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2013年10月15日火曜日

“海上自衛隊の歌姫”三宅由佳莉さんが大晦日の紅白歌合戦に出場か

☆海自の歌姫・三宅由佳莉、2度の国歌独唱で紅白出場急浮上!
(サンケイスポーツ)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131015-00000500-sanspo-musi

http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/170.html

三宅は8月上旬にNHKニュース番組「おはよう日本」で特集され、9月下旬に同局の人気音楽番組「歌謡コンサート」に出演。紅白出場が決まれば、大きな話題を呼びそうだ。




《世論誘導のために人工的に生産された「英雄」》

☆ジェシカ・リンチ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%B7%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81

ジェシカ・ドーン・リンチ(Jessica Dawn Lynch,1983年4月26日~)はアメリカ合衆国の元陸軍上等兵。彼女はイラク戦争中の2003年3月に捕虜となったが、無事に救出されて帰国し、「戦場のヒロイン」と看做され、メディアの注目を浴びた。

(略)

彼女の救出時の映像はアメリカを始め、全世界のニュース番組で放映された。その後「ニューズウィーク」「ピープル」などの表紙を飾り、NBCによって「セイビング・ジェシカ・リンチ」というテレビ映画まで作成され、リンチはアメリカ軍の戦意高揚に貢献し、戦争支持者に勢いを与えることになった。4月3日付けワシントン・ポスト紙は、「彼女は弾薬を使い果たすまで勇敢に応戦した」と報道する。一方で、事件の詳細はわからず、リンチの「活躍」は噂にすぎない可能性があることも示している。

(略)

そして彼女が手術を受けている間、美談を求める政府とマスコミの相乗効果により、神話は創られていった。彼女の兄は米陸軍に所属するが、一連の報道と人々の熱狂を「起こるべくして起こったことだ」と述べた




☆アラビアのロレンス完全版 その2
(トーキング・マイノリティ)

http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/c9f625e1ba0ac08b5bb2262cb9ac4cf9

第一次大戦ではじめ中立を決め込んでいたアメリカも(参戦は1917年)連合国支持に傾いており、早晩参戦情勢は必至とみて、国内の反独世論を盛り上げておく必要があった。それにはまず特派員を戦地に送り、有利な宣伝材料を集め、国内に流すことである。その政府委託を受けたのがトマスであった。欧州戦線で戦争の悲惨さに失望したトマスも、中東戦線では浪漫的な戦争宣伝のネタを見出すことになる。



☆爆弾三勇士

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%86%E5%BC%BE%E4%B8%89%E5%8B%87%E5%A3%AB

3名は戦死後それぞれ二階級特進して、陸軍伍長となる。事件の直後2月24日には『東京朝日新聞』で「「帝国万歳」と叫んで吾身は木端微塵」、25日に『西部毎日新聞』で「忠烈まさに粉骨砕身」、『大阪朝日新聞』で「葉隠れ主義の露堂々」など、美談として広く報道され反響をよび、壮烈無比の勇士としてその武功を称えられた。軍国熱も高まり映画や歌にもなり、陸軍始まって以来ともいわれる弔慰金が集まった。

しかし、3名の死は技術的失敗によるものという説もあり、それによると「導火線を短く切断し、予め導火線に点火して突入したところ、3人の先頭に立った北川丞が撃たれ、3人とも倒れてしまいタイムロスを生じ、戻ろうとしたところそのまま突っ込めと言われたので、その通り突入し、目的地点に到着するかしないかの内に爆弾が爆発してしまった事故」とみている。同時に攻撃に参加した別の班(総勢35人)や、同じ敵陣地の別方面を担当した工兵部隊も同様の攻撃を行い、戦死者はこの3人の他にも出ている。

彼らを題材に大阪毎日新聞・東京日日新聞や東京朝日新聞などがそれぞれ顕彰歌の歌詞を公募し、大阪毎日・東京日日が与謝野鉄幹作詞・辻順治作曲による「爆弾三勇士の歌」、東京朝日公募1席が中野力作詞・山田耕筰作曲、2席が渡部栄伍作詞・古賀政男作曲による「肉弾三勇士の歌」になった。以上2曲とも歌:江文也・日本コロムビア合唱団。

また、歌舞伎や新派、果ては文楽、浪曲にまで三勇士ものが上演された。

映画では急きょ日活や、新興キネマ、河合映画製作社、東活映画社、福井映画社の5つの映画社が競ってドラマチックな愛国の美談として映画化。事件報道後10日足らずの3月3日に新興と河合が封切り、6日に東活、10日に日活、福井も3月17日に封切りをした。いずれも無声映画。また、いずれも映画の完成度は拙速であるのは否めなかった。日本軍の戦場での悲劇や美談をモチーフに多くの映画が劇場公開され、軍国熱をいやが上にも煽ることになった。当時の報道機関は新聞とNHKラジオだけだったため、この種の映画は大衆性の強いニュース映画でもあった。三勇士人気に便乗し多くの図案などにも採用され、さらには三勇士もののグッズ(菓子・ヘアスタイル・和服のデザイン)まで出る騒ぎとなった。小中学校の運動会競技にもなっている。当時の人気漫画「のらくろ」の昭和7年5月連載分においても、爆弾三勇士がモデルと思われる3頭の犬が活躍するエピソードが描かれている。

書籍では、小笠原長生『忠烈爆弾三勇士』(実業之日本社)、大和良作・栗原白嶺『護国の神・肉弾三勇士』(護国団)、滝渓潤『壮烈無比爆弾三勇士の一隊』(三輪書店)、宗改造『軍神江下武二伝』(欽英閣)などが出版され、1933年教育総監部による『満州事変軍事美談集』に「点火せる破壊砲を抱き、身を以て鉄条網を破壊す」と題して収められた。

このような熱狂的な反応は、大手新聞らマスコミによって作られたものである。新聞各紙は「まさしく『軍神』ー忠烈な肉弾三勇士に、『天皇陛下の上聞に達したい』。陸軍省は最高の賛辞」(大阪朝日・昭和7年2月25日)などの最大級の賛辞から、「肉弾三勇士の壮烈なる行動も、実にこの神ながらの民族精神の発露によるはいうまでもない。」(大阪朝日・昭和7年2月27日)というファナチックなものまで無数の記事を連日のように書き、弔慰金の金額と寄託者を一面に載せた。『大阪朝日』には34,549円、『大阪毎日』には30,575円の弔慰金が集まった。さらにキャンペーンはエスカレートし、三人の遺族の靖国神社や陸軍省訪問記事を情感たっぷりに書き、新聞購読者をより多く獲得しようとした。前述の歌もその一環である。

教科書で取り上げるべしという意見も多く挙がり、1941年から45年までの初等国語科と唱歌教材に取り上げられた。