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2014年12月19日金曜日

【韓国】憲法裁判所が左派少数野党「統合進歩党」の解散を命じた

☆親北政党の解散宣告 国会議員職も全員剥奪=韓国憲法裁
(聯合ニュース)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141219-00000022-yonh-kr

https://web.archive.org/web/20141219045711/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141219-00000022-yonh-kr

韓国政府が請求した左派少数野党・統合進歩党の政党解散審判で、憲法裁判所は19日、同党の解散を宣告した。党所属の国会議員5人全員の議員職も剥奪した。



☆韓国憲法裁、少数野党の解散決定 「北朝鮮に沿う活動」
(朝日新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141219-00000023-asahi-int

https://web.archive.org/web/20141219050119/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141219-00000023-asahi-int

その後、法務省が「統合進歩党の綱領や目的が、憲法の自由民主的な基本秩序に反する北韓式の社会主義を追求している」として憲法裁に審判を請求していた。これに対し、統合進歩党は北朝鮮との関連を否定し、全面的に争っていた。

          
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《エジプト軍事政権は(選挙で民衆から支持された)ムスリム同胞団の非合法化を強行した》


☆エジプト、「ムスリム同胞団」非合法化
(ロシアの声。2013年9月23日)

http://japanese.ruvr.ru/2013_09_23/121807941/

エジプト裁判所は23日の会議で「ムスリム同胞団」の活動を全面禁止した。ロイター通信が伝えた。

同時に裁判所は、「ムスリム同胞団」に設立されたかあるいはその管理下にある機関・組織の活動を禁じた。

これに先立ちエジプト裁判所は「同胞団」幹部の資産を凍結、また関連が疑われるテレビ局の閉鎖を決定している。

この制裁措置はムルシ元大統領の政権からの追放を不服とする数千人の「同胞団」同志がカイロその他都市で引き起こした動乱を受けてのもの。


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《米国共産党が事実上、非合法化されることになった契機「デニス事件(デニス・ケース)」》


多少の勢力があった米国共産党が非合法化されることになった岐路
「Dennis v. United States」
http://en.wikipedia.org/wiki/Dennis_v._United_States
Dennis v. United States, 341 U.S. 494 (1951), was a United States Supreme Court case relating to Eugene Dennis, General Secretary of the Communist Party USA. The Court ruled that Dennis did not have the right under the First Amendment to the United States Constitution to exercise free speech, publication and assembly, if the exercise involved the creation of a plot to overthrow the government.


以下は、ポラーノ博士
https://twitter.com/mimipinpi
によるミニ解説。

        ↓

1950年、米国の共産党は、原子兵器禁止にかんするストックホルム・アピールに応じて署名獲得に積極的に参加。その他、第二次世界大戦後にファッショ化していく米国に抗議、労働者の人権を守ることにも重点を置いていた。

合衆国当局は、民主主義運動に圧迫を加え、共産党狩りを組織した。当局は、それによって国内のすべての進歩的な運動の息の根をとめるために、共産党を壊滅させることを目的としていた。一九四八年、米国共産党の幹部ウィリアム・フォスターとユージン・デニスら11名を逮捕。

この逮捕による裁判で共産党の指導者たちは、合衆国の帝国主義者の反動的侵略政策を暴露。合衆国当局は共産党を法律外に置くことを目的として、共産党員の迫害を強化した。1951年、ユージン・デニスその他党指導者は投獄され、それに続く形で多くの共産党員が投獄された。


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《チリのアジェンデ政権崩壊のきっかけはキリスト教民主党の寝返りだった》


☆チリ・クーデター ~アジェンデ大統領の任期中

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC#.E3.82.A2.E3.82.B8.E3.82.A7.E3.83.B3.E3.83.87.E5.A4.A7.E7.B5.B1.E9.A0.98.E3.81.AE.E4.BB.BB.E6.9C.9F.E4.B8.AD

政権交代後しばらくは経済も好調であった。そのため、1971年4月の統一地方選挙ではアジェンデ与党人民連合の得票率は50%を超え、大統領当選時より大幅に支持を伸ばした。

しかし、アメリカの支援を受けた反共主義を掲げる極右組織が次々に誕生し、CIAが右翼勢力に対する公然非公然の支援を行い政権打倒の動きを強めるなど次第に政情が不安定化する。

また、政権交代後にアジェンデが進めた性急な国有化政策や社会保障の拡大などの社会主義的な経済改革は、自由経済であるもののその規模が大きいわけではない当時のチリ経済の現状にそぐわないものであり、結果的にインフレと物不足を引き起こした。

さらにアメリカのリチャード・ニクソン政権が経済制裁を行い、その中でも、当時のチリ経済が銅の輸出に大きく依存していたため、アメリカが保有していた銅の備蓄を放出してその国際価格を低下させたことがチリ経済に大きな打撃を与えたと言われる。

これらの結果、政権末期にはチリ経済は極度の混乱状態に陥った。

しかし、それにもかかわらず、アジェンデ政権に対する国民の支持はさほど低下していなかった。1973年3月の総選挙では、人民連合は43%の得票でさきの統一地方選よりは減ったが、依然として大統領選を上回る得票で議席を増加させた。

しかし、大統領選の決選投票ではアジェンデ支持に回ったキリスト教民主党が、アメリカのヘンリー・キッシンジャー国務長官の意向を受けたCIAの働きかけで反アジェンデに転回したため、アジェンデ政権は窮地に追い込まれていく。


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《藤原純友が率いた反乱軍が壊滅したきっかけは、藤原恒利の寝返りだった》


☆承平天慶の乱~藤原純友の乱

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E5%B9%B3%E5%A4%A9%E6%85%B6%E3%81%AE%E4%B9%B1#.E8.97.A4.E5.8E.9F.E7.B4.94.E5.8F.8B.E3.81.AE.E4.B9.B1

8月、純友は400艘で出撃して伊予国、讃岐国を襲って放火。備前国、備後国の兵船100余艘を焼いた。更に長門国を襲撃して官物を略奪した。10月、大宰府と追捕使の兵が、純友軍と戦い敗れている。11月、周防国の鋳銭司を襲い焼いている。12月、土佐国幡多郡を襲撃。

天慶4年(941年)2月、純友軍の幹部藤原恒利が朝廷軍に降り、朝廷軍は純友の本拠日振島を攻め、これを破った。