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2015年4月14日火曜日

【上野竜太郎旋風】千葉市長「参院選比例区ならひょっとしたら当選したかも」 

☆「参院選比例区なら当選も」 落選のニート候補に千葉市長
(千葉日報)

http://www.chibanippo.co.jp/senkyo/2015/g/chibag/251088

http://www.webcitation.org/6XmdOXvLk

千葉市議選花見川区(定数10)に立候補し、「ニート」を全面に押し出す白黒コピーの選挙ポスターなどでインターネット上で話題になった上野竜太郎氏(25)の選挙戦について熊谷俊人市長は13日、「市議選だと一部の地域の人しか投票できないが、ネットで全国的に話題になったのだから参院選比例区だったらひょっとしたら受かるぐらいの票になったのでは」と述べた。

             


《出演者が居宅から外に出なかった人気番組》

☆電波少年的懸賞生活

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B3%A2%E5%B0%91%E5%B9%B4%E7%9A%84%E6%87%B8%E8%B3%9E%E7%94%9F%E6%B4%BB#.E6.A6.82.E8.A6.81

1998年1月に『進め!電波少年』が『進ぬ!電波少年』としてリニューアルした。新企画の一つとしてもちあがったのがこの電波少年的懸賞生活である。土屋敏男プロデューサーは若手芸人を集め、くじを引かせる。その中で「当たり」を引いたのが無名若手芸人「なすび」であった。なすびは目的も知らされずアイマスク・ヘッドホンを着用させられ移動。ワンルームの部屋へ連れて行かれ、衣服を全て没収される。そして「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに懸賞雑誌とハガキだけを与えられ、100万円分当選するまで懸賞だけで生活する、という企画内容を知らされ愕然とするが、あまり深く考えず承諾し、懸賞生活が始まった。

途中米が尽き、ドッグフードを食べて凌ぐなど相当辛い時期もあった。約1年後、目標額の100万円を達成。

(略)

このコーナーは同番組で人気となり、当時の高視聴率に貢献した。また、なすびの書いた「懸賞日記」はベストセラーとなり一躍ブームとなった。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B3%A2%E5%B0%91%E5%B9%B4%E7%9A%84%E6%87%B8%E8%B3%9E%E7%94%9F%E6%B4%BB#.E3.82.A8.E3.83.94.E3.82.BD.E3.83.BC.E3.83.89

この企画が生み出されたきっかけは、これまでに「ヒッチハイクの旅」など、旅系統の企画が相次ぎ、「電波少年」が旅番組であるかのようになってしまっているという指摘が視聴者から来た。そこでいわば「逆転の発想」として生み出されたのが「内なる旅」、「懸賞生活」だった。

(略)

1998年10月からはインターネットで24時間生中継され、アクセス数が当時最高を記録した。その時もスタッフが監視し、手動でナスのマークを動かしていた。ちなみに、有料サービスで行ったこの生中継で得た収益は70万円を超えており、罪悪感を抱いたスタッフはその収益金を愛の小鳩事業団(現:日本テレビ小鳩文化事業団)に全額寄付した。



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