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2014年8月16日土曜日

人間魚雷「回天」を搭載する潜水艦の設計に携わった90歳の老人がはじめて往時を語った

〔Tags〕杭田忠三。


☆「特別な感情なかった」 「回天」搭載の潜水艦設計 金沢の杭田さん (北国新聞)

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20140816101.htm

https://archive.today/MktZz

回天は、ほかの特攻兵器に比べて成功率が低く、訓練中の事故死も多かった。回天が実戦に使われた9カ月間で撃沈した敵艦は3隻、回天の出撃で命を落とした若者は106人に上った。「これほど戦果がないとは思わなかった。命を軽んじ、無責任な作戦を立てた軍の責任は重い」。




《「回天」の実戦投入を推進した人物は1965年まで生存しタタミの上で死亡した》

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%B3%B6%E4%BA%80%E4%BA%BA#.E8.BB.8D.E4.BB.A4.E9.83.A8.E7.AC.AC.E4.BA.8C.E9.83.A8.E9.95.B7

1944年4月4日、黒島は「作戦上急速実現を要望する兵力」と題する特攻兵器を含む各種提案を行った。

内容は、飛行機増翼(民間の佐藤五郎考案、航続力増加で戦力4倍を見込むとするもの)、体当たり戦闘機、小型潜水艇(水中での戦闘機)、局地防備用可潜艇(甲標的丙型)、装甲爆破艇(震洋)、自走爆雷艇、1名速力50節航続4万米の大威力魚雷(回天)であり、軍令部で検討後、水中兵器の各種緊急実験を海軍省に要望し艦政本部は特攻兵器の特殊緊急実験を開始した。

後に大田正一発案の 桜花が海軍省航空本部より持ち込まれると黒島はそれも承認して研究が開始した



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%B3%B6%E4%BA%80%E4%BA%BA#.E6.88.A6.E5.BE.8C

戦後は、顕微鏡を扱う「白樺商事」の常務となる。

(略)

1965年、肺癌のため没。享年72。