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2013年10月16日水曜日

ニューヨークタイムズ社説が小泉純一郎元首相の脱原発主張を高く評価 

☆米紙、小泉氏の脱原発主張を評価 「健全な論議を」
(共同通信)

http://www.47news.jp/CN/201310/CN2013101601000818.html

15日付の米紙ニューヨーク・タイムズは社説で、小泉純一郎元首相による原発ゼロの主張を取り上げ「日本は小泉氏の介入を歓迎し、原子力発電の将来に関する健全な議論を始めるべきだ」と訴えた。



☆Fukushima Politics (米紙ニューヨーク・タイムズ社説)

http://www.nytimes.com/2013/10/15/opinion/fukushima-politics.html

“Zero nuclear plants.” With this recent call, Japan’s very popular former prime minister, Junichiro Koizumi, is again in the limelight.

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★今後、脱原発運動の勢いが再燃した場合には、山本太郎議員のスキャンダルを発掘して失脚に追い込めば、自然の勢いで小泉父子が「脱原発運動の旗手」に就任するものと思われる。

★狂歌「社民党がつき 山本太郎がこねし 脱原発餅 座りしままに食うは小泉父子」




《戦国時代における「家」の乗っ取り》

☆吉川元春

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%85%83%E6%98%A5

天文19年(1550年)、元就は興経を強制的に隠居させると、元春に家督を継がせて吉川氏当主とした。そして熊谷信直らに命じて興経とその実子・千法師を殺害して、毛利家より格上の吉川家を事実上乗っ取ったのである。



☆織田信雄

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%9B%84

永禄12年(1569年)、父・信長の北畠家攻略戦の和睦条件として、北畠具房の養嗣子となって具房の妹の雪姫(北畠具教の娘)を娶った。
元亀3年(1572年)に元服して北畠具豊と称し、天正3年(1575年)に家督を相続。大河内城から度会郡の田丸城へ移った。
この頃から津田一安の補佐の元、家中の実権を掌握し始める。

家督を相続後は信意に改名。翌天正4年(1576年)11月、討主に命じて多気郡の三瀬御所を攻撃させ、北畠具教と具教の息子2人と北畠家臣の14人を殺害し、田丸城でも長野具藤らを饗応と偽って呼び出し謀殺した(三瀬の変)。同年12月には津田一安を粛清している。



☆神戸具盛 (7代目当主)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%85%B7%E7%9B%9B_(7%E4%BB%A3%E7%9B%AE%E5%BD%93%E4%B8%BB)

永禄10年(1567年)、尾張国の織田信長による北伊勢侵攻が開始されると、具盛は重臣の山路弾正らとよく防ぎ、美濃国に不穏な動きのある織田軍を撤退させた。しかし翌11年(1568年)再度信長軍が侵攻してくると、抗戦の利あらずとして信長の三男信孝を養子として迎えることで和睦した。

その後、織田家の部将として転戦し、六角氏攻略の際(観音寺城の戦い)には、義兄である蒲生賢秀を降伏させるなど、手柄を立てる。

しかし養子である信孝を冷遇していたため信長の怒りを買い、元亀2年(1571年)、具盛は近江日野城に幽閉を余儀なくされ、神戸氏の家督は信孝が継承した。そしてそれに抗議した山路弾正をはじめ、一族や家臣の多くは殺害された。