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2014年10月9日木曜日

【沖縄県知事選/謀略】喜納昌吉候補は翁長雄志候補の「アキレス腱」に食い付く一点突破戦法で猛攻

☆喜納氏、不出馬を示唆 翁長氏の「承認撤回」条件に
(沖縄タイムス)

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=85846

https://web.archive.org/web/20141008223856/http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=85846

知事選への出馬を表明している民主党県連代表の喜納昌吉氏は8日、記者会見し、条件次第で出馬を取りやめる意向を明らかにした。

普天間飛行場の辺野古移設反対を掲げて出馬する翁長雄志氏が、仲井真弘多知事の埋め立て承認の「撤回」を公約に明記することを条件にした。

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★ これは翁長雄志候補が埋め立て承認の「撤回」を公約に明記することなどありえないということを見切った上で、選挙出馬の「大義名分」を得るための高等戦術。 





《「兵法三十六計」より》

☆混水摸魚

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B7%E6%B0%B4%E6%91%B8%E9%AD%9A

水をかき混ぜて魚が混乱しているときに、その魚を狙って捕まえるという意味。 敵の内部を混乱させて(混水)、弱体化したり、作戦行動を誤らせたり、我の望む行動を取らせるよう仕向ける戦術。趁火打劫を主に敵の外患に乗じて攻めることを主眼にすると解すれば、混水摸魚は敵の内患を作出してそれに乗じるものとも言える。

(略)

なお、この過程は直接の戦闘行為を目標に限らなくてもよく、劉備が、呉姫(孫尚香/孫仁)を娶ったり、故意に複雑な条件で交渉したりすることで、孫権を煙に巻いて、荊州の租借地を広げて西川も奪ったことなども、この混水摸魚の計の例だとされる。




☆抛磚引玉

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%9B%E7%A3%9A%E5%BC%95%E7%8E%89

本来、「抛磚引玉」は、唐代の詩人、常健の故事にちなみ、自分がまず未熟な意見を述べたり、つたない作品を見せたりして、それに釣られて他人が自説を語ったり、詩作を行ってしまうよう仕向けることを言う。

転じて、自分にとっては捨ててもよいものを囮として、敵を誘き寄せる作戦を指す。

紀元前700年、楚が絞(国名)を攻略しようとしたとき、絞軍は篭城した。そこで楚の屈瑕は王に、兵士を「きこり」に扮装させて絞の山地の木を切らせて絞軍をおびき出すよう進言した(きこり=自軍兵士=磚)。絞軍に捕縛されても連日のように「きこり」を繰り出して挑発し続けたところ、6日目にして絞の大軍が城から出て来て、逃げる「きこり」を追いかけた。楚は伏兵を置いてこれを撃破した。



☆上屋抽梯

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%B1%8B%E6%8A%BD%E6%A2%AF

たくみな宣伝・説得によって敵を欺き、そそのかして行動させる。そして、援助や補給が断たれる状況、逃げられない状況に敵を追い込んで自傷行為に及ばせたり、攻撃して損害を与える。

敵に実力以上の行動をさせることが要点。

この計は、敵を利益で操ること、「梯子」に乗りやすい情況をあらかじめ作ってやることが肝心。

策を仕掛ける側が「梯子」をかけてやるか、「梯子」があると示して気づかせてやらねばならない。




《「呉子」より》

http://www.h4.dion.ne.jp/~sstm/library/heihou/goshi.html

 武侯が尋ねた、
「両軍が対峙して敵将のことがわからないときはどうすればよいか」

 呉起曰く、
「身分が低くて勇気のある者に精鋭部隊を与えて攻めさせてみます。
 敵が反撃してきても決して本気で戦ってはなりません。こうして敵の動きを観察するのです。
 もし敵の動きがすべての面で整然としてこちらが逃げても追いつけないフリをし、利益で誘っても気づかぬフリをしているようなら智将と判断してよく、うかつに戦いを仕掛けてはなりません。
 逆に敵の隊列がバラバラで旗指物も乱れ、兵士は自分勝手に行動して統制がとれず、こちらに引けば見境もなく追ってくる、利益を見せればすぐに飛びついてくるようなら愚将と判断してよく、これなら敵が大軍であったとしても撃破できます」




《二・二六事件の首謀者である磯部浅一による敗因の反省「(敵ないし交渉相手のアキレス腱に)ダニのように食い付けば勝てたと思う」》

2月27日の午後2時

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/kindaishico/2.26zikenco/history3.html

午後2時、陸相官邸で真崎、西、阿部ら3人の軍事参議官が反乱軍将校と会談を行った。真崎大将をもって事態を収拾しようとした叛乱軍は「真崎大将に陸相官邸に来てもらいたい」と申し出て、真崎が赴こうとすると、「真崎大将単独で行くのは後日紛議の種になる」と阿部、西の両大将が同行したことにより三者となった。

叛乱軍将校ほぼ全員と山下少将、小藤大佐、鈴木大佐、山口大尉を加えて会見が始まった。

(略)

磯部の獄中文書は次のように記している。

「この会見がとりとめのないものに終わったのが維新派敗退の大きな原因だった。吾人はなんとしても正義派参議官に食いつき、真崎、川島、荒木などにダニのごとく喰いついて離れなければよかったのだ」。

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