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2014年10月20日月曜日

沖縄県豊見城市長選は「共産・社民・沖縄社大」推薦候補が敗北した

104 名前:無党派さん
投稿日:2014/10/19(日) 19:57:33.08 ID:PJF+SXEh
今日は豊見城市長選の投開票日


105 名前:無党派さん
投稿日:2014/10/19(日) 20:03:25.93 ID:WhFabXK0
民主党は立場が曖昧であり、革新陣営が比較的強い沖縄にとって小さめな存在ではあるが、やはり進歩的な候補の推薦や支援は行うべきだと思う
沖縄市長選のように保守派を支持して僅差当せんを助けるようなことがあっては厳しい



☆豊見城市長に宜保氏再選 (琉球新報)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-233378-storytopic-3.html

https://web.archive.org/web/20141019213034/http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-233378-storytopic-3.html

19日投開票の豊見城市長選挙は、自民、公明推薦の宜保晴毅氏(46)=無現=が、共産、社民、沖縄社大推薦の大城勝永氏(61)=無新=を破り再選された。

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★ 民主党抜きの「共産・社民・沖縄社大」だけの共闘だと、民主党を支持するような「生ぬるい日和見層」「生ぬるい無党派層」「生ぬるい中間勢力」を取り込めない。いわば負けるべくして負けた選挙である。



《司馬遼太郎「竜馬がゆく」より、坂本龍馬の言葉》

「世の中の動きというものはな、筒井順慶(洞ヶ峠)できまるものだぞ。時勢の歴史もそうだ。新旧はげしく勝負をする。いずれかが勝つ。勝ったほうに、おおぜいの筒井順慶がなだれを打って加盟し、世の勢いというものが滔々として出来あがってゆくのだ。筒井順慶は馬鹿にならん。」




《関ヶ原で軍事衝突する以前の外交戦(日和見層や中間勢力の取り込み)の段階で、東軍は西軍に既に圧勝していた》

☆関ヶ原の戦い

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E5.89.8D.E5.93.A8.E6.88.A6

小山評定を終え、東軍諸大名が清洲城を目指し西進を開始した後も、家康は動向が不明な背後の佐竹義宣に対する危険から江戸に留まり、藤堂高虎や黒田長政らを使って諸将に書状を送り続け、豊臣恩顧の武将の東軍繋ぎ止めと、西軍の調略による切り崩しを図った。

黒田は吉川広家に毛利家所領の安堵を、小早川秀秋に、高台院への忠節を説いて内応を約束させる。

江戸城内で家康が東軍諸大名などに宛てた書状は約200通にも及び、家康の書状による情報処理は、その後の戦いの雌雄を決定付けることになる。

一方、三成が西軍諸大名に宛てた書状は家康のそれよりも少なく、真田昌幸からは「なぜ挙兵前に(挙兵の意思を)知らせなかったのか」と、返書で疑問にされている。