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2014年10月22日水曜日

【戦前史メモ】新聞社が正論を述べると「不買運動」が起こってしまい経営が行き詰まる

☆桐生悠々

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E7%94%9F%E6%82%A0%E3%80%85#.E3.80.8C.E9.96.A2.E6.9D.B1.E9.98.B2.E7.A9.BA.E5.A4.A7.E6.BC.94.E7.BF.92.E3.82.92.E5.97.A4.E3.81.B5.E3.80.8D

1933年(昭和8年)8月11日、折から東京市を中心とした関東一帯で行われた防空演習を批判して、悠々は社説「関東防空大演習を嗤ふ」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000535/files/4621_15669.html
を執筆する。

同文中で悠々は、敵機の空襲があったならば木造家屋の多い東京は焦土化すること、被害規模は関東大震災に及ぶであろうこと、空襲は何度も繰り返されるであろうこと、灯火管制は近代技術の前に意味がないばかりか、パニックを惹起し有害であること等、12年後の日本各都市の惨状をかなり正確に予言した上で、「だから、敵機を関東の空に、帝都の空に迎へ撃つといふことは、我軍の敗北そのものである」「要するに、航空戦は...空撃したものの勝であり空撃されたものの負である」と喝破した。

この言説は陸軍の怒りを買い、長野県の在郷軍人で構成された信州郷軍同志会が信濃毎日新聞の不買運動を展開したため、悠々は同9月に再び信濃毎日の退社を強いられた。