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2015年4月18日土曜日

【写真判定】昨日の安倍・翁長会談は「安倍首相の完勝」に終わった

翁長雄志・沖縄県知事が高飛車で傲慢に、安倍晋三首相が低姿勢で謙虚に見える、この写真

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150417-00000045-asahi-pol.view-000

(キャッシュ)
http://www.webcitation.org/6XrhBoMSh

を撮影され、配信された時点で、翁長雄志・沖縄県知事が「完敗」した。


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《備考~2004年の週刊誌報道「拉致被害者家族会へのバッシングは組織的・計画的におこなわれた」》


☆週刊朝日(2004年6月11日号)P30~31
「『家族会』にまで批判メール、電話殺到」

小泉首相が帰国後に家族と面会する方針は、会談前から伝えられていたが、当初はマスコミに「冒頭3分」しか取材させない予定だった。家族らが訪朝の「成果」に不満を感じている状況は、首相にも報告されていたが、家族との面会を予定どおりに敢行したうえ、あえて「冒頭3分」の取材制限を取っ払い、面会場面をすべてカメラに撮らせる方針が「面会の直前、現場で首相官邸の意向として伝えられた」(内閣官房拉致被害者・家族支援室)という。

(中略)

4月に起きたイラクの邦人人質事件でも、政府の対応を批判した人質家族が「敵」に仕立てられて自己責任論の集中砲火を浴び、自衛隊を派遣した小泉政権の政治責任を問う声はかき消された。



☆週刊ポスト(2004年6月11日号)P38~41
「問題摘出「拉致家族会バッシング」は仕組まれた」

家族会には、全国の”小泉支持者”たちから抗議や中傷のメールが殺到し、各種世論調査では「小泉訪朝を支持する」が6、7割を占め、家族会に逆風が襲いかかったのである。ついに家族会は5月25日になって『ご批判に対して』という釈明文を出すところまで追い詰められた。

その一連の経緯は、実はすべて小泉首相と側近グループが周到に用意した“訪朝失敗隠しの世論操作”だった。

前出・官邸筋の話は、政治の恐ろしさと権力者の醜さをまざまざと見せつける。「家族会と総理の会談は、もともとは冒頭だけを撮影する『頭撮り』の予定だった。ところが会談の直前、総理自ら全面公開するよう指示を出した。家族会がいきり立って罵詈雑言を浴びせることを察知したからだ。その場面を国民に見せれば、”そこまでいわなくても”という総理への同情論が出ることも計算した判断だった。小泉総理は世論を読む天才だが、家族会を悪者にして批判をかわそうという冷酷さにはゾっとした」

(中略)

「総理と秘書官らは、イラク人質事件の“教訓”があったからこそ、家族会に総理を批判させる作戦を思いついた。ある側近は総理に、『家族会の前では頭を垂れ、十分に批判させた後で、“責任は私にある。批判は甘んじて受ける”といえば効果は抜群』などと演技指導までしていた」官邸と御用マスコミによって完全に仕組まれた家族会バッシングだった。

本誌の調べでは、官邸側からテレビ各局に、会談直前に「頭撮りではなく全面公開」と通達があった。それどころか、あるスタッフは会談の部屋が広すぎると文句をいい、”もっと家族と総理が近いほうが、総理がいじめられている印象が強まる”と、露骨に演出効果を口にしていた。



☆週刊現代(2004年6月12日号)P54

「『ポスト小泉』平沼赳夫“返り討ち”の顛末」

虎視耽々とポスト小泉を狙っている平沼氏が、この好機を見逃すわけがない。平沼氏は帰国直後の首相を、「経済制裁というカードを早々と封印し、安易な妥協をした。50点以下だ。あの程度なら私でもできる」と徹底的にこき下ろしたのだ。

小泉批判を続ければ世論が同調し、一気にポスト小泉の一番手に躍り出られる。これが平沼氏の戦略だった。しかし、首相の反撃は鋭かった。

政府高官が絶賛する。

「帰国直後の家族会への説明の場を公開し、首相を責める家族たちの姿を国民の前にさらけ出させたのが、首相の絶妙な一手だった。苛立つ気持ちは分かるが、あれではイラクの人質事件で国民の反発を買った家族と同様に映り、首相に同情が集まる。彼はそこまで計算していたんだ。」

風向きは変わった。週明け24日に開かれた自民党拉致対策本部では逆に、平沼氏が集中砲火を浴びた。以降、平沼氏の小泉批判は一転してトーンダウンした。