(AERA 12月2日号より抜粋)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131128-00000000-sasahi-soci
http://www.asyura2.com/13/genpatu34/msg/874.html
「30年、40年先の地域を考えたら、主役は今の子どもたち。その子どもたちが将来への不安を抱いて成長している。科学的な根拠を示して『この線量ならば大丈夫』と言うのが私たちの役目。夢や希望を持たせたい」
相馬市は昨年末から中学校で放射能をテーマに特別授業を行った。その取り組みが近隣市町の高校や小学校に広がっている。
《おまけ》
☆水俣病~発見に関わる経過
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85#.E7.99.BA.E8.A6.8B.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.82.8F.E3.82.8B.E7.B5.8C.E9.81.8E
水俣市では新日本窒素肥料に勤務する労働者も多いことから、漁民たちへの誹謗中傷が行われたり新日本窒素肥料への批判を行う者を差別することも多かった。
(略)
また、同じ1959年の10月に新日窒附属病院の細川一院長は、院内ネコ実験により、アセトアルデヒド酢酸製造工場排水を投与した猫が水俣病を発症していることを確認し、工場責任者に報告している(猫400号実験)。しかし、工場の責任者は実験結果を公表することを禁じた。
(略)
このころ、清浦雷作・東京工業大学教授はわずか5日の調査で「有毒アミン説」を提唱し、戸木田菊次・東邦大学教授は現地調査も実施せず「腐敗アミン説」を発表するなど、非水銀説を唱える学者評論家も出現し(御用学者)、マスコミや世論も混乱させられた。