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2016年6月13日月曜日

【歴史点描】東ドイツのスパイが西ドイツ首相の秘書になったケース

☆ギュンター・ギヨーム ~ 潜入

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%A0#.E6.BD.9C.E5.85.A5

1950年、東ベルリンで「人民と世界」社の編集員となる。この年から1956年まで、ギヨームはドイツ民主共和国(東ドイツ)の国家保安省(シュタージ)にスカウトされ、西ドイツに潜入するための訓練を受けていた。1951年、同じくシュタージの工作員教育を受けていた秘書のクリステル・ボームと結婚。二人は一男をもうけている。1952年、ドイツ社会主義統一党(SED)に入党。1956年、シュタージの指令を受け身分を隠して亡命を装い西ドイツに移住し、フランクフルトに住んで喫茶店を経営する。

1957年、ドイツ社会民主党(SPD)に入党。クリステルは同党ヘッセン州南部地区事務所の秘書となった。1964年から党の指導員として政治活動に従事。フランクフルト地区の党事務局長となり、1968年からはフランクフルト市議会SPD議員団の事務局長となる。

同年市議会議員に当選。翌年のドイツ連邦議会選挙に際しては、地元選挙区のSPD候補であるゲオルク・レーバー連邦交通相の選挙戦に従事、高い得票を得て、組織運営の才を発揮した。

レーバーの推薦でギヨームは連邦首相府の経済・財政・社会政策担当秘書となり、ヴィリー・ブラント首相の信頼を勝ち取った。

1972年、その勤勉さと事務能力を買われてブラントの個人秘書になる。

こうして彼は西ドイツ首相の極秘文書や内輪の会議の内容、さらには私生活までを知りうる立場となった。