☆日本は猛烈な勢いで劣化している! 古賀茂明「ドン・キホーテみたいとバカにされてもやる」改革とは?
(週プレNEWS。4月7日)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150407-00046184-playboyz-pol
https://web.archive.org/web/20150425225221/http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150407-00046184-playboyz-pol
「次の参院選が来年夏ということを考えると、今年中に『第四象限の党』が生まれてほしい。僕はそれを陰で支える黒子役を務めたいと思うのですが、その党が立ち上がる時に誰も音頭をとる人がいなければ、僕が一時的にその役目を引き受けて、その後、若い層にバトンタッチすることも考えないといけないかもしれませんね」
《おまけ》
☆日本新党
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%B0%E5%85%9A
1992年5月に細川護煕が『文藝春秋』誌上で提唱した自由社会連合を母体として、既成の政治、政党を打破して日本に新しい政治体制を作り上げるという理念のもと、結成された。
党名は当初、自由社会連合であったが、この名称はとりあえずつけた仮称であり、政党名は改めて公募した。結果、全国から200を超える党名候補が集まった。これら党名候補の中から細川やプランナーなど5名が選考を行い、平成新党と日本新党の2つに絞られた。そして、細川が知り合いの外交官に意見を求め、英語名が国際的に通用すると判断した日本新党(JAPAN NEW PARTY)を党名とすることに決まり、5月22日に東京都選挙管理委員会に届け出た。
党の運営は代表である細川の人気と人脈に頼った「個人商店」とも揶揄されたものであり、政治経験の少ない議員が党を主導するという体制では無く、党事務局が党を主導していく体制であった。また、党の運営資金は細川が自宅や別荘等の私財を担保に借金して作った資金を党に提供したものが主なものであった。
党の制度としては議員候補を公募で選んだり、女性の政治参加を促すためにクオータ制(党役員構成のうち、女性枠が20パーセントを下回らないという制度)を導入したり、女性のための政治スクールを開設するなど、既存の政党には無かった斬新な制度を取り入れたものであった。
選挙戦を通じた中で無党派層の支持を獲得し、「ジバン(後援会組織)、カンバン(知名度)、カバン(選挙資金)」のいわゆる三バンが無い多数の政治家を国会に国会議員として送り込んだ。また、55年体制崩壊をもたらした「新党ブーム」のいわば火付け役となった存在であった。
スローガンは「責任ある変革」。