(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/16/senkyo204/msg/434.html
日本語にしてしまえば、「非人道的」と「非人間的」は似て見える。だから、核保有国の立場に譲歩し、広島や被爆者の世論に配慮した結果、「非人間的な苦難」と無理やり意訳して、何らかの成果を勝ち取ったかのように見せた。
《おまけ》
☆ポツダム宣言~発表後の反応
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80#.E7.99.BA.E8.A1.A8.E5.BE.8C.E3.81.AE.E5.8F.8D.E5.BF.9C
ポツダム宣言の発表をうけた日本政府ではこの宣言に対する対応を検討した。宣言文の翻訳に当たったのは条約局第一課長下田武三であった。
外務省定例幹部会は受諾はやむを得ないが、未だ交渉の余地はあり、「黙っているのが賢明で、新聞にはノー・コメントで掲載するよう指導するのが適当である」という決定を行った。
これをうけた外務大臣東郷茂徳は最高戦争指導会議と閣議において、「本宣言は有条件講和であり、これを拒否する時は極めて重大なる結果を惹起する」と発言した。
しかし陸海軍からはいずれ本宣言は世論に伝わるため「断固抵抗する大号令」を発せられるよう指導するよう主張した。
結局東郷の意見が通り、ポツダム宣言を公式に報道するものの、政府は内容について公式な言及をしないということが閣議決定された。
7月27日、日本政府は宣言の存在を論評なしに公表した。
ところが翌28日の新聞報道では、読売新聞で「笑止、対日降伏条件」、毎日新聞で「笑止! 米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚を露呈」などという新聞社による論評が加えられていた。
また陸軍からは政府が宣言を無視することを公式に表明するべきであるという強硬な要求が行われ、同日、首相鈴木貫太郎は記者会見で「共同声明はカイロ会談の焼直しと思う、政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し断固戦争完遂に邁進する」(毎日新聞、1945年(昭和20年)7月29日)と述べ(記事見出しは全て現代式表記・仮名使いに修正)、翌日朝日新聞で「政府は黙殺」などと報道された(産経新聞は1950年創刊でこの当時は存在しない)。
この「黙殺 (Mokusatsu) 」は日本の国家代表通信社である同盟通信社では「ignore」と翻訳され、またロイターとAP通信では「Reject(拒否)」と訳され報道された。
東郷は鈴木の発言が閣議決定違反であると抗議している。
なお、ラジオ・トウキョウがどのように応えたかは確認されていない。
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