論の対象となっている。



☆靖国神社

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE

靖國神社(靖国神社、やすくにじんじゃ)とは、東京都千代田区九段北にある神社。九段坂の坂上に東面して鎮座し、日本の軍人、軍属等を主な祭神として祀る。勅祭社で旧別格官幣社。

(略)

1946年(昭和21年)に、日本国政府の管理を離れて東京都知事の認証により単立宗教法人となった。単立宗教法人(単立神社)であるために神社本庁との包括関係には属していない。


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《戦前の共産党が解党した最大の理由は「権力による弾圧」ではなく「大衆からの孤立」だった》


ポラーノ博士(学究)
https://twitter.com/mimipinpi/status/497340791438577664

1924年、第一次共産党の「解党」理由について、佐野学(第二次共産党の中央委員長)は、以下の4点を挙げている。

①権力による弾圧
②党内分派構想
③党員の腐敗
④大衆からの孤立

佐野学は、4点のうち、④の大衆からの孤立が、解党の最大の要因だったと述べている。



ポラーノ博士(学究)
https://twitter.com/mimipinpi/status/497341653900726273
戦前昭和の日本共産党を牽引し、獄中転向した佐野学が、第一次共産党解党の最大の理由を「大衆からの孤立」と述べていたことを、共産党員でなくとも、私達はよく考える必要がある。大衆を動員できなかったことが、日本のファシズム化を止められなかった要因だったということを。




《共産党を「大衆から孤立」させるためのシナリオを書いた人物》

☆飯塚盈延

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E5%A1%9A%E7%9B%88%E5%BB%B6

飯塚 盈延(いいづか みつのぶ、1902年10月4日 - 1965年9月4日)は、日本共産党党員で特別高等警察のスパイ。「スパイM」とも呼ばれる。変名は松村昇、峰原暁助。愛媛県出身。

1902年に愛媛県に生まれ、1909年尋常小学校に入学。成績が良く天才と呼ばれた。米騒動などをきっかけに日本共産党最初の労働者党員になり、渡辺政之輔が率いていた東京合同組合に身を投じることで労働運動にかかわっていった。その後、若手の労働運動活動家として日本共産党(第二次)の派遣により、モスクワの東方勤労者共産大学(クートヴェ)に留学した(留学中の変名は「フョードロフ」)。しかし留学中共産党に幻滅し、帰国後に検挙され転向したうえで警察のスパイになったとされる。そして松村(飯塚)はスパイとして党に潜入、非常時共産党時代の共産党で家屋資金局の責任者となり、「赤色ギャング」に代表されるさまざまな権力挑発的方針を指示した。その後熱海事件で共産党の代表者達を一斉検挙に追いやった。

松村がスパイであることは、同じクートヴェ帰りであった風間丈吉委員長を始めとする党の幹部から全く感づかれることはなく、一般党員も彼の過激な活動方針にほとんど疑いを抱くことなく従っていた。しかし熱海事件前後の一斉検挙後、取り調べや公判などで松村の名が出てこないことに不審をもった党員たちは、彼が警察のスパイではないかと考えるようになった。



☆赤色ギャング事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E8%89%B2%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

赤色ギャング事件(せきしょく(または、あかいろ)・ギャング・じけん)とは、1932年(昭和7年)10月6日に東京府東京市大森区(現東京都大田区)で発生した日本共産党党員による銀行強盗事件。大森事件、大森銀行ギャング事件とも。

日本最初の銀行強盗事件であり、当時のアメリカ映画に登場するギャングそのままの犯罪だったため、ギャング事件と呼ばれることになった。

(略)

当時の日本共産党は今日スパイMとして知られる松村(本名は飯塚盈延)が組織の中心になっており、戦前期最大の党組織をつくり上げていた。

(略)

強盗計画の首謀者である今泉善一の逮捕は事件後3日目で、拳銃を取引している右翼の密告があり、右翼と会う街頭連絡で逮捕された。ピストル密売のルートから糸をたぐった警察による捜査ともいわれていたが、今日ではスパイMの存在により、犯人らの動向は完全に把握されていたことが判明になっている。



☆エヴノ・アゼフ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%BC%E3%83%95

エヴノ・アゼフ(Evno Fishelevich Azef、1869年 -
1918年4月24日)は、ロシア帝国の革命家。エスエル(社会革命党)の幹部にして、ロシア革命史上最大の内通者、スパイとして複雑怪奇な一生を送った。

(略)

1898年大学を卒業し、電気技師の資格を得る。電気技師の傍ら、革命活動では、ロシア社会革命同盟の代表者となる。同時に御用組合の組織化による労働者の懐柔を狙う保安部長官セルゲイ・ズバートフの指導を受けながら、革命派の同志達の信頼を得ていった。1901年家族と共に出国し、ベルリンに移る。

社会革命同盟の代表であったセリュークとともに、エスエル(社会革命党)を結成する。さらにアゼフは1903年エスエル党首ゲルシューニが逮捕された後、ボリス・サヴィンコフと共に要人暗殺組織「社会革命党戦闘団」を結成し、戦闘団の指導者、党中央委員となる。実際の戦闘団の指導はサヴィンコフが行い、サヴィンコフ指揮の下に1904年内務大臣ヴャチェスラフ・プレーヴェと皇帝ニコライ2世の叔父でモスクワ総督のセルゲイ大公の暗殺に成功する。さらに内相ドルノヴォ、ミルヌ将軍等の暗殺を手がけるなど、帝政ロシア秘密警察のスパイでありながら社会革命党のテロリストとしてロシア革命で最も革命的とまで評されるまでになった。無論、一連のアゼフによる暗殺行為は秘密警察の黙認するところであったが、一部ではアゼフの行為の行き過ぎを批判する向きが秘密警察にもあった。

(略)

テロルの傍ら、当局のスパイとしての活動も怠らず、情報を流し、同志を逮捕させた他、エスエルの立てた暗殺計画を失敗に終わらせてもいる。1906年には戦闘団は活動を停止せざるを得なくなるほど追いつめられる。アゼフ自身は、党の資金2万ルーブルを借り外国に逃げた。1907年帰国し、脱走に成功したゲルシューニと戦闘団を復活させた。しかし、この頃から内通者としてアゼフの名が取りざたされるようになる。

1908年アゼフが中心になって皇帝ニコライ2世の暗殺が計画されるが、失敗する。アゼフがスパイであると告発したブルツェフは、党による査問を受けたが、アゼフをスパイとして採用したロプーヒンから、アゼフの正体が漏れることになる。しかし、この期に及んでも、エスエル党中央委員会は、アゼフの裁判なしの処刑に反対した。また、戦闘団員たちは、アゼフを信じて、アゼフ処刑の場合は、中央委員全員を射殺すると脅迫する始末であった。

党中央委員会は、アゼフを非難し、ヴィクトル・チェルノフら党幹部がアゼフのアパルトマンで査問を実施することになった。しかし、最後の瞬間、アゼフは、深夜に逃亡し姿を消す。アゼフは、西ヨーロッパを遍歴し、ベルリンに住む。以後、ベルリン、ロンドン、ニューヨークで株の売買で生計を立てる。株式仲買人として成功し、夏休みは大半を南仏で賭博に興じて過ごしていたが、1914年第一次世界大戦勃発に伴い、破産する。さらにドイツ帝国当局によって、ロシアに引き渡すべき革命家・テロリストと見なされ逮捕・投獄される。

1917年釈放され、ソビエト・ロシアに引き渡されることなく、ドイツ外務省に勤務する。1918年腎臓病のため死去。




《「スパイM」の名言》

http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20130709/p1

「人間は、生まれてこないのが最も幸せだ。しかし、生まれてきた以上は、どんなことがあっても生きるべきだ。不慮の事故で死ぬべきではない、それは注意不足だ。また、自分で生命を絶つべきでもない。死ぬまで生きるべきだ。」



【香港デモ】香港政庁は「夷を以て夷を制す」「借刀殺人」兵法を駆使してデモ隊を追い詰めている

☆香港抗議活動 こう着状態続く (NHK)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141006/k10015147671000.html

https://web.archive.org/web/20141005204026/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141006/k10015147671000.html

こうしたなか、タクシー業界からは抗議活動の影響で売り上げが大きく落ち込んでいるとして学生らに反対の声が上がっていて、5日夕方、100台以上のタクシーが「法律や規律を守れ」などと書いた紙を貼り、連なって中心部を走りました。運転手の男性は「このままでは香港の経済がダメになってしまう」と訴えていました。

現地では抗議活動が長引くにつれて学生らを批判する声も徐々に高まりつつあり、学生らも疲労の色を濃くしています。



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《古人いわく「夷を以て夷を制す」》

☆仮道伐虢

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E9%81%93%E4%BC%90%E8%99%A2

攻略対象を買収等により分断して各個撃破する作戦、特に、いったん同盟して利用したものも後には攻め滅ぼすことを指す。晋に滅ぼされた虞(ぐ)と虢(かく)の故事による言葉である。

虞(ぐ)と虢(かく)という小国は、晋に隣接していた。晋の献公は虞公に国宝を送って買収し、虢を攻めるために晋軍が虞を通過することを許可するように求めた。虞の宮之奇は、「虢は虞の支えであり、虢が滅べば虞もやがて攻められる」と虞公に諌言したが無駄であった。果たして虢が滅んで数年後、虞もまた晋に攻め滅ぼされてしまった。




☆借刀殺人

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%9F%E5%88%80%E6%AE%BA%E4%BA%BA

借刀殺人(しゃくとうさつじん)は兵法三十六計の第三計。「刀を借りて人を殺す」である。

同盟者や第三者が敵を攻撃するよう仕向ける戦術。敵を討っても自軍の損害は出さないことも目指している。例えば、敵のうちの一国と密かに講和して、交換条件に今までその国が同盟していた他の敵国を背後から奇襲させるというような計も借刀殺人にあたる。

(略)

紀元219年、蜀の関羽は魏の樊城を攻めた。魏の援軍は撃退され曹操は遷都を検討するほどの窮地に陥った。ここで司馬懿と蒋済は、関羽の領土を分け合うことを条件に、呉の孫権と同盟することを曹操に献策した。魏と同盟した孫権は、関羽に恨みを持つ糜芳と傅士仁を寝返らせて、関羽の本拠地の江陵を占領した。関羽はやむなく樊城から撤退したが、呂蒙の懐柔工作で関羽軍からは離反者が続出。関羽は息子とともに孫権の軍に捕らえられ殺されてしまった。



☆混水摸魚

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B7%E6%B0%B4%E6%91%B8%E9%AD%9A

混水摸魚(こんすいぼぎょ)は三十六計の第二十計。「水を混ぜて魚を摸(と)る」

水をかき混ぜて魚が混乱しているときに、その魚を狙って捕まえるという意味。

敵の内部を混乱させて(混水)、弱体化したり、作戦行動を誤らせたり、我の望む行動を取らせるよう仕向ける戦術。趁火打劫を主に敵の外患に乗じて攻めることを主眼にすると解すれば、混水摸魚は敵の内患を作出してそれに乗じるものとも言える。



☆ルイ11世 (フランス王)

http://goo.gl/LBcVl

ルイ11世はシャルル7世の中央集権化政策を引き継ぎ、百年戦争後の荒廃したフランスを統一させるに最も成功した王である。その領土併合にあたって、戦争よりも主に外交・政治的な陰謀を用いて国内平和を保ったことは注目に値する。ユーグ・カペー以来のフランス君主の《分割して統治せよ》という伝統政策に結びつけられた王とも言える。




☆イギリス領インド帝国

http://goo.gl/rSL9nY

また、ミントーは、ヒンドゥーとムスリムの分断を図った。教育を受けたムスリムの一部、有力なムスリムの太守、地主の間で共有されていた分離主義・親英的な人々を後押しする形で、1906年、全インド・ムスリム連盟が結成された。全インド・ムスリム連盟は、ベンガル分割令を支持し、国民会議のあらゆる主張全てに反対した。



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《パリ・コミューンを潰すためにベルサイユ政府が行った「流言作戦」》

http://chikyuza.net/xoops/modules/news3/article.php?storyid=1067
フローベールは、パリ・コミューンの後、急速に右旋回する。彼がジョルジュ=サンドにあてた手紙などを読むと、ほとんどティエール派の「宣伝」文句に踊らされているように思える。ティエールはコミューンの参加者を「火つけ、盗賊の輩」に仕立て上げ、新聞等で宣伝した。フローベールはこの言葉をそっくり写したような内容の手紙を書いている。


http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-1717.html
 エミール・ゾラ──後年ドレフュス事件において偉大なゾラとなる、そのゾラでさえ、一八七一年六月三日、パリでコミュナールヘの追及と処刑がつづけられていた時、つぎのように書いた。
 「パリの人民がいま浴びたばかりの血の風呂は、恐らく彼らの熱病を鎮めるのにどうしても必要だったのだ……」
 ゴーチエやマキシム・デュ・カンにとっても同じように、エミール・ゾラにとっても、三月十八日のコミューヌ革命はひとつの政治闘争でもなく社会革命でもなく、じつに「熱病」であり、「気ちがいじみた悪夢」であり、「危険な気ちがいども」の一群がひき起こした暴動にすぎなかったのである。
 ヴィクトル・ユゴーを例外として、当時有名だった大作家のひとりとして、ヴェルサイユ政府の宣伝するコミューヌ反対のデマゴギーや心理作戦から逃れることはできなかった。たしかにユゴーも、はじめコミューヌの本質を理解するにはいたらなかったが、ティエールの命ずるコミュナール虐殺に反対する最初の声をあげたのはユゴーであった。
 ジョルジュ・サンドは一八四八年の二月革命に際しては社会主義者であり、熱烈な共和主義者であった。しかし、コミューヌについては「もっとも狂暴なやからの支配」と言い、「狂気のどんちゃん騒ぎ」と呼んだのである。
 当時まだ若かったアナトール・フランスも──後年フランス社会主義の戦列に加わることになるアナトール・フランスも、コミューヌについてはなんらの理解をも示さなかった。そればかりか、後になって彼じしんが赤面するような見解を抱いていた。若きアナトール・フランスにとって、コミューヌは「犯罪と狂気の政府」であり、「暗殺者たちの委員会」であり、「ならず者の一味」だったのである。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%B3#.E7.AC.AC.E4.B8.89.E5.85.B1.E5.92.8C.E5.88.B6.E3.81.AE.E6.88.90.E7.AB.8B
パリ・コミューンの制圧は、穏健的共和派や王党派にとっては「危険な過激思想を吹聴する叛徒」を排除する絶好の機会であった。
逆説的に、この「功績」によりティエール率いる共和派は、農民、ブルジョワジ、王党派から第三共和政という政治形態の支持を得られることとなった。



2014年10月5日日曜日

香港政庁は「魏を囲んで趙を救う」兵法でデモ隊を壊滅させる気配

田中龍作(香港入りしている)
https://twitter.com/tanakaryusaku/status/518669666617536512
マフィアやヤンキーがデモ拠点のモンコックを襲撃することで、テントとバリケードを守るため学生も支援の市民もそちらに割かれる。その分、政府庁舎前は手薄になる。そこで強制排除だ。事態はそうなりつつある。



☆囲魏救趙

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%B2%E9%AD%8F%E6%95%91%E8%B6%99

戦国時代の中国で、当時強盛を誇った覇権国家・魏が趙と戦った際に、趙は次第に追い詰められ、ついに魏軍に都の邯鄲を包囲されてしまった。趙は同盟国の斉に援軍を求め、斉の威王はすぐさま田忌を孫臏と共に派遣して趙を救援させた。だが、孫臏は邯鄲に向かおうとする田忌を途中で留めてこう言った。

「絡まった糸を解くときには無理に引っ張らないほうが良い。闘いから救おうとするなら直接加わってはいけない。要所を突き、虚を突いて、形勢を崩してやれば、糸はおのずから解けていくものだ」

孫臏は魏本国を攻め都の大梁を包囲することで、魏軍を趙から撤退させ、引き返して来た魏軍を桂陵の戦いで大破して趙を救った。

このように、敵を一箇所に集中させず、奔走させて疲れさせてから撃破する戦術を囲魏救趙の計と呼ぶ。

やきとりのいない八月

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