(日刊ゲンダイ)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/163195/1
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/638.html
民間企業に就職したと思ったら、配属先は「自衛隊」だった――。防衛省が密かに検討していた「徴兵プログラム」が国会で取り上げられ、大騒ぎになっている。
《歴史メモ~在郷軍人たちは「政治的なパワー」を持っていた》
☆在郷軍人会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E9%83%B7%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E4%BC%9A#.E5.B8.9D.E5.9B.BD.E5.9C.A8.E9.83.B7.E8.BB.8D.E4.BA.BA.E4.BC.9A
1936年9月25日に勅令によって帝国在郷軍人会令が公布され、陸軍省・海軍省共同の監督下に置かれ、以後天皇機関説撲滅運動など、軍部の政治力強化に協力した。
☆桐生悠々
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E7%94%9F%E6%82%A0%E3%80%85#.E3.80.8C.E9.96.A2.E6.9D.B1.E9.98.B2.E7.A9.BA.E5.A4.A7.E6.BC.94.E7.BF.92.E3.82.92.E5.97.A4.E3.81.B5.E3.80.8D
1933年(昭和8年)8月11日、折から東京市を中心とした関東一帯で行われた防空演習を批判して、悠々は社説「関東防空大演習を嗤ふ」を執筆する。同文中で悠々は、敵機の空襲があったならば木造家屋の多い東京は焦土化すること、被害規模は関東大震災に及ぶであろうこと、空襲は何度も繰り返されるであろうこと、灯火管制は近代技術の前に意味がないばかりか、パニックを惹起し有害であること等、12年後の日本各都市の惨状をかなり正確に予言した上で、「だから、敵機を関東の空に、帝都の空に迎へ撃つといふことは、我軍の敗北そのものである」「要するに、航空戦は...空撃したものの勝であり空撃されたものの負である」と喝破した。
この言説は陸軍の怒りを買い、長野県の在郷軍人で構成された信州郷軍同志会が信濃毎日新聞の不買運動を展開したため、悠々は同9月に再び信濃毎日の退社を強いられた。