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2014年7月21日月曜日

〔沖縄県知事選〕野党は翁長雄志・那覇市長を擁立するが…

☆野党、翁長氏に一本化 26日にも正式決定
(沖縄タイムス)

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=77377

https://web.archive.org/web/20140720224931/http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=77377

また、選考委が擁立にあたって候補者に求める「基本姿勢および組織協定」の内容で、辺野古埋め立て承認について、これまで議論していた「承認を撤回し政府に事業の中止を求める」との文言を「新しい知事は承認撤回を求める県民の声を尊重し、辺野古新基地は造らせない」に修正する案も確認。週明けに翁長氏側と調整した後に決定する。




《歴史メモ~御神輿が担ぎ手との敵対関係に至ったケース》

☆足利義昭

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E6%98%AD#.E7.B9.94.E7.94.B0.E4.BF.A1.E9.95.B7.E3.81.A8.E3.81.AE.E5.AF.BE.E7.AB.8B

新将軍として幕府を再興した義昭はまず織田信長の武功に対し幕閣と協議した末「室町殿御父(むろまちどのおんちち)」の称号を与えて報いた。

(略)

しかし幕府再興を念願とする義昭と、武力による天下統一を狙っていた信長の思惑は違っていたために、両者の関係は徐々に悪化していくこととなる。

(略)

信長の専横に不満を持った義昭は、自らに対する信長の影響力を相対化しようと、元亀2年(1571年)頃から上杉輝虎(謙信)や毛利輝元、本願寺顕如や甲斐の武田信玄、六角義賢らに御内書を下しはじめた。これは一般に信長包囲網と呼ばれている。

この包囲網にはかねてから信長と対立していた朝倉義景・浅井長政や延暦寺、兄の敵でもあった松永久秀、三好三人衆、三好義継らも加わっている。