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2017年2月6日月曜日

【東京都議選】民進党幹事長があらためて共産党ではなく小池新党との連携を希望

☆自民「小池ブーム続かず」=民進なお連携模索
(時事通信)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170206-00000072-jij-pol

http://archive.is/eIyWC

野田氏は会見で、民進党は区長選に自主投票で臨んだものの、「区議は(現職を)応援していた」と小池氏サイドで戦ったことを強調。小池氏が同党との連携を否定したことには「都議会民進党が小池知事の改革姿勢を支持する上で何をするかだ」と、党所属の都議に具体的な行動を促した。

都議選での共産党との協力に関しては「それぞれが党勢拡大を目指すということだ」と否定的な見解を示した。




《おまけ》

☆鍋島直茂 ~ 実権掌握と鍋島氏佐賀藩の成立

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%8B%E5%B3%B6%E7%9B%B4%E8%8C%82#.E5.AE.9F.E6.A8.A9.E6.8E.8C.E6.8F.A1.E3.81.A8.E9.8D.8B.E5.B3.B6.E6.B0.8F.E4.BD.90.E8.B3.80.E8.97.A9.E3.81.AE.E6.88.90.E7.AB.8B

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、息子の勝茂が当初西軍に属して積極的に参戦したが、直茂は東軍勝利を予測しており、先ず尾張方面の穀物を買い占めて米の目録を家康に献上、関ヶ原での本戦が開始される以前に勝茂とその軍勢を戦線から離脱させている。

その後直茂は、家康への恭順の意を示すために九州の西軍諸将の居城を攻撃することを求められ、小早川秀包の久留米城を攻略、次いで立花宗茂の柳川城を降伏開城させた。

更に直茂は、他の東軍諸将と共に島津への攻撃まで準備したが、こちらは直前に中止となった。

一連の九州での鍋島氏の戦いは家康に認められ、肥前国佐賀35万7,000石は辛うじて安堵されている。