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2013年8月1日木曜日

【強硬外交】〔東シナ海〕自民党が「中国の採掘関連施設」の撤去を要求する

☆自民、ガス田施設の撤去要求へ 中国の一方的開発阻止
(共同通信)

http://www.47news.jp/CN/201307/CN2013073101002136.html

自民党が中国の東シナ海でのガス田開発をめぐり、採掘関連施設の撤去要求を柱とした対処方針をまとめたことが31日、分かった。「中国の一方的開発」を阻止するため中国側に重ねて抗議するよう政府に求めており、沖縄県の尖閣諸島問題と同様、エネルギー分野でも譲歩しない姿勢を鮮明に打ち出している。



《おまけ》

http://gorochan.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-aeea.html
こんな状況の中で、満州事変直前には、陸軍省軍務局長小磯国昭が、木戸幸一や原田熊雄に対して満州独立論を唱え、「日本人は戦争が好きだから、一度鉄砲を打ってしまったら、あとは必ずついてくるよ」と放言したものだ。


http://blogs.dion.ne.jp/philosophia29/archives/6171358.html

①1931年8月、東京朝日の編集局長、緒方竹虎はのちに首相になる近衛文麿や大阪毎日の幹部らとともに陸軍の方針を聞く会合に出席した。突然「満州独立論」を述べた軍務局長小磯国昭に、緒方が反論した。
「時代錯誤もはなはだしい。もしそんなことをたくらんでも、今の若い者は一人もついて行かないだろう」
「いや、日本人は戦争が好きだから、火ぶたを切ってしまえばついてくるさ」

②1931年9月18日夜、満鉄線が爆破される数時間前に、大阪・中之島の公会堂では「対支国民大会」が開かれていた。国粋大衆党などの主催で、「権益確保のため帝国威武の発動」を求め気勢を上げた。押し寄せた人々で会場は立錐の余地もなかった。




http://www.asyura2.com/0403/war55/msg/287.html

戦前戦中のリベラルなジャーナリスト清沢洌(きよし)が「暗黒日記(1942-1945)」(岩波文庫)で述べている。

 「1945年元日。昨夜から今暁にかけ3回空襲(東京)、焼夷弾が投下された。配給の餅を食べれば新年らしい気分になる。…日本国民は今、初めて戦争を経験している。戦争は文化の母だとか100年戦争だとか言って戦争を賛美してきたのは長いことだった。僕が迫害されたのは反戦主義だからということだった。戦争は遊山に行くようなものなのか。戦争を彼らは今味わっている…」

 つまり頭の上から爆弾が降ってきて初めて戦争を実感したといい




☆暴支膺懲

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E6%94%AF%E8%86%BA%E6%87%B2

暴支膺懲(ぼうしようちょう)とは、支那事変(日中戦争。対米英開戦以降は太平洋戦争に含まれる)における大日本帝国陸軍のスローガン。「暴戻(ぼうれい)支那(しな)ヲ膺懲(ようちょう)ス」を短くした四字熟語。「暴虐な支那(中国)を懲らしめよ」の意味。

(略)

一方、大本営はこれを国民の戦闘精神を鼓舞するため利用したスローガンでもある。



☆昭和天皇の戦時の肉声、元侍従の日記見つかる
(2007年3月9日の朝日新聞)

http://www.asyura2.com/07/senkyo31/msg/881.html

日中戦争についての天皇の思いも吐露されている。「支那が案外に強く、事変の見透しは皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり」(40年10月12日)、「日本は支那を見くびりたり、早く戦争を止めて、十年ばかり国力の充実を計るが尤(もっと)も賢明なるべき」(41年1月9日)。

(略)

「(戦争は)一旦始めれば、中々中途で押へられるものではない。満洲事変で苦い経験を嘗(な)めて居る。(略)戦争はどこで止めるかが大事なことだ」

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