(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141026-00050006-yom-soci
https://web.archive.org/web/20141025201021/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141026-00050006-yom-soci
埼玉県川口市のマンションで今月20日に爆発音がし、隣接するビルなどから弾や発射装置とみられる筒が見つかった事件で、過激派からとみられる犯行声明が25日、読売新聞東京本社に郵便で届いた。
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《松川事件の直後、増田官房長官は証拠もないのに「労働組合関係者の関与」を強く示唆。これは当時の世論が反・労働運動に傾く一因となったものと思われる》
☆松川事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E6.8D.9C.E6.9F.BB.E3.81.AE.E7.B5.8C.E9.81.8E
下山事件、三鷹事件に続く鉄道事件として世間の注目を集め、事件翌日には内閣官房長官の増田甲子七が、三鷹事件等と「思想底流において同じものである」との談話を発表、世論もそのような見方に傾き、捜査当局は当初からそれらの事件との関連を念頭に置いていたことが伺える。
捜査当局はこの事件を、当時の大量人員整理に反対し、東芝松川工場(現北芝電機)労働組合と国鉄労働組合(国労)構成員の共同謀議による犯行との見込みを付けて捜査を行った。
事件発生から24日後の9月10日、元国鉄線路工の少年が傷害罪で別件逮捕され、松川事件についての取り調べを受けた。少年は逮捕後9日目に松川事件の犯行を自供、その自供に基づいて共犯者が検挙された。9月22日、国労員5名及び東芝労組員2名が逮捕され、10月4日には東芝労組員5名、8日に東芝労組員1名、17日に東芝労組員2名、21日に国労員4名と、合計20名が逮捕者の自白に基づいて芋づる式に逮捕、起訴された。
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《松川事件の直後、読売新聞は証拠もないのに「共産党関係者の関与」を強く示唆。これは当時の世論が反共に傾く一因となったものと思われる》
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/sato.htm
ここにその一例として、「外部団体が応援」と題する、十九日付読売新聞を引用しよう。
「東芝松川労組は事件発生当日の十七日朝八時から二十四時間ストに入ったが、その前夜同労組はスト準備会合を天王原工場で外部団体員三百名が出席して行われ、散会後幹部数名は引続いてフラク会議を開き、これに出席した争議のリーダー格の共産党員三名が同夜十時過ぎ帰路についたまま行方不明になっている事実があり、これも一応の疑惑をもち目下三名の所在を調査している」
これはまた驚いた記事である。「外部団体員三百名」といっても、組合大会全出席者が二百名を少し超えた程度なのだから、甚だしい誤りである。だがその誤りを、「引続いてフラク会議」、「出席した……共産党員三名が……行方不明」とつづけてみると、単なる誤りではなく、ある底意をもった、意図的なものと考えざるをえない。しかも、八坂寮組合室の集まりはフラク会議などというものではなかったし、十時過ぎに帰った三名といえば、杉浦に太田(副組合長)と佐藤代治にちがいなく、三名とも十七日は早ばやと工場にでてきて、ストライキで予定した行動にはいっていた。もちろん、この三名以外にも行方不明などというのは一人もいない。
この記事を読むと、私は執行委員の斎藤正と一緒に、読売新聞福島支局に抗議にでかけた。ところが、この支局員たちの論理がすさまじい。記事内容は確認していないし、また確認とか調査をするとかということは、まったく必要ないのだ。もちろん、はっきりしたニュース・ソースはあるが、それをあかすことはわれわれの義務としてできない、というのである。しかも、暴力団まがいの態度で、高飛車である。これには、記事を読んだとき以上に驚かされたものである。
しかし、一時間ほども押し問答をしているうちに、彼らも次第に詰まってきた。そこで彼らはつぎのような論理を展開してきた。工場をでて、人家の多い町場まで出るには、畠や田圃のなかの一本道を歩かなければならない。ところが、この道のまわりには人家がないのだから、三人を見ているものは誰もいないはずだ。したがって、この間、たとえそれが十分だろうが、二十分になろうが、ともかく行方不明とおなじことになる、というのである。これもまた呆れた話だったが、しかし、これ以上は時間の無駄と考え、記事の訂正を約束させて帰ってきたものであった。
しかし、二十一日付読売新聞をみると、つぎのようになっていた。訂正どころか、さらに悪質な内容なのである。
「列車転覆事件の前夜二十四時間ストを決議した東芝松川工場の労組大会終了後開かれたという少数フラクの〝天王原会議″と、事件発生当時所在不明を伝えられた三名が捜査線上に大きく浮び上っている。東芝労組連合会佐藤一、松川労組執行委員斎藤正両氏は、『当夜の大会参加者は外部団体を加えて二百三十名だが、会議終了後開かれたといわれるフラク会議は組合執行部としては全然関知しない。組合会議が事件と関係のあるような想像は迷惑千万だ。もちろん会議終了後所在不明といわれるものについても全く知らない』と抗議しているが、捜査当局では、同会議に潜入したらしい組合員外の過激分子と会議後数時間所在不明となった三名との関係に疑惑を深め慎重な内偵を行っている」
行方不明も、フラク会議などというものも、ともに“存在しない”という抗議を、“関知しない”とすりかえ、ますますいわくありげな筆使いは、下山、三鷹、松川事件と、政府筋の意図を先取りするように、デマ報道に狂奔した読売新聞の体質のようなものが感じられる。彼らは、デマ報道だけでは足りなくて、後には一女性を誘拐し、飯坂の旅館に閉じこめて、虚偽の「自白」さえ強要した。それを取材とうそぶく、卑劣な記者がいたのである。