☆カール=ハインツ・クラス
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カール=ハインツ・クラス(Karl-Heinz Kurras, 1927年12月1日 ~ 2014年12月16日)は、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の警察官。
西ベルリンにてベルリン警察に勤務していたが、少なくとも1955年から1967年までの間、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の秘密警察である国家保安省(シュタージ)のエージェントとして活動していたとされる。
(略)
1967年6月2日、イラン皇帝パフラヴィー2世の訪独に関するデモがベルリン・ドイツ・オペラ前で行われた。警備任務を受けた警察官の1人として出動していたクラス上級刑事長 (Kriminalobermeister) は、ベルリン自由大学の学生ベンノ・オーネゾルクを背後から射殺したのである。当時の裁判では過失致死の疑いが持たれていたもののクラス側は自衛を主張し、計画的殺人ではなかったとして無罪判決が下されている。
判決後、西ドイツ、特に西ベルリンでは事件への反発から学生による左派運動が活発化し、極左テロ組織である六月二日運動やドイツ赤軍の設立に繋がった。
2009年5月、新たに公開されたシュタージの文書の中で、クラスがシュタージのエージェントだったことが明らかになった。
(略)
オーネゾルク事件と無罪判決への反発は、西ドイツ全土で学生運動を激化させた。
コムーネ1のメンバー、フリッツ・トイフェルは「クラスは単に数ヶ月の休暇を過ごしただけに過ぎない」との抗議声明を発表した。ユダヤ系社会学者のテオドール・アドルノは、オーネゾルク事件での裁判所の判断について「強制収容所でのユダヤ人虐殺に対する弁明に驚くほど似ている」とコメントした。
このコメントを受けて、学生運動では反学生運動記事を多く掲載した『ビルト』紙の発行元であるアクセル・シュプリンガー出版社の社屋封鎖を試みたり、高等教育および警察訓練の民主的改革を求めるデモが行われた。
ラルフ・ラインダースとロナルト・フリッチュは、この事件の起こった日に因んだ名を持つテロ組織、6月2日運動を設立した。