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2014年11月20日木曜日

テレ朝「報道ステーション」打ち切り後の後継番組のキャスターは「みのもんた」氏か

☆打ち切り説流れる「報道ステーション」後釜にみのもんた浮上
(東京スポーツ)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141120-00000003-tospoweb-ent

https://web.archive.org/web/20141120001133/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141120-00000003-tospoweb-ent

「早ければ来春にも報ステが終了すると聞いている。最近いろいろと問題も起きており、もはや限界に近づいている」とテレ朝関係者。



《おまけ》

☆竹槍事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%A7%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E3.80.8E.E6.AF.8E.E6.97.A5.E6.96.B0.E8.81.9E.E3.80.8F.EF.BC.881944.E5.B9.B42.E6.9C.8823.E6.97.A5.E4.BB.98.EF.BC.89.E3.81.AE.E8.A8.98.E4.BA.8B

新名の執筆記事は「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」と題して、1944年(昭和19年)2月23日付の『毎日新聞』朝刊に掲載された。

「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」

「日本は建国以来最大の難局を迎えており、大和民族は存亡の危機に立たされている。大東亜戦争の勝敗は太平洋上で決せられるものであり、敵が日本本土沿岸に侵攻して来てからでは手遅れである」

「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」

「大東亜戦争の勝敗は海洋航空兵力の増強にかかっており、敵の航空兵力に対して竹槍で対抗することはできない」

新名は開戦時から海軍を担当、18年1月から約半年間はガダルカナルで従軍して前線の惨状をつぶさに見聞きし、日本の窮状と大本営作戦の内容を把握していた。 この記事に東條は激怒。

陸軍報道部は、毎日新聞に処分を要求。更に内務省は掲載新聞朝刊の発売・頒布禁止と差し押さえ処分を通達した(ただし、この時点で問題の朝刊は配達を終えていた)。

そこへ火に油を注ぐように、同日夕刊トップでは「いまや一歩も後退許されず、即時敵前行動へ」と題する記事が掲載された。記事中で

日本の抹殺、世界制圧を企てた敵アングロサクソンの野望に対しわれわれは日本の存亡を賭して決起したのである。敵が万が一にもわが神州の地に来襲し来らんにはわれらは囚虜の辱めを受けんよりは肉親相刺して互に祖先の血を守つて皇土に殉ぜんのみである。しかも敵はいまわが本土防衛の重大陣地に侵攻し来つてその暴威を揮ひつつある。われらの骨、われらの血を以てわが光輝ある歴史と伝統のある皇土を守るべき秋は来たのだ。

と述べており、記事の趣旨は戦争自体を肯定した上で戦況が悪化している現状を伝え、その打開策を提言したものであるが、東條は「統帥権干犯だ」として怒った。夕刊記事の執筆は新名ではなく清水武雄記者によるものだったが、この責も新名が引き受けた。

新名は責任を感じ、上司の吉岡文六編集局長に進退伺いを提出したが、吉岡はこれを受理せず、3月1日、自身が加茂勝雄編集局次長兼整理部長とともに引責辞任した。

東條の怒りはおさまらず、内閣情報局次長村田五郎に対して「竹槍作戦は陸軍の根本作戦ではないか。毎日を廃刊にしろ」と命令した。村田は「紙の配給を停止すれば廃刊は容易」とした上で「日本の世論を代表している新聞のひとつが“あのくらいの記事”を書いたことで廃刊になれば、世論の物議を醸し、外国からも笑われます」と述べ、東條を諫めた。