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2014年2月20日木曜日

〔浅田真央不振〕五輪には魔物が住んでいるのだから日本選手は「密教=秘密仏教」で魔物に対抗しろとの意見

647 名前:ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU
投稿日:2014/02/12(水) 07:39:02.20

日本人はメンタルが弱い 1

正々堂々と戦う武士道的精神でオリンピックに臨むが外国勢は他国に勝つ事しか頭に無い。

クーベルタン男爵ピエール・ド・フレディ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B3
は、近代オリンピックの創立者であるがフランスの教育者であった。

フランスで生まれ育った彼がが、英国パブリックスクールの教育に興味を持ち、ワーテルローの戦いで英国がフランスに勝ったのは、パブリックスクールの心身ともに鍛える教育の効果だと云っていた。

よく言われる言葉に、「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」と、
だがこの言葉はクーベルタン男爵の言葉ではなく、この言葉は聖公会のペンシルベニア大主教エセルバート・タルボットが1908年のロンドンオリンピックの際にアメリカの選手たちに対して語った言葉で、私はクーベルタン男爵の言葉かと思い込んでいた。

クーベルタン男爵は「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」と言っていたのである。

この言葉から汲み取れる意味合いに、精神力、自分に勝つ為の精神力だけではなく、ワーテルローの戦いでの言葉の心身ともに鍛える教育の効果が繋がってくる。



648 名前:ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU
投稿日:2014/02/12(水) 07:39:44.48

日本人はメンタルが弱い 2

そこには、”勝つことではなく参加することにこそ意義がある”と云う意味合いは無く、相手を殺しても勝利を勝ち取ると云う呪いの精神力が感じ取られる。

御前試合などで負けても自分の未熟を反省するも相手を呪う事は無いのが日本武士道であった。

他国は勝つ事だけが目的であり、以前北朝鮮に日本の選手が行って行われた球技サッカーだったか、その時参加した選手が帰国後に言っていた言葉が耳から離れない。
”北朝鮮の北朝鮮人選手への応援の時に、フィールドが大きく波うって、異様な雰囲気だった。”
と云うような意味を語っていた。

それは集団の心が相手を負かそうと思う信念の生きた心の負のエネルギーである生霊がまとまったからであり、心が清らかな日本選手団には異様な雰囲気と感じたのでしょう。

今回のソチオリンピック参加選手もその特異な雰囲気を感じ取り語っていた選手が少なくない。

命をかける戦いの場合、往々にして起きる事であり、昔の武将はその負のエネルギーをはじき返す為に護摩修法祈祷者を抱えていた。

今後日本のスポーツ関係者は、相手側の生霊のエネルギー対処の訓練もしなくては、実力は100%発揮できないように思う。



722 名前:ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU
投稿日:2014/02/20(木) 20:30:08.85

日本人はメンタルが弱い 総括

平野歩夢選手が銀・平岡卓選手が銅メダルの二人は、我関せず的だから影響受けないで済んでいるが、細かく気遣いする選手に対する心配を書いたのだが。

しかし、五輪に臨んだ浅田真央
「自分の思ったような演技ができませんでした。体がうまく動かなかった。滑り出してからいつもと違う感じがあった。でもいかなきゃってよぎって。自分の体と考えが違ってしまった。」
「自分でも終わってみて、まだ何も分からないです…」

と、、、、
確かに

”オリンピックに魔物が住んでいる”
キム・ヨナの生霊に自分が自分で無くなった状態は、まさに生霊による霊障だ。
日本人はお人よし、それだけでは世界は認めてくれない。
メンタルの強化、霊的に生かされない根性と密教による防衛が必要と思うのだが、、、、。




《備考》

☆清原、復活目指し炎の「護摩行」修行
(1999年12月22日の日刊スポーツ)

http://www5.nikkansports.com/baseball/kiyohara/reprint/giants/entry-67665.html

巨人清原和博内野手(32)が21日、鹿児島・最福寺での修行を終え、帰京した。17日から5日間、寺に宿泊し、燃えさかる炎の前で不動真言を唱える「護摩行」などの修行。アクシデント続きの逆境を吹き飛ばすため、自ら出向いた精神修行だった。気を抜けば池口恵観(えかん)法主(63)から怒鳴られ、水をかけられる厳しさ。

(略)

極端に短く髪の毛を刈り込んだ清原の目前で、高々と炎が燃えさかる。顔や手を熱気が襲い、呼吸さえも困難な状況に陥る。炎の前に座り、長くは8時間にもわたって不動真言を唱える「護摩行」は、信者でも気を失う者が多く、過去には死者が出たことさえある厳しい修行だ。

2時間に短縮されているとはいえ、清原は顔をのけぞらせることもなく、大声を張り上げ続けた。衣に飛び散った火の粉をチラリと見ると、さらなる苦しみを求めるようにグッと前へ進み出た。

(略)

清原: 
火の前では何も考えられんよ。そんな余裕なんかない。必死に声を出していないと、熱さにやられてしまう。もう腹の底から声を出すだけ。あれが「無」というものなのかな。

 野球の練習なら次第に体が慣れ、手を抜くこともできる。だが、修行ではそうはいかない。早朝、冷たい水でぞうきんを絞り、ひざをついて床を磨く。一瞬でも気を抜けば池口法主から怒声を浴びせかけられ、水をかけられることもある。

 野球では何年も味わっていない立場に追い込まれ、清原は修行の合間に声を上げて笑うことが多くなった。寺から車で3時間ほどの知覧町の「特攻記念館」に立ち寄った時は、戦時中の特攻隊員の記録に涙を流した。少年のような喜怒哀楽がよみがえっていた。


池口法主: 
腹の底から大声を出し、怒鳴られ、そして笑い、PL学園時代の純真な青年に戻った。来年は歩き方から変わるはず。心が燃えていれば、周囲にたたかれてもはね返せる。だれにも負けない成績を残すと確信しています。



☆新井貴の護摩行、火力1000本増
(日刊スポーツ。2014年1月14日)

http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140114-1243720.html

http://www.webcitation.org/6NWjkWmSs

快打炎心-。「体と心をフル回転してしっかりとプレーしなさい」(池口法主)。学生野球の父といわれた飛田穂洲が使い、巨人長嶋茂雄終身名誉監督も現役時代にサインに添えた「快打洗心」。その1字を池口法主は「炎」に置き換えた。

新井:
(打席に立つときに)ふっと気が抜けることがあるから、それをなくすようにしなさいと言われた。(護摩行中は)何も考えられない。しっかり声を出さないと倒れる。無心だった。



☆オリバー・クロムウェル

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%A0%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB#.E8.AD.B0.E4.BC.9A.E8.BB.8D.E3.81.AE.E9.89.84.E9.A8.8E.E9.9A.8A

1642年10月23日、エッジヒルの戦いでの敗戦直後、クロムウェルは議会軍の大佐ジョン・ハンプデンに「酒場の給仕や職人の軍隊で上流人士の騎士たちと戦を続けることは難しい。これからは信者の軍をつくらなければならない」と語った。

(略)

1643年10月11日ウィンスビーの戦いでは「詩篇を歌い感謝しつつ」突撃し、リンカンシャーから王党を一掃した。