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2014年11月3日月曜日

【論壇】憲法が改定(改悪)されたら日本の平和運動は「理論的な足場」を失うおそれ

坂本慎二
https://twitter.com/typtravis/status/528889161789353985
護憲派に言いたい事は、憲法第九条という後ろ盾が無かったら、戦争反対を言えないのか?
自国の憲法を持ち出さなくても、世界中に反戦運動がある。


坂本慎二
https://twitter.com/typtravis/status/528889975626952704
憲法を拠り所にしないと人権を求める声を上がられないの?
同じく、自国の憲法を拠り所にしなくても、世界中には、人権擁護や公民権を求めたり、平等を求める運動はある。


坂本慎二
https://twitter.com/typtravis/status/528891043018600448
もしかしたら、日本の社会運動が諸外国から見ると異質に感じるのは、何でも憲法を拠り所にしているからかもしれないなと思う。
一人一人が、憲法を超えた絶対的な価値観として『戦争はあかん』『差別はあかん』という絶対軸を共有することが重要だと思う。




《憲法9条が存在しなかった時代の反戦運動》

☆非戦論

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E6%88%A6%E8%AB%96#.E6.A6.82.E8.A6.81

日本での社会運動としての非戦論は、19世紀末の明治時代にあらわれ、日露戦争前夜には、幸徳秋水・堺利彦らが『万朝報』や週刊『平民新聞』紙上で、社会主義の考え方を背景に非戦を訴えた。

日本においては、イギリスやアメリカのように、組織的な徴兵反対運動や兵役忌避者団体は組織されることがなかった。太平洋戦争(大東亜戦争)末期には、灯台社(エホバの証人)の明石順三のような良心的兵役拒否者が現れたが、軍隊に強制連行されて戦地に行かされた。



☆片山潜

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%B1%B1%E6%BD%9C#.E7.94.9F.E6.B6.AF

また明治36年(1903年)12月に再度渡米し、翌37年(1904年)、第二インターナショナルの第五回大会で安部磯雄とともに本部員に選ばていた片山はアムステルダムで開催した万国社会党の第六回大会に出席。折しも日露戦争の最中にあって、ロシア代表のプレハーノフとともに労働者の反戦を訴えた。

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