ページ

2015年4月20日月曜日

【辺野古】米国は翁長雄志・沖縄県知事の「失脚」を織り込んだ動き

☆翁長知事と米大使の会談困難に 大使館「目的が不明確」
(沖縄タイムス)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150420-00000006-okinawat-oki

https://web.archive.org/web/20150419214903/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150420-00000006-okinawat-oki

翁長雄志知事が今月中の実現を目指しているキャロライン・ケネディ駐日米大使との会談について、駐日米大使館側が「この時期に会う目的が明確ではない」と難色を示していることが19日分かった。



∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


《芦田均首相(当時)失脚事件》


孫崎享(元・防衛大学校教授)
https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/178019168203972608
小沢事件・芦田首相事件:小沢事件に思う。検察は日本の政治家を抹殺するための道具として動いて来た。田中角栄の外にも。芦田均首相。芦田氏は外相時、米国に「米軍有事駐留」を提言。首相時、昭和電工汚職事件発生。芦田氏は関連ないが、道義的責任を負い10月15日辞任。問題は更に続く。


孫崎享(元・防衛大学校教授)
https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/178019329017774080
芦田事件2:検察は新たな動き。10月27日東京地検は芦田氏の逮捕状を請求.容疑は外務大臣時代に、進駐軍関連経費の支払い遅延の促進に関わって贈収賄というもの等。結局1952年に無罪。その間、彼の政治生命は中断。『芦田均』の解説で、「すでに芦田は逮捕される以前から


孫崎享(元・防衛大学校教授)
https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/178019536644214784
芦田事件3:自己の政界引退と引き替えに事件捜査を打ち切りを検察から示唆されていた」と記述。検察は事件そのものよりも、芦田氏の政治生命を終わらせることを狙う。不思議でないですか。何故検察が芦田氏の政治生命を終わらせる必要があるか。芦田氏はまだ、民主党の党首。昭電事件では


孫崎享(元・防衛大学校教授)
https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/178019683159650304
芦田事件4:関係ないから、首相に復活する可能性。この流れは、田中角栄追い落としと極めて類似。芦田内閣崩壊のパターン。①米国の一部の勢力が、日本の首相など政策の責任者に不満をもつ。②日本の検察が汚職などの犯罪の捜査を、本人ないし近辺の者に行なう。有罪にならなくてもよい。


孫崎享(元・防衛大学校教授)
https://twitter.com/magosaki_ukeru/status/178019754349576193
芦田事件5:一時的な政治上の失脚があれば目的が達せられる。マスコミがこの汚職事件を大々的にとりあげ、政治的、社会的失脚に追いこむ。米国は、現在の責任者に代わる候補者と連携して動く。芦田首相を追い出した後の首相に誰がなるか。従米の吉田茂。小沢事件は何なる刑事事件でない



☆昭和電工事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E9%9B%BB%E5%B7%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6

昭和電工事件(しょうわでんこうじけん)とは、戦後間もない1948年におきた贈収賄汚職事件である。昭電事件(しょうでんじけん)、昭電汚職(しょうでんおしょく)、昭電疑獄(しょうでんぎごく)とも呼ばれる。

(略)

大蔵官僚福田赳夫(後の首相)や野党・民主自由党の重鎮大野伴睦(後の自由民主党副総裁)の逮捕に始まり、やがて政府高官や閣僚の逮捕にまで及んだ。栗栖赳夫経済安定本部総務長官、西尾末広前副総理が検挙され芦田内閣の総辞職をもたらした。戦前軍部に対抗し大政翼賛会にも参加せず、首相としては閣僚の上奏を停止するなど、はっきりしたリベラルであった芦田均を失脚させるための、帝人事件同様の検察ファッショであったと考えることもできる。その後、前首相であった芦田均自身も逮捕されたが、裁判では栗栖以外の政治家は無罪となった。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


《田中角栄首相(当時)を失脚させたのは文藝春秋社である》


☆田中角栄

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84#.E9.A6.96.E7.9B.B8.E5.9C.A8.E4.BB.BB.E6.99.82

10月 - 月刊誌『文藝春秋』で「田中角栄研究」「淋しき越山会の女王」が掲載。立花隆らが田中金脈問題を追及する。

11月 - 日本外国特派員協会における外国人記者との会見や国会で金脈問題の追及を受け、第2次内閣改造後に総辞職を表明。フォード大統領(当時)が来日して会談。現職米国大統領の訪日は初めて。

12月9日 - 内閣総辞職。