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2014年7月5日土曜日

山本太郎議員は「光州事件」直後の金大中氏と同じパターンで失脚に追い込まれるおそれ

https://twitter.com/Are_Kore04/status/485200974001102848



https://twitter.com/YumGreens/status/485284449198694400



☆5.18光州民主化運動

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E6.A6.82.E8.A6.81

マスコミは軍部の完全統制の下で何も報道しておらず、事件は金大中が市民・学生らを扇動し起こされたという風説を軍部は意図的に流した。

しかし、ドイツ公共放送(ARD)東京在住特派員であったドイツ人記者ウィルゲン・ヒンツペンターなど海外メディアの特派員により、ドイツなど諸外国では事件の経過について詳しく報道されていた。




☆金大中

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%A7%E4%B8%AD#.E6.B0.91.E4.B8.BB.E5.8C.96.E9.81.8B.E5.8B.95.E5.AE.B6.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6

1980年2月19日に公民権を回復。政治活動を再開するが、5月18日に再び逮捕。これが原因となって光州で起きた民主化要求のデモを軍部が武力鎮圧する、流血の大惨事となった。

このため、軍法会議で首謀者として、また1977年に発生した学園浸透スパイ団事件での“摘発スパイ”の自白から「韓国民主回復統一促進国民会議」の議長とされ、死刑判決を受けた。

日本の当時の鈴木善幸首相はこれを憂慮して、11月21日に崔慶禄駐日大使と会談し、「日韓親善からみて、金大中の身柄に重大な関心と憂慮の意を抱かざるを得ない」と発言し、その旨を全斗煥大統領に伝達するよう要請した。

この事を受け、朝鮮日報は11月25日付の紙面で、鈴木発言を「内政干渉である」と批判した。

しかし、次第に民主化弾圧の死刑判決であると国際的な批判が強まって、1982年1月23日の閣議決定により無期懲役に減刑される事が決定し、12月23日に米国への出国を条件に刑の執行を停止された。