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2013年9月6日金曜日

「イメージ戦略」に失敗したまま齢70を越えてしまった小沢一郎氏

三宅雪子(生活の党)
https://twitter.com/miyake_yukiko35/status/375549109714685952
久しぶりに小沢代表に会った。仕事の話半分、仕事以外の話半分。しきりに体調を気遣われるとともに、入院している家族の病状や(障害のある)弟の事(をどうしているのか)をとても心配された。秋田の97歳の祖母のことまで。こうした小沢代表の一面があまり知られていなくて本当に残念だ。

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★織田信長が超多忙な時間を割いて、公家などと「茶の湯」をおこなったのは、信長なりのイメージ戦略の一環であったと思われる。



《どう見ても悪人であった「王莽」はイメージ戦略に長じていたので一時的ながらも天下を取ることができた》

☆王莽

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E8%8E%BD

王莽は恭倹に身を持し、沛郡の陳参に師事して『礼経』を受け、身を勤め学を広め、儒生並の服装をし、母と兄嫁に仕えた。また、甥の王光を養子として実子以上に熱心に養育したため名声を博した(後に殺害)、それに王莽の妻が不平を述べたと伝えられる。

壮年となり、伯父の大将軍王鳳が病むとその看病を続けたため、王鳳は死に臨んで成帝に王莽を託す。これ以後、王商や王根の推挙と皇太后となった伯母の後ろ盾を背景に王莽は順調に出世する。親戚の淳于長を失脚させ、大司馬となると、王莽の勢いは飛ぶ鳥を落とすほどになった。