☆“沖縄振興”は減額 「思いやり予算」は増額
(テレビ朝日)
https://youtu.be/6WEYuDXsdwM
来年度の沖縄振興予算は3150億円と今年度よりも200億円、減額されました。
(略)
一方で、アメリカのトランプ次期大統領が増額を求めていた在日アメリカ軍の駐留経費、いわゆる「思いやり予算」は労務費の増加などを理由に26億円、増額しました。
《おまけ》
☆三木合戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E5%90%88%E6%88%A6
三木合戦(みきかっせん)は、天正6年3月29日(1578年5月5日)から天正8年1月17日(1580年2月2日)にかけて行われた織田氏と別所氏の合戦。織田家の武将羽柴秀吉が行った播州征伐のうちの1つで、別所氏は播磨三木城(兵庫県三木市)に篭城した。
この合戦で秀吉が行った兵糧攻めは、三木の干殺し(みきのひごろし、みきのほしごろし)と呼ばれる。
☆鳥取城 ~ 秀吉の鳥取城攻略戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E5%9F%8E#.E7.A7.80.E5.90.89.E3.81.AE.E9.B3.A5.E5.8F.96.E5.9F.8E.E6.94.BB.E7.95.A5.E6.88.A6
秀吉は播磨・三木城攻め(三木合戦)で行った兵糧攻めをここでも実施した。
陰徳太平記によると、秀吉は若狭から商船を因幡へと送り込み米を高値で買い占めさせる一方で、1400の兵が籠る鳥取城に付近の農民ら2000以上を城に追いやった。さらに河川や海からの毛利勢の兵糧搬入も阻止した。
このとき城には20日分の兵糧しか用意されておらず、この作戦により瞬く間に兵糧は尽き飢餓に陥った。
何週間か経つと城内の家畜、植物などは食い尽くされ、4か月も経つと餓死者が続出し人肉を食らう者まで現れた。
信長公記には「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず」と記されている。
城主の経家はこの凄惨たる状況に、自決と引き換えに開城した。